「――シャリス! 聞こえますか、シャリス!! 返事をしなさい、シャリスッ!!」
悲痛なイネスの叫びも、暴走するそれには届かない。
ジャッジは、含むように笑う。
「イネス様。一応、あれでも姿を隠しているのですから、個人名を叫ばれるのは些か不味いような気がします」
「……ぐ……!」
配下に冷静に宥められ、イネスは歯を食いしばりながら大地を踏みしめる。
その隙に、ジャッジは少しでも情報を引き出そうとイネスに詰め寄った。
「あのような現象、見覚えがありませんね。強いて言うならば、魔力暴走の末路でしょうか。あれの周囲に迸るオーラは、まさしく魔力のそれですが……」
ジャッジとて、目前でそれを確認するのは初めてだった。
だが、思い当たる節がないわけではない。
「魔族領域には、古来より魔族のみしか生きられないような造りになっている。聖地林からやってきた野生動物が、魔族領域で突然変異化する現象はよく起こり得ていましたが、それが人類・亜人類にも適用され得る、とのことでしょうか……?」
聖地林に居を置く野狼が、何らかの間違いで魔族領域に迷い込み、筋肉狼などの狼系魔獣へと突然変異を起こす現象などに代表されるような野生動物の魔獣化は、魔族領域でも時たま観測されていたことではある。
だが、その観測範囲は動物程度のものであり、人類・亜人類までには範囲が及んではいなかった。
とはいえ、好き好んで魔族領域に寄る者がいなかっただけの話でもあるのだが――。
冷静さを欠いているイネスは、現れた黒い化け物の後を目線で追う。
「そんなもの、承知していますよ! ジャッジ、あなたは戦線の維持に努めなさい!」
『あの化け物は野生動物以外の人類にでも作用する』というイネスの言質に、にやりと笑み、ジャッジは問う。
「イネス様は、どちらに?」
「敵味方問わず屠る彼女を止めなければ、朝になれば我々とて全滅してしまいますからね」
「イネス様は、あの人の形をした化け物を止められるのですか?」
イネス、ジャッジの目線の先には、まさしく化け物がそこにいた。
身体は黒いもやが纏われ、その吐息の色は黒く、淀んでいる。
瞳は紅に変色し、十指の先にはゾンビの肉片がこびり付いている。
「止めに行かねば、ならないのですよ……!」
イネスの額に、冷や汗が混じる。
「ゥ……オ……ッヵ……ヵ!」
戦場を荒らし回るその化け物は、明らかに獣人族の力を超越していた。
魔法力の気配はなく、代わりに彼女の身体は膨大な魔力に埋もれていた。
「ジャッジ。今、この場は任せても、いいですね?」
とても味方に見せつけるものではない膨大な《破壊》の因子を纏ったイネスの拳に、ジャッジは眉間に皺を寄せつつ、「――仰せのままに」とだけ呟いた。
イネスとて、もはやジャッジの裏切りなどはとうに見えている。
だが、この場だけでも味方せねば、直接屠ると。そう宣言しているに等しかった。
三対の黒翼を、月沈み行く天へと大きく掲げたイネスは、全速力で黒の化け物の後を追っていく。
「人も魔物たり得るのだな。面白いものを見させて頂きました。それにしても、《恐怖の象徴》ともあろうお方が、嘆かわしい」
紫色の、不死鳥のごとき翼を象った両腕を振り、消えない紫炎を敵に浴びせかけるジャッジ。
灼熱の炎をぶつけられた不死の軍勢は、高密度の炎に焼けただれ、粒子となって消えていく。
「あなたは、随分と弱くなられた。とてもではないが、魔族を率いる器ではない」
黒き化け物と化した獣人族が向かおうとしている先には、一人の術師がいる。
この連日やってくる《不死の軍勢》を率いる、死霊術師という名の特殊職を有した人間だ。
今回の人間たちの、魔族領域侵攻も彼無しでは為し得なかっただろう。
それに、前もって知っていなければジャッジとて、今のような落ち着きもなかった。
人類側が望むは、《恐怖の象徴》であり絶対的な力を持つイネス・ルシファーの没落。
ジャッジが望むは、魔族の真なる勃興。
「イネス・ルシファーさえ堕とせば魔族も終わり同然と考えたのは人間らしいが、奴等も大きな勘違いをしたものだ」
その二つが噛み合ったことによる今回の襲撃に、ジャッジはふと溜息をついた。
「今のイネス・ルシファーは、お前たちが思うほどに《恐怖の象徴》でも、《絶対的な力》をも持て余しておらんよ。それに――」
――イネス・ルシファー亡き後は、ジャッジ・フェニックスの天下が待ち受けているのだから。
抱き続けていた野望をぐっと胸にしまい、ジャッジは魔力を振るい続けていくのだった。
悲痛なイネスの叫びも、暴走するそれには届かない。
ジャッジは、含むように笑う。
「イネス様。一応、あれでも姿を隠しているのですから、個人名を叫ばれるのは些か不味いような気がします」
「……ぐ……!」
配下に冷静に宥められ、イネスは歯を食いしばりながら大地を踏みしめる。
その隙に、ジャッジは少しでも情報を引き出そうとイネスに詰め寄った。
「あのような現象、見覚えがありませんね。強いて言うならば、魔力暴走の末路でしょうか。あれの周囲に迸るオーラは、まさしく魔力のそれですが……」
ジャッジとて、目前でそれを確認するのは初めてだった。
だが、思い当たる節がないわけではない。
「魔族領域には、古来より魔族のみしか生きられないような造りになっている。聖地林からやってきた野生動物が、魔族領域で突然変異化する現象はよく起こり得ていましたが、それが人類・亜人類にも適用され得る、とのことでしょうか……?」
聖地林に居を置く野狼が、何らかの間違いで魔族領域に迷い込み、筋肉狼などの狼系魔獣へと突然変異を起こす現象などに代表されるような野生動物の魔獣化は、魔族領域でも時たま観測されていたことではある。
だが、その観測範囲は動物程度のものであり、人類・亜人類までには範囲が及んではいなかった。
とはいえ、好き好んで魔族領域に寄る者がいなかっただけの話でもあるのだが――。
冷静さを欠いているイネスは、現れた黒い化け物の後を目線で追う。
「そんなもの、承知していますよ! ジャッジ、あなたは戦線の維持に努めなさい!」
『あの化け物は野生動物以外の人類にでも作用する』というイネスの言質に、にやりと笑み、ジャッジは問う。
「イネス様は、どちらに?」
「敵味方問わず屠る彼女を止めなければ、朝になれば我々とて全滅してしまいますからね」
「イネス様は、あの人の形をした化け物を止められるのですか?」
イネス、ジャッジの目線の先には、まさしく化け物がそこにいた。
身体は黒いもやが纏われ、その吐息の色は黒く、淀んでいる。
瞳は紅に変色し、十指の先にはゾンビの肉片がこびり付いている。
「止めに行かねば、ならないのですよ……!」
イネスの額に、冷や汗が混じる。
「ゥ……オ……ッヵ……ヵ!」
戦場を荒らし回るその化け物は、明らかに獣人族の力を超越していた。
魔法力の気配はなく、代わりに彼女の身体は膨大な魔力に埋もれていた。
「ジャッジ。今、この場は任せても、いいですね?」
とても味方に見せつけるものではない膨大な《破壊》の因子を纏ったイネスの拳に、ジャッジは眉間に皺を寄せつつ、「――仰せのままに」とだけ呟いた。
イネスとて、もはやジャッジの裏切りなどはとうに見えている。
だが、この場だけでも味方せねば、直接屠ると。そう宣言しているに等しかった。
三対の黒翼を、月沈み行く天へと大きく掲げたイネスは、全速力で黒の化け物の後を追っていく。
「人も魔物たり得るのだな。面白いものを見させて頂きました。それにしても、《恐怖の象徴》ともあろうお方が、嘆かわしい」
紫色の、不死鳥のごとき翼を象った両腕を振り、消えない紫炎を敵に浴びせかけるジャッジ。
灼熱の炎をぶつけられた不死の軍勢は、高密度の炎に焼けただれ、粒子となって消えていく。
「あなたは、随分と弱くなられた。とてもではないが、魔族を率いる器ではない」
黒き化け物と化した獣人族が向かおうとしている先には、一人の術師がいる。
この連日やってくる《不死の軍勢》を率いる、死霊術師という名の特殊職を有した人間だ。
今回の人間たちの、魔族領域侵攻も彼無しでは為し得なかっただろう。
それに、前もって知っていなければジャッジとて、今のような落ち着きもなかった。
人類側が望むは、《恐怖の象徴》であり絶対的な力を持つイネス・ルシファーの没落。
ジャッジが望むは、魔族の真なる勃興。
「イネス・ルシファーさえ堕とせば魔族も終わり同然と考えたのは人間らしいが、奴等も大きな勘違いをしたものだ」
その二つが噛み合ったことによる今回の襲撃に、ジャッジはふと溜息をついた。
「今のイネス・ルシファーは、お前たちが思うほどに《恐怖の象徴》でも、《絶対的な力》をも持て余しておらんよ。それに――」
――イネス・ルシファー亡き後は、ジャッジ・フェニックスの天下が待ち受けているのだから。
抱き続けていた野望をぐっと胸にしまい、ジャッジは魔力を振るい続けていくのだった。