第44話 新宿再び
あー、一年ぶりだな、ここ。去年もこうやってここで『下』の道路の車のランプを眺めてたんだ。
この時期はすぐに真っ暗になっちゃう。風間家を出たときはまだなんとなく明るかったのに、新宿に着くころには街のネオンの方が明るくなっている。まあ、そうだよね、例によって各停に乗って来たんだから。
時刻はまだ十七時半。街は煌びやかにLEDが点滅し、仲の良さそうな男女が寄り添いながら歩いて行く。そうだ、今日はクリスマスイブだったんだ。これからディナーして、二人の夜を過ごすんだろうな。
本当ならあたしだってカオルさんとメグル君と一緒にケーキ食べて、乾杯してた筈なんだ。それが完敗になっちゃったんだよ。カンパイ違いも甚だしいよ。
しかもあたし、一年経っても全く学習してない。帰りの電車代、また無いよ。っていうか、もう帰れないじゃん。風間家。
はぁ。バカみたい。あたし何やってるんだろう。去年と同じことしてる。自分を拾ってくれた漫画家さんのところを自分で飛び出しちゃうなんて、それも二連チャン、どれだけバカなんだろう。
しかもさ、今年は去年よりバカだよ。手に負えない。去年は神代エミリーにパクられたって、漫画家としてのプライドがあったんだ。でも今年は何よ、神代エミリーに勝てなかったくらいで。カオルさんに痛いとこ突かれて勝手に落ち込んで。
大体、図星を指されて凹んだってことは、自覚があったって事じゃん。そこに都合よく目を瞑っていたのは自分じゃないか。カオルさんだって言いたくてあんなこと言ったわけじゃない、あたしの為に心を鬼にして言ってくれたんじゃないか、それなのに。
それなのに、あたしは自分に負けて勝手に出て来たんだ。去年より酷い。進歩どころか退化してる。
寒い。
ああ、去年もそう思ったな。十一月だったけど寒かった。あの時、あったかいコーヒーが飲みたいって思ったんだ。百七十円ではお店に入れないって思ったんだ。
今はコーヒーを飲みたいと思えない。カオルさんのコーヒーの味を知ってしまってから、外でコーヒーが飲めなくなってしまった。
飲みたいな、カオルさんのコーヒー。
悲しくなってくるというよりも、それを通り越して笑いが出て来る。
「何を笑ってる」
後ろから声をかけられる。
「何も」
「笑っているように見えたが」
「おかしくて」
「そうだな」
え?
「カオルさん!」
なんでこんなところにカオルさんがいるの!
「帰るぞ」
「だって、出て行けって」
「お前の荷物がたくさんある。あんなもん残して行かれたら邪魔だ。どうにかしろ」
なんなのこの通常運転。まるっきりフォローする気なんかないんだ。
いつものように怪しさ満点の真っ黒コート着て、手には……あたしの編んだ手首ウォーマーしたまま。そして眼鏡のおうちスタイルのまま。
「だってあたし、どこに行ったらいいかわかんない」
「十津川村があるだろう」
って言いながらカオルさんに上腕を掴まれて引きずられていく。
「あたし、漫画家にならないうちは十津川に帰らないって」
「俺の知ったことではない。お前の問題だ」
「だけどあたし」
「だけどじゃない」
カオルさんがいきなり止まってあたしを正面から見た。周りには新宿ビル群、大きな建物と大きなカオルさん。
全てのものに上から見下ろされているような錯覚に陥る。怖い。ただ、逃げ出したい。
「甘ったれるな。お前は神代エミリー先生の挑戦を受けた。それで負けたからといって姿をくらます気か? 神代先生やG-TVへの挨拶もなしにバックレる気か?」
「バックレるだなんてそんな」
「同じことだろう」
違う。違うよ。心がそう叫んでる。だけどその一方で、もう一人のあたしが「何も違わない」と言っている。
――あんたは逃げてるの、違うって思いたいの。そうやって逃げていたら自分は傷つかなくて済むんだもん、あたしは何も悪くないって言いたいんでしょ、そうでしょ、綺羅?
そうだ、あたしはいつだってそうやって逃げてきた。嫌なことから逃げて、「もう無理」って言えばそれで良かった。被害者面して『可哀想なアタシ』に浸って、勝手にエミリー先生のところを飛び出して、カオルさんのところを飛び出して。
それで今までどうにかなっていたんだ。だけどそれは善意の人たちのお陰じゃないか。あたし一人で何かをしたことなんて何もないじゃないか。
「いいか、お前は神代先生の懐を借りて修行させていただいたんだぞ。あの超売れっ子漫画家が多忙な中にもかかわらず、ろくに名前も知られていないくせにプライドばっかり高い駆け出しのアマチュアの為に、まるまる一作書いてくださったんだぞ。神代先生がそこまでしてくれたのは、後にも先にもお前だけだ。自分の事しか考えていない甘ったれには、ここまで言わないとわからんだろう」
それだけ言うと、カオルさんは無言であたしを新宿駅まで引っ張って行った。あたしはただ、カオルさんに引きずられるままに歩き、電車に乗った。
あー、一年ぶりだな、ここ。去年もこうやってここで『下』の道路の車のランプを眺めてたんだ。
この時期はすぐに真っ暗になっちゃう。風間家を出たときはまだなんとなく明るかったのに、新宿に着くころには街のネオンの方が明るくなっている。まあ、そうだよね、例によって各停に乗って来たんだから。
時刻はまだ十七時半。街は煌びやかにLEDが点滅し、仲の良さそうな男女が寄り添いながら歩いて行く。そうだ、今日はクリスマスイブだったんだ。これからディナーして、二人の夜を過ごすんだろうな。
本当ならあたしだってカオルさんとメグル君と一緒にケーキ食べて、乾杯してた筈なんだ。それが完敗になっちゃったんだよ。カンパイ違いも甚だしいよ。
しかもあたし、一年経っても全く学習してない。帰りの電車代、また無いよ。っていうか、もう帰れないじゃん。風間家。
はぁ。バカみたい。あたし何やってるんだろう。去年と同じことしてる。自分を拾ってくれた漫画家さんのところを自分で飛び出しちゃうなんて、それも二連チャン、どれだけバカなんだろう。
しかもさ、今年は去年よりバカだよ。手に負えない。去年は神代エミリーにパクられたって、漫画家としてのプライドがあったんだ。でも今年は何よ、神代エミリーに勝てなかったくらいで。カオルさんに痛いとこ突かれて勝手に落ち込んで。
大体、図星を指されて凹んだってことは、自覚があったって事じゃん。そこに都合よく目を瞑っていたのは自分じゃないか。カオルさんだって言いたくてあんなこと言ったわけじゃない、あたしの為に心を鬼にして言ってくれたんじゃないか、それなのに。
それなのに、あたしは自分に負けて勝手に出て来たんだ。去年より酷い。進歩どころか退化してる。
寒い。
ああ、去年もそう思ったな。十一月だったけど寒かった。あの時、あったかいコーヒーが飲みたいって思ったんだ。百七十円ではお店に入れないって思ったんだ。
今はコーヒーを飲みたいと思えない。カオルさんのコーヒーの味を知ってしまってから、外でコーヒーが飲めなくなってしまった。
飲みたいな、カオルさんのコーヒー。
悲しくなってくるというよりも、それを通り越して笑いが出て来る。
「何を笑ってる」
後ろから声をかけられる。
「何も」
「笑っているように見えたが」
「おかしくて」
「そうだな」
え?
「カオルさん!」
なんでこんなところにカオルさんがいるの!
「帰るぞ」
「だって、出て行けって」
「お前の荷物がたくさんある。あんなもん残して行かれたら邪魔だ。どうにかしろ」
なんなのこの通常運転。まるっきりフォローする気なんかないんだ。
いつものように怪しさ満点の真っ黒コート着て、手には……あたしの編んだ手首ウォーマーしたまま。そして眼鏡のおうちスタイルのまま。
「だってあたし、どこに行ったらいいかわかんない」
「十津川村があるだろう」
って言いながらカオルさんに上腕を掴まれて引きずられていく。
「あたし、漫画家にならないうちは十津川に帰らないって」
「俺の知ったことではない。お前の問題だ」
「だけどあたし」
「だけどじゃない」
カオルさんがいきなり止まってあたしを正面から見た。周りには新宿ビル群、大きな建物と大きなカオルさん。
全てのものに上から見下ろされているような錯覚に陥る。怖い。ただ、逃げ出したい。
「甘ったれるな。お前は神代エミリー先生の挑戦を受けた。それで負けたからといって姿をくらます気か? 神代先生やG-TVへの挨拶もなしにバックレる気か?」
「バックレるだなんてそんな」
「同じことだろう」
違う。違うよ。心がそう叫んでる。だけどその一方で、もう一人のあたしが「何も違わない」と言っている。
――あんたは逃げてるの、違うって思いたいの。そうやって逃げていたら自分は傷つかなくて済むんだもん、あたしは何も悪くないって言いたいんでしょ、そうでしょ、綺羅?
そうだ、あたしはいつだってそうやって逃げてきた。嫌なことから逃げて、「もう無理」って言えばそれで良かった。被害者面して『可哀想なアタシ』に浸って、勝手にエミリー先生のところを飛び出して、カオルさんのところを飛び出して。
それで今までどうにかなっていたんだ。だけどそれは善意の人たちのお陰じゃないか。あたし一人で何かをしたことなんて何もないじゃないか。
「いいか、お前は神代先生の懐を借りて修行させていただいたんだぞ。あの超売れっ子漫画家が多忙な中にもかかわらず、ろくに名前も知られていないくせにプライドばっかり高い駆け出しのアマチュアの為に、まるまる一作書いてくださったんだぞ。神代先生がそこまでしてくれたのは、後にも先にもお前だけだ。自分の事しか考えていない甘ったれには、ここまで言わないとわからんだろう」
それだけ言うと、カオルさんは無言であたしを新宿駅まで引っ張って行った。あたしはただ、カオルさんに引きずられるままに歩き、電車に乗った。