今、私のお財布には福沢諭吉様がいらっしゃる。
つまり、昨日、私が冬野さんのお店で支払った福沢諭吉様は、私の財布に戻って来てしまったのである。
それはつまり。
「石ちゃん、9時までで良いから。なんか予定ある時はそっち優先で良いからね」
「はい、了解です」
福沢諭吉分、冬野さんのお店で働く事になりました。
うっそ~ん、って感じ。
「一応ね、スタッフを雇ってたんだけど、なぜかみんな長続きしなくて、マキさんがいつも手伝ってくれてたけど、来週一杯旅行で来れなくて。明日には、バイトの面接入っていて。マキさんが旅行に行っている間だけで良いから、手伝ってくれたら嬉しいんだけど」
冬野さんにスタッフ用の制服だと渡された白シャツに黒のパンツに着替え、カフェエプロンを着ながら私は取り合えず店の掃除でも始めようかと腕まくりしながら、話を聞いた。
「あっ、好きなだけこき使って下さい。ちゃんと、働きますから」
「本当、頼もしいよ」
「お店の掃除にテーブルのセッティング。そのあとは、食器の手入れ……ですか?」
私は、カウンターの中から見える食器やスプーンやフォークをまじまじと見た。
「どうしてそう思うの?」
「全部じゃないんですけど、水滴の跡で曇っているのが混じってません?」
私の言葉に、私が見つめる食器に近づき目を凝らす冬野さんは言った。
「え、例えば? どの食器」
私は目について曇った食器とスプーンとフォークを選んでテーブルに置いた。
「えっ、これ、どうしても乾きが悪くて」
「乾きが悪いから、乾燥機があるんですよ。業務用の乾燥機、なんで使わないんですか?」
「少しだったから、ちゃんと清潔な食器拭きで拭いたんだよ」
「濡れた食器はよっぽど熱いお湯で洗うか、ちゃんと自然乾燥させないと曇りが出るんです。スプーンとフォークは食器拭きで拭けない事も無いですけど、摩擦を利用して完全に乾燥させるまで拭かないと水分が残って曇るんですから」
「お客さんに出すものだから、石ちゃんのは正論だ。自分が恥ずかしいよ。なんでそんなに詳しいの?」
「えっ、高校の時、喫茶店でバイトしてたんです。そこのママさんに仕込まれただけです
から」
「えっ、飲食店経験ありってこと?! どれくらい働いてたの?」
「高一の夏休みから卒業まで…です」
冬野さんが私の事、なんか輝く様な目で見ている。
私ごときを、何かむず痒いよ。
「と、とりあえず、食器戻しておきますね。掃除、してきます。表は正面ブロック全部をほうきで掃いて、フロアは掃除機をかけてモップかけて、トイレ掃除の順序で良いですか?」
「え、なんで分かるの」
「今の清掃状態から、大体いつもやっている清掃のルーティンが分かりますから。開店、19時ですよね。無理か、あと30分じゃ」
「大丈夫。今の訂正するけど。フロアのモップ掛けは不要。店の閉店後に、一度、掃除機をかけてモップをかけているから。開店前は、もう一度掃除機をかけるだけで良い。トイレも閉店後に必ず掃除しているから、開店前は喚起だけで良いんだ」
「了解です。取り掛かります」
面倒事は極力避けるが、取り組む作業にはストイックにがモットー。
私は、冬野さんのお店の開店準備に集中した。