「お金、受け取れません。……じゃなかった。返さないで下さい。本当に、あれは妹が悪かったんです。失礼なこと言って不快にさせてしまって……」
そう言いどもる私に、冬野さんは苦笑いしながら、中断していた紅茶の準備を始めた。
紅茶専用の白磁ボッドに茶葉を入れて、お湯を注ぐ。
「何言ってるの? 皆が思っていても言えないこと、誰より正直に言っただけだろう? 僕、てんちゃんのそう言うところ好きだよ」
ん?
冬野さん。
まさか、妹のこと好きなのか。
ほう、私が恋い焦がれて憧れて、諦めた冬野さんの好きは、私の妹か。
ははは。
紅茶をポッドで蒸らしている間に、沈黙がしばし流れて、私は紅茶用の3分の砂時計の落ちる砂を見ていた。
どうしよう、私どうしてこんなにがっかりしてるんだ。
いや別に、冬野さんに何の期待もしていない。
別に未練があって、忘れられなくて、付きまとっている訳じゃない。
わたし何にも望んでないのに、どうしてこんなに息苦しいくらい、今なんで、冬野さんと一緒にいるの。
何も望まない、期待しない、奇跡なんか起きるはずないだから!!
私は勇気を振り絞って両手を前に出した。
「お返ししますね」
ワタシは、一万円札を冬野さんのテーブルの前に置いて、給湯室を出るべく、早速行動に出た。
逃げるんだ。
ここを、逃れれば、終わりだ。
苦しいのも、切ないのも。
だって、もう二度とこの人と会えるチャンスなんて訪れないんだから。
だから、こんなフラグは強制終了してやる!!!
帰ってやけ酒煽ってやる。
給料日前で、お金もないんだから!!
「怒るよ」
背筋が凍りつくかと思った。
凛とした美しい冬野さんの透き通った声は、まるで楽器が奏でた様に研ぎ澄まされていて、私の心を締め付けた。
誰かモルヒネを、痛いんだ。
胸が。
刹那、冬野さんの顔が近づき私の行く手に冬野さんの一万円札を握った腕が立ちはだかった。
これ、壁ドンならぬ札ドン。
私は勢いが止まらず、冬野さんの腕に首が当たって胸だけでは飽きたらず、物理的に首まで絞まった。
「グフッ」
「えっ、嘘。大丈夫?」
咄嗟に私の首に絞まりこんだ腕が私の肩を掴んで、冬野さんの方に引き寄せられた。
目の前に冬野さんの顔が広がる。
みかん一個分前に、直視できない位美しいと思っている冬野さんの顔。
「痛かったよね」
「いやっ、ごめんなさい」
「何怯えてんの?マジ、そんなつもりじゃないから。お金、貰えないって!ごめん、本当に返さないでって……」
状況は暗転した。
何この体制。
背中に壁、目の前に冬野さんの顔、遠ざかりたくても狭い給湯室内で冬野さんの腕がまだ私を掴んで離さない。
戦線離脱不可能。
「お願いです。受け取ってください。マキさんによろしくお伝えください。そ、そろそろ仕事に戻らないと……」
否、まずお金の事はさておき、距離。
キープディスタンス(距離を保って)。
「じゃぁ、お金を持って帰る。良いね?」
「お断りします」
「もう、 君も頑固だよね。……う~ん。じゃあさ、 どうしてもって言うなら、お金じゃなくてカラダで払ってくれない」
「えっ」
えっ。
はっ。
冗談でしょう?って、思って見つめる冬野さんの表情は、冗談ではなさそうである。
「はあああ~!!」
「ん? 変な意味じゃないから誤解しないで」
えっ、変な意味でも、普通の意味でも、カラダでの払い方なんて思い付かない……。
「聞いてる? えっ、石崎さん? 息してる?」
言われてみればさっきから忘れてました。
もうしばらく止めたままイケます。
ってそういう話じゃない。
「息吸って」
そういわれても、あまりの事態に私はしばらく身体が動きませんでした。