次男の聡介が生まれる時に産休育休を取っていた私は、聡介が一歳になる年に仕事に復帰した。
復帰してもすぐに熱を出したり、予防接種などがあって仕事を休みがちになる私にかわって、水谷も仕事を休んで子供の面倒をみてくれた。
営業は結果さえ残せばいいから時間は自由になるんだと言って。
正直私にとっては有り難い話だった。
締切がある仕事だと、子供の事という立派な理由があっても実際は休みにくい。
周囲との関係性を均衡に保つためにも、融通を利かせてくれる水谷に感謝していた。
だがそんな聡介も三歳近くなると病気もしなくなり落ち着き始める。
その頃からだろうか…。
家に帰って来るのが遅いという事もあるが、水谷と私との会話はほとんどなくなっていった。
子供の事はかわいがってくれてはいたが、どうしても仕事が優先というスタイルは変わらない。
会話するのはもっぱら子供の用事がある時だけになっていった。
それもお互いの帰宅時間や休みの日が違うと段々と面倒になり、連絡事項は会話からメールにとってかわった。
そしてさらに時は過ぎ…
そんな生活にもだんだんと慣れてきた頃だった。
私に二度目の大きな転機が訪れたのは…
復帰してもすぐに熱を出したり、予防接種などがあって仕事を休みがちになる私にかわって、水谷も仕事を休んで子供の面倒をみてくれた。
営業は結果さえ残せばいいから時間は自由になるんだと言って。
正直私にとっては有り難い話だった。
締切がある仕事だと、子供の事という立派な理由があっても実際は休みにくい。
周囲との関係性を均衡に保つためにも、融通を利かせてくれる水谷に感謝していた。
だがそんな聡介も三歳近くなると病気もしなくなり落ち着き始める。
その頃からだろうか…。
家に帰って来るのが遅いという事もあるが、水谷と私との会話はほとんどなくなっていった。
子供の事はかわいがってくれてはいたが、どうしても仕事が優先というスタイルは変わらない。
会話するのはもっぱら子供の用事がある時だけになっていった。
それもお互いの帰宅時間や休みの日が違うと段々と面倒になり、連絡事項は会話からメールにとってかわった。
そしてさらに時は過ぎ…
そんな生活にもだんだんと慣れてきた頃だった。
私に二度目の大きな転機が訪れたのは…