俺より十センチ程度低いだろうか。彼女の、肩あたりで自由に跳ねる毛先が気になっていたそのとき。
「意気込みもなにも……ここの仕事に興味がないんですけど」
とても冷めた声が聞こえてきた。
春、俺と彼女は刑事課捜査一課に配属された。そこで、挨拶をしてほしいと言われ、彼女はそう言い切った。
俺もその場にいた人たちも、全員絶句だ。
こいつは一体、なにを言っている。
「私のやりたいことはここではできないので。頑張りたいことなんてありません」
畳みかけるように、最低な言葉が並べられていく。
嘘でも一生懸命頑張るとか言えないのか。
「お前、一課に配属されたい人がどれだけいたと思う? そいつらの分まで頑張ろうとか思わないのかよ」
先輩刑事が文句を言うよりも、俺がそれを言うほうが早かった。
彼女の首がゆっくりと動き、その瞳は俺を捉えた。俺は、無様にも動けなかった。彼女は、俺の好みの顔をしていたのである。
首を傾げる仕草に、目を奪われる。さっき気になっていた毛先が揺れ、彼女のすべてから目が離せない。
静かに口が開かれる。
「どうして私がそんな人たちのことを思わないといけないの?」
また冷たい声。
彼女の発言が、俺が抱いた彼女への印象をぶち壊していく。
彼女のことはよく知らないが、それを純粋に聞いているのだということは表情を見ればわかる。まるで、子供が知らないことを聞いてくるような目をしているのだから。
しかし友人をそんな人と言われ、俺は腹が立った。
「みんなここに配属されたくて頑張っていたんだ。そんな人呼ばわりされるような奴らじゃない」
俺がどれだけ睨んでも、彼女は純粋な目をやめてくれない。熱くなっている俺がバカみたいじゃないか。
「……この世に、野球選手やサッカー選手に憧れた少年はどれくらいいるのかな? パティシエに憧れた少女は?」
彼女が何を言い出したのかよくわからなくて、俺は黙って聞くことしかできない。先輩刑事も口を挟まない。
「夢を実現しようとした子供たちはどれくらいいるかな? 挫折した子は? そして本当にその職に就いた人たちは、挫折した人たちのことまで思って働いているのかな?」
そこで彼女の質問は途切れた。俺は考えを巡らせ、彼女の最後の質問に答える。
「……自分の腕を磨くのに必死で、夢を諦めていった人たちのことは……考えてない……」
「そう。みんな、自分のことで精一杯。でもさっき言った職業は、才能が関係してくる。だから夢を諦めた人が多いし、叶えた人はそういった人たちのことまで考えられない」
だからなんだと言おうとしたが、彼女の不思議な雰囲気に圧倒されてできなかった。
「君は……頑張れば一課に行けると思ってる?」
相変わらず彼女が言おうとしていることはわからないが、俺は迷わず頷いた。
俺が今ここにいるのは、そういった努力をしてきたからだ。その努力を、自らなかったことにはしたくない。
「だから、君の知り合いの頑張ってきた人たちのことを私がそんな人って言ったのが、君は気に入らない」
俺の心を見透かしたような発言に気味が悪くなる。
「……ああ」
明らかに不機嫌な声で答える。
それを待っていたと言わんばかりに、彼女は口角を上げた。
「でも私、頑張った記憶ないの。だから……私が選ばれたのは、才能?」
嫌な奴だ。こいつ、嫌な奴だ。
「……つまり、才能を持った自分は、自分のことしか考えないと?」
彼女は胸の位置まで両手を上げ、小さく拍手をした。
「ご名答。なんだ、ちゃんと考えられる人じゃん。君も才能があるんじゃない?」
……バカにしやがって。
「気は済んだか」
言い返そうとしたら、一課長に遮られた。ここのトップにそう言われてしまえば、終わらせるしかない。彼女への文句は出かかっていたが、飲み込むことにした。
「若瀬。なにか言いたいことは」
この状況で、俺になにが言える。
俺が言おうとしていたのは、ここに配属されて光栄だ、一生懸命頑張る。というような挨拶の定型文のようなもの。これ以外に思いつかなかったのだ。
しかし彼女と言い合いを終えた今、一生懸命頑張るという言葉を音にできなかった。してもいいのかという迷いがあった。
あいつらの分まで頑張りたいと思っているのは本当なのに、間違っているような気がしてきた。
「……若瀬工です。自分にできることを精一杯やっていきたいと思っています。よろしくお願いします」
隣の彼女が嘲笑しているのが、空気でわかる。
もう、顔を見たくない。
「お前は、名前言ったか?」
一課長が呆れた表情で言う。
「あれ、言ってませんでしたっけ。木崎です。木崎里津。ここにいる若瀬君は、選ばれなかった人たちの分まで頑張りたいらしいので、雑用は彼に押しつ……お任せください」
言い換えた意味があったのか。わざとらしい。押し付けろとはっきり言ってくれたほうが、いっそ清々しかった。
これが、俺と彼女、木崎里津との最悪な出会いだった。
木崎との関わりを必要最低限にしておけば、これ以上嫌な思いをすることはないと思っていた。
だが、木崎と関わらなくても最悪な日々はやってきた。
「意気込みもなにも……ここの仕事に興味がないんですけど」
とても冷めた声が聞こえてきた。
春、俺と彼女は刑事課捜査一課に配属された。そこで、挨拶をしてほしいと言われ、彼女はそう言い切った。
俺もその場にいた人たちも、全員絶句だ。
こいつは一体、なにを言っている。
「私のやりたいことはここではできないので。頑張りたいことなんてありません」
畳みかけるように、最低な言葉が並べられていく。
嘘でも一生懸命頑張るとか言えないのか。
「お前、一課に配属されたい人がどれだけいたと思う? そいつらの分まで頑張ろうとか思わないのかよ」
先輩刑事が文句を言うよりも、俺がそれを言うほうが早かった。
彼女の首がゆっくりと動き、その瞳は俺を捉えた。俺は、無様にも動けなかった。彼女は、俺の好みの顔をしていたのである。
首を傾げる仕草に、目を奪われる。さっき気になっていた毛先が揺れ、彼女のすべてから目が離せない。
静かに口が開かれる。
「どうして私がそんな人たちのことを思わないといけないの?」
また冷たい声。
彼女の発言が、俺が抱いた彼女への印象をぶち壊していく。
彼女のことはよく知らないが、それを純粋に聞いているのだということは表情を見ればわかる。まるで、子供が知らないことを聞いてくるような目をしているのだから。
しかし友人をそんな人と言われ、俺は腹が立った。
「みんなここに配属されたくて頑張っていたんだ。そんな人呼ばわりされるような奴らじゃない」
俺がどれだけ睨んでも、彼女は純粋な目をやめてくれない。熱くなっている俺がバカみたいじゃないか。
「……この世に、野球選手やサッカー選手に憧れた少年はどれくらいいるのかな? パティシエに憧れた少女は?」
彼女が何を言い出したのかよくわからなくて、俺は黙って聞くことしかできない。先輩刑事も口を挟まない。
「夢を実現しようとした子供たちはどれくらいいるかな? 挫折した子は? そして本当にその職に就いた人たちは、挫折した人たちのことまで思って働いているのかな?」
そこで彼女の質問は途切れた。俺は考えを巡らせ、彼女の最後の質問に答える。
「……自分の腕を磨くのに必死で、夢を諦めていった人たちのことは……考えてない……」
「そう。みんな、自分のことで精一杯。でもさっき言った職業は、才能が関係してくる。だから夢を諦めた人が多いし、叶えた人はそういった人たちのことまで考えられない」
だからなんだと言おうとしたが、彼女の不思議な雰囲気に圧倒されてできなかった。
「君は……頑張れば一課に行けると思ってる?」
相変わらず彼女が言おうとしていることはわからないが、俺は迷わず頷いた。
俺が今ここにいるのは、そういった努力をしてきたからだ。その努力を、自らなかったことにはしたくない。
「だから、君の知り合いの頑張ってきた人たちのことを私がそんな人って言ったのが、君は気に入らない」
俺の心を見透かしたような発言に気味が悪くなる。
「……ああ」
明らかに不機嫌な声で答える。
それを待っていたと言わんばかりに、彼女は口角を上げた。
「でも私、頑張った記憶ないの。だから……私が選ばれたのは、才能?」
嫌な奴だ。こいつ、嫌な奴だ。
「……つまり、才能を持った自分は、自分のことしか考えないと?」
彼女は胸の位置まで両手を上げ、小さく拍手をした。
「ご名答。なんだ、ちゃんと考えられる人じゃん。君も才能があるんじゃない?」
……バカにしやがって。
「気は済んだか」
言い返そうとしたら、一課長に遮られた。ここのトップにそう言われてしまえば、終わらせるしかない。彼女への文句は出かかっていたが、飲み込むことにした。
「若瀬。なにか言いたいことは」
この状況で、俺になにが言える。
俺が言おうとしていたのは、ここに配属されて光栄だ、一生懸命頑張る。というような挨拶の定型文のようなもの。これ以外に思いつかなかったのだ。
しかし彼女と言い合いを終えた今、一生懸命頑張るという言葉を音にできなかった。してもいいのかという迷いがあった。
あいつらの分まで頑張りたいと思っているのは本当なのに、間違っているような気がしてきた。
「……若瀬工です。自分にできることを精一杯やっていきたいと思っています。よろしくお願いします」
隣の彼女が嘲笑しているのが、空気でわかる。
もう、顔を見たくない。
「お前は、名前言ったか?」
一課長が呆れた表情で言う。
「あれ、言ってませんでしたっけ。木崎です。木崎里津。ここにいる若瀬君は、選ばれなかった人たちの分まで頑張りたいらしいので、雑用は彼に押しつ……お任せください」
言い換えた意味があったのか。わざとらしい。押し付けろとはっきり言ってくれたほうが、いっそ清々しかった。
これが、俺と彼女、木崎里津との最悪な出会いだった。
木崎との関わりを必要最低限にしておけば、これ以上嫌な思いをすることはないと思っていた。
だが、木崎と関わらなくても最悪な日々はやってきた。