膨大な魔力で巻き上げられた砂煙の中から、イネスは姿を現した。
 辺りはもはや更地と化している。
 それほどジャッジとの戦いは激しかった。
 膨大な魔力の内、片方が掻き消えただけで通りが良くなった風の音が残った3人を包んだ。

 コツ、コツ、コツと――。

 風の音に乗って、彼女のヒール音が土を鳴らす。
 魔力の暴発を一つの腕で支えてのけたローグに、徐々に黒い触手も四肢に分散しかけているニーズヘッグ。
 巨大化して座り込むニーズヘッグの首元にローグは寄りかかっていた。
 二人とも、魔力も気力も尽きかけて動こうとする気配もない。

 紅翼と紅角にはまだまだ余力が残されている。
 彼女が腕と翼を一振りすれば、今のローグたちなど一瞬でジャッジと同じ運命を辿るだろう。

 ――死霊術師(ネクロマンサー)は、常に配下より強くなくてはならない。

 死霊術師(ネクロマンサー)としての常識と掟は、今この場に置いては完全に崩壊する。

 ローグは、含み笑うようにイネスを見つめるままだ。
 ニーズヘッグももはや『なるようになれ』とでも言ったように、首を下ろしている。

 コツ、コツ、コツと。

 血の色に染められた厳しい目つきで、彼女はローグたちの前に立った。
 
 そして――。

 イネスは紅の翼と角を引っ込めて、ローグたちへ向けて片膝をついて、断言した。

「この身体は御身の為に。イネス・ルシファー、ただいま戻りました」

 いつも通りの声と、いつも通りの表情でイネスは柔らかい笑みを浮かべる。

「おう、お帰り。調子はどうだ」

「おかげさまで、上々です」

 そんな、いつものような他愛のない会話を繰り返す二人。
 思わずニーズヘッグもほっと一息ついてその首をゆっくり下ろした。

『して、主よ。本来の目的はどうする』

「……っと忘れてた。そうだそうだ、今なら探すにちょうどいいじゃないか」

 二人の会話に、イネスは頭にはてなを浮かべる。

「獣人族初代頭領、シャリス・マーロゥ。死霊術師(ネクロマンサー)として、最後に《受肉術》を施そうと思ってるんだ」

「シャ、シャリスを……ですか!?」

「あぁ。古来のお前とタイマン張れたってのもあるしな。それに、獣人族を一番最初にまとめ上げたカリスマ性、そしてお前と仲が良いときた。俺にとってもやりやすいことこの上ない」

 ドーン! と、強く宣言するローグは有無を言わせない気迫があった。
 「イネスもそれで良いだろう!?」と迫るローグにイネスは困ったように笑うしかない。

「よし、そうと決まれば! こんな所でグズグズしてる場合じゃねぇ……!」

 疲労しきった身体を引きずって、ローグは更地になった墓地へと向かっていく。

『シャリス・マーロゥの墓荒らし事件。主が今もっともそれに近いな。くはははは』

 死霊術師の《受肉術》への発動条件の一つとして、対象者の骨片でも欠片でも残っていることが必須として存在する。
 遥か1000年前、完全に姿を消し去ったシャリス・マーロゥの体の欠片一つ見つけることすら到底怪しい。
 それは、広大な砂漠の奥深くに眠る小さな小さな金を見つけるほどだろう。

 瘴気(ミアスマ)の影響も完全に消え去ったイネスとシャリスの墓地間を忙しなく行き来して地面を見つめる主を見つめながら、ニーズヘッグはふとイネスの様子を伺った。
 その表情は、やはりどこか陰りが見える。

『どうした、イネス』

「いえ……」

 イネスは瘴気(ミアスマ)の脅威も去り、更地になった窪地をふと遠い目で見ていた。

 ――妙に懐かしい香りですが……。

 夜風に乗って漂うその香りには、隣のニーズヘッグも主のローグも気付いていないようだ。

「……シャリ、ス?」

 困惑しつつも、血眼になって体の欠片でも見つけようと探す主をイネスはじっと見つめるままでいた。

○○○

 落胆したローグの姿は、配下のイネスの目からしても新鮮だった。
 疲れ切った上に、探しても探してもついぞシャリスの体の断片一つすら見つからなかったのだ。
 まぁ、当たり前と言えば当たり前なのだが――。
 さも当然のように墓荒らし紛いのことをするローグに、ニーズヘッグもイネスも苦笑いを隠せずにいた。

「ひ、久々に見ましたが、何というかその、倫理的に――」
『くはははは、今さらだな』
「あなたを蘇生させる時は確か、霧の国(ニヴルへイム)に代々受け継がれてきていた伝説の剣を素材として復活させたのを覚えています」
『な、生々しい話だな……。だ、だが本当に一部の断片から完全復活をするのは我で証明されている、ということか』
「そういうことですね」

 他愛ない話を繰り広げる配下二人だが、主の表情は暗い。
 「ま、やっぱ無理だよなぁ。そりゃ1000年前だもんなぁ……」と。
 ぶつぶつ呟きながら、森から引き返そうとするローグ。
 ニーズヘッグは巨大化を解いて、パタパタとローグの頭上を旋回するほどには回復しているようだった。

「イネスー。さっさと帰るぞー」

 ローグはちょいちょいとイネスを呼び寄せるなかで、イネスは意味ありげに呟きながら、苦笑いを浮かべた。

「すみません、ローグ様。もうしばらくだけ、ここに居させていただけませんか」

 消え入るようなイネスにローグは「あー……」とだるそうに手を持ち上げる。

「……ちゃんと戻ってくるならな」

 背を向けたまま言い放ったローグに、イネスは小さく頭を下げた。

「さて――」

 ふと懐かしい香りがした方向へと気付けば足が向いていた。
 そこは奇しくも、イネスとジャッジの戦いによって崩壊していたシャリス・マーロゥ墓地の真下からだ。
 ぐっと唇を噛みしめて、イネスはシャリスの墓の前に腰を下ろした――。