――しょだいのひほー?
当時の頭領ドリス・マーロゥは幼い娘、クラリス・マーロゥに話しかけていた。
――左様。初代から脈々と受け継がれてきたそれは、未だ誰にも触れられてはおらん。初代亡き後、大戦跡地には謎の魔力の残滓があった。鼻の利いた我等が先祖が、魔力と肉体強化魔法の混在を突き止めた。そしてその先に、まだ誰も触れたこともない『シャリスの秘宝』があったのだ。
力強く熱弁するドリス。
二人の前にぽつんと立てられた小さな墓地。
生い茂った緑が風に揺れる。
――初代の遺体はどこからも見つからなかった。だが微かな初代の臭いと、触れることも出来なかった木箱を中心として、他種族絶対不可侵の初代の墓が建てられたのだ。
自信満々に言ったドリス。
「ここが……」と、窪地になったその墓地を見つめていた。
すぐ隣には、目視出来る所に魔族領域《始祖の魔王》の墓地もあった。
それを見て、ドリスは更に言う。
――ここは、当時の初代が魔族と戦った最前線の場所でもある。向こうに見えるは汚らわしき魔族領域。絶対に近付いてはならんぞ、クラリス。
大陸北部はほとんどが魔族領域に支配されている。
獣人族は、大陸制圧に動き出していた魔族に怯え、隠れながら暮らしている現状だった。
魔族に隠れるようにして、ドリスとクラリスはここまでやってきた。
ドリスは、獣人族の現状を次期頭領に伝えるために危険を覚悟でやってきた。
魔族の力は強大で、個々の力でさえも一コロニーを制圧するほどである。
それほど魔族は、獣人族はおろか龍人族、エルフ族とも敵対の仲である――にも関わらず。
――でもさ、じーさん。
幼きクラリスは、物陰からその2つの墓地を見つめて呟いた。
――となりあってると、なかがとってもよさそうだよなァ。
――ふぉっはははは。そうか、子供にはあれがそう見えるか。そうだなぁ……。
そう言って目を細めたドリスは、優しくクラリスの頭を撫でた。
――獣人族をまとめ上げた豪傑、初代のことだ。《恐怖の魔王》とも仲良しだったかもしれんな。
○○○
「ペンダント、と木板か?」
イネスの開けた木箱を後ろから覗き込むクラリスは、怪訝そうに首を傾げる。
組紐の千切れた古いロケットペンダントと、文字が書かれている木板だった。
木板は、恐らく彼女の爪で彫ったものだろうが、それとは別に黒い血痕のようなものも各所に染みついている。仄かに微弱な魔力もこびり付いているのを、イネスは感じていた。
「死の間際に書き残したとでも、言うんですか……ッ!」
あの日、シャリスは確かにペンダントを付けていた。
そこにあったものは、シャリス・マーロゥが最期の力を振り絞って残した遺品だった。
イネスは、シャリスの死を目の前で確認することは出来なかった。
一つは、激化する戦場において向かってくる敵はシャリスだけではなかったから。その上、対シャリスとの突撃後はイネスも抜け殻になってしまっていた。でないと、死霊術師の策に溺れて永きにわたる封印を許すことも無かっただろう。
そして、もう一つ。
イネスは、親友を殺めてしまった苦しみから目をそらしてしまった。
魔族の長だからと、目の前のシャリスを置いて次の戦場に向かってしまったイネスは、ずっとそのことが気がかりだった。
――まだ、ちゃんと持っていてくれたんですね。
――……カッ。
イネスとシャリスの会話は、それで終わっていた――はずだった。
「な、なァ……。何て書いてあるんだよ、それ……」
クラリスは、ぽつりと呟いた。
「――魔族領域の魔語ってやつか? 魔力は魔力でも、嫌な感じはしねェ。代々墓場に伝わってきた居心地の良さは、これだ。初代がずっと見守ってくれてたのか……」
木板に書かれていたのは、イネスの故郷言語である魔族領域のものだったのだ。
――それなら、私も貴女方の流儀とやらに従ってみましょうか。幸いにも、もう一つあるようですしね。
――そりゃいいけど、アンタは何て書くんだよ。ってか、それ何の文字だよ。
――魔族領域の言語ですが?
――ンなの読めっかよ!!
――お互い様のようですね、ふふふ。
あの日イネスは獣人族の礼儀に習い、シャリスの持っていたもう一方のペンダントに、いたずら混じりに魔語を彫って手渡していた。
その魔語の筆跡は、シャリスの雑な文字と一致している。
特に埃を被っている木板をイネスが手で払うと、微かに文字が浮かび上がってくる。
よれよれの、まるで幼児が書いたかのような不安定な文字だ。
『アタシは、最高に楽しかったぜ』
シャリスの言葉を噛みしめるようにして、イネスは埃を払っていく。
『アンタと知り合えて、心から良かったと思う』
文字を追う度にイネスの視界が滲んでいく。
『何があってもアタシとアンタは永遠の大親友だからな。覚えとけ、イネス・ルシフェー!』
恐らく独学で、イネスの為に必死で学んだ魔語で書かれた三行のメッセージ。
イネスは、涙ながらにくすりと笑みを浮かべた。
「大事な所で、綴り間違っちゃってるじゃないですか……バカシャリス……」
「なんつーかホントに初代とアンタ、仲良かったんだなぁ……。そっか、初代は、魔語まで使ってたのか。ちょっと意外だ。初代の時代、魔族と停戦した上でここまで仲良くやってたなんてな」
木箱に入っていたもう一つのロケットペンダントを開ければ、そこにはイネスがシャリスに送ったメッセージが書かれていた。
「……やっぱ、アタシじゃ読めねェか。これは、アンタが初代に送ったやつか?」
「――っ! べ、別にいいじゃないですかっ! 何書いていても!」
――大好きなシャリス・マーロゥへ。生涯の親友、イネス・ルシファーより。
1000年前に書いたメッセージを、例え読めないとしても他人に見られるのは流石のイネスも恥ずかしかった。
隠すようにイネスはクラリスからペンダントを取り上げ、木箱の中に再び押し込めた。
イネス宛てのメッセージが書かれた木板もそそくさと仕舞い込んだイネスは、慈しむようにしてカチャリと、再び施錠していった。
「少し頼まれて下さいませんか、獣人族の頭領さん」
「……な、どうしたよいきなり改まって」
「この箱、元の場所に戻してしまってもいいでしょうか?」
あっけらかんというイネス。
「あー……いいのか?」
「えぇ、構いませんよ。」
「実は道中アンタの主の言ってることを盗み聞きしてて、アタシが見て見ぬ振りをしてやるって言っても――か?」
「えぇ。恐らくこれを使えば、シャリスは蘇生出来るでしょう」
ふと、木箱を持ちつつイネスは考える。
シャリスと再び楽しく話しながら、ローグに仕えることを。
シャリスと再び背中を合わせながら、敵に立ち向かう姿を。
かつての最愛の友と、今の最高の主と共に世界を旅していくその輝かしい未来を。
「ですが、シャリスは死してなお、獣人族の未来と、私を案じ続けてきたのですから」
コツリと、イネスは木箱を土の中に埋めていく。
「これから繁栄していくであろう獣人族と、シャリスの心をやっと聞けた私をゆっくりと見守っていて欲しいのです」
「……そっか。なら、アタシたちだけの秘密だなァこれは」
「これからは、もう少し頻回にお墓参りでもさせていただければ幸いです」
「アンタら一派なら大歓迎だ。そうさね。脅威が過ぎたってんなら、かたっくるしい獣約規範なんざいらねェ。それに子供たちは初代が大好きなんだ。はやく墓の復旧してやらねェと、初代もゆっくり眠れねェな」
「それだと、逆に騒々しくて眠れそうにありませんけどね」
「ッカッカッカ。初代は騒がしかったって有名だから、ちょうどだろ」
「間違ってはいませんね、ふふふ」
シャリス・マーロゥの墓前には、穏やかな温かい風が吹き抜けていった。
地平線の向こうから朝日が昇るその時まで。
獣人族現頭領クラリス・マーロゥと、《始祖の魔王》イネス・ルシファーは、まるでシャリスに報告するかのように、互いの今後について楽しげに語り続けていたのだった。
当時の頭領ドリス・マーロゥは幼い娘、クラリス・マーロゥに話しかけていた。
――左様。初代から脈々と受け継がれてきたそれは、未だ誰にも触れられてはおらん。初代亡き後、大戦跡地には謎の魔力の残滓があった。鼻の利いた我等が先祖が、魔力と肉体強化魔法の混在を突き止めた。そしてその先に、まだ誰も触れたこともない『シャリスの秘宝』があったのだ。
力強く熱弁するドリス。
二人の前にぽつんと立てられた小さな墓地。
生い茂った緑が風に揺れる。
――初代の遺体はどこからも見つからなかった。だが微かな初代の臭いと、触れることも出来なかった木箱を中心として、他種族絶対不可侵の初代の墓が建てられたのだ。
自信満々に言ったドリス。
「ここが……」と、窪地になったその墓地を見つめていた。
すぐ隣には、目視出来る所に魔族領域《始祖の魔王》の墓地もあった。
それを見て、ドリスは更に言う。
――ここは、当時の初代が魔族と戦った最前線の場所でもある。向こうに見えるは汚らわしき魔族領域。絶対に近付いてはならんぞ、クラリス。
大陸北部はほとんどが魔族領域に支配されている。
獣人族は、大陸制圧に動き出していた魔族に怯え、隠れながら暮らしている現状だった。
魔族に隠れるようにして、ドリスとクラリスはここまでやってきた。
ドリスは、獣人族の現状を次期頭領に伝えるために危険を覚悟でやってきた。
魔族の力は強大で、個々の力でさえも一コロニーを制圧するほどである。
それほど魔族は、獣人族はおろか龍人族、エルフ族とも敵対の仲である――にも関わらず。
――でもさ、じーさん。
幼きクラリスは、物陰からその2つの墓地を見つめて呟いた。
――となりあってると、なかがとってもよさそうだよなァ。
――ふぉっはははは。そうか、子供にはあれがそう見えるか。そうだなぁ……。
そう言って目を細めたドリスは、優しくクラリスの頭を撫でた。
――獣人族をまとめ上げた豪傑、初代のことだ。《恐怖の魔王》とも仲良しだったかもしれんな。
○○○
「ペンダント、と木板か?」
イネスの開けた木箱を後ろから覗き込むクラリスは、怪訝そうに首を傾げる。
組紐の千切れた古いロケットペンダントと、文字が書かれている木板だった。
木板は、恐らく彼女の爪で彫ったものだろうが、それとは別に黒い血痕のようなものも各所に染みついている。仄かに微弱な魔力もこびり付いているのを、イネスは感じていた。
「死の間際に書き残したとでも、言うんですか……ッ!」
あの日、シャリスは確かにペンダントを付けていた。
そこにあったものは、シャリス・マーロゥが最期の力を振り絞って残した遺品だった。
イネスは、シャリスの死を目の前で確認することは出来なかった。
一つは、激化する戦場において向かってくる敵はシャリスだけではなかったから。その上、対シャリスとの突撃後はイネスも抜け殻になってしまっていた。でないと、死霊術師の策に溺れて永きにわたる封印を許すことも無かっただろう。
そして、もう一つ。
イネスは、親友を殺めてしまった苦しみから目をそらしてしまった。
魔族の長だからと、目の前のシャリスを置いて次の戦場に向かってしまったイネスは、ずっとそのことが気がかりだった。
――まだ、ちゃんと持っていてくれたんですね。
――……カッ。
イネスとシャリスの会話は、それで終わっていた――はずだった。
「な、なァ……。何て書いてあるんだよ、それ……」
クラリスは、ぽつりと呟いた。
「――魔族領域の魔語ってやつか? 魔力は魔力でも、嫌な感じはしねェ。代々墓場に伝わってきた居心地の良さは、これだ。初代がずっと見守ってくれてたのか……」
木板に書かれていたのは、イネスの故郷言語である魔族領域のものだったのだ。
――それなら、私も貴女方の流儀とやらに従ってみましょうか。幸いにも、もう一つあるようですしね。
――そりゃいいけど、アンタは何て書くんだよ。ってか、それ何の文字だよ。
――魔族領域の言語ですが?
――ンなの読めっかよ!!
――お互い様のようですね、ふふふ。
あの日イネスは獣人族の礼儀に習い、シャリスの持っていたもう一方のペンダントに、いたずら混じりに魔語を彫って手渡していた。
その魔語の筆跡は、シャリスの雑な文字と一致している。
特に埃を被っている木板をイネスが手で払うと、微かに文字が浮かび上がってくる。
よれよれの、まるで幼児が書いたかのような不安定な文字だ。
『アタシは、最高に楽しかったぜ』
シャリスの言葉を噛みしめるようにして、イネスは埃を払っていく。
『アンタと知り合えて、心から良かったと思う』
文字を追う度にイネスの視界が滲んでいく。
『何があってもアタシとアンタは永遠の大親友だからな。覚えとけ、イネス・ルシフェー!』
恐らく独学で、イネスの為に必死で学んだ魔語で書かれた三行のメッセージ。
イネスは、涙ながらにくすりと笑みを浮かべた。
「大事な所で、綴り間違っちゃってるじゃないですか……バカシャリス……」
「なんつーかホントに初代とアンタ、仲良かったんだなぁ……。そっか、初代は、魔語まで使ってたのか。ちょっと意外だ。初代の時代、魔族と停戦した上でここまで仲良くやってたなんてな」
木箱に入っていたもう一つのロケットペンダントを開ければ、そこにはイネスがシャリスに送ったメッセージが書かれていた。
「……やっぱ、アタシじゃ読めねェか。これは、アンタが初代に送ったやつか?」
「――っ! べ、別にいいじゃないですかっ! 何書いていても!」
――大好きなシャリス・マーロゥへ。生涯の親友、イネス・ルシファーより。
1000年前に書いたメッセージを、例え読めないとしても他人に見られるのは流石のイネスも恥ずかしかった。
隠すようにイネスはクラリスからペンダントを取り上げ、木箱の中に再び押し込めた。
イネス宛てのメッセージが書かれた木板もそそくさと仕舞い込んだイネスは、慈しむようにしてカチャリと、再び施錠していった。
「少し頼まれて下さいませんか、獣人族の頭領さん」
「……な、どうしたよいきなり改まって」
「この箱、元の場所に戻してしまってもいいでしょうか?」
あっけらかんというイネス。
「あー……いいのか?」
「えぇ、構いませんよ。」
「実は道中アンタの主の言ってることを盗み聞きしてて、アタシが見て見ぬ振りをしてやるって言っても――か?」
「えぇ。恐らくこれを使えば、シャリスは蘇生出来るでしょう」
ふと、木箱を持ちつつイネスは考える。
シャリスと再び楽しく話しながら、ローグに仕えることを。
シャリスと再び背中を合わせながら、敵に立ち向かう姿を。
かつての最愛の友と、今の最高の主と共に世界を旅していくその輝かしい未来を。
「ですが、シャリスは死してなお、獣人族の未来と、私を案じ続けてきたのですから」
コツリと、イネスは木箱を土の中に埋めていく。
「これから繁栄していくであろう獣人族と、シャリスの心をやっと聞けた私をゆっくりと見守っていて欲しいのです」
「……そっか。なら、アタシたちだけの秘密だなァこれは」
「これからは、もう少し頻回にお墓参りでもさせていただければ幸いです」
「アンタら一派なら大歓迎だ。そうさね。脅威が過ぎたってんなら、かたっくるしい獣約規範なんざいらねェ。それに子供たちは初代が大好きなんだ。はやく墓の復旧してやらねェと、初代もゆっくり眠れねェな」
「それだと、逆に騒々しくて眠れそうにありませんけどね」
「ッカッカッカ。初代は騒がしかったって有名だから、ちょうどだろ」
「間違ってはいませんね、ふふふ」
シャリス・マーロゥの墓前には、穏やかな温かい風が吹き抜けていった。
地平線の向こうから朝日が昇るその時まで。
獣人族現頭領クラリス・マーロゥと、《始祖の魔王》イネス・ルシファーは、まるでシャリスに報告するかのように、互いの今後について楽しげに語り続けていたのだった。