「んだぁ? いつもより身体が火照って仕方がねェな」
蹴りを繰り出して、敵の身体を貫いてく。
拳を突き出して、ゾンビの胸に大きな穴を作る。
汚く腐った肉片のついた腕を振り払いながら、シャリスは自身の腕を見て首を傾げる。
「お、おぉ……何だこれ、めっちゃうねってんじゃねぇか……。マジやばそーだな、これ」
半笑いで、シャリスは自身の身体の異変を目で捕らえていた。
脳裏に過ぎったのは、イネスと狩ったとある獣の思い出だった。
イネスの統治する領域――魔族領域を訪れるようになってしばらく経ってのことだった。
数ヶ月前、突然胸の中央に黒い斑点が出来はじめた。
最初は、単なる出来物だろうと思いつつ放置していたそれは、徐々に大きな青痣となってきた。
そろそろ、部族の者にも隠しきれないと思い始めたその矢先、両胸に跨がるように大きくなっていた青痣は、両の手足へと、まるで身体の中心から線が延びるようにして動いていった。
胸の中心にあった大痣は、身体全身に纏わり付くような線となって分散していったのだった。
だからこそ、親友の指摘にも、シャリスは誤魔化せていた。
――ところでシャリス。あなた、その刺繍は新しいお洒落ですか?
魔族領域のとある一角。元は聖地林にいた牙狼という種類の食肉類だったが、魔族領域に迷い込み、突然変異を受けて筋肉狼という種の魔物へと変化した動物を仕留めたイネスは、当時シャリスにそう聞いた。
――あー……。まぁな。んな大したモンじゃねェんだが。
――山の部族って感じで、格好良いじゃないですか。
――アンタ、何気にアタシのこと馬鹿にしてねェか……?
――そ、そんなことありませんよ!? ただ本当に、格好良いなぁと思っているだけですから!
――は、どーだか……。
当時のイネスたち魔族の仕事には、魔族領域に迷い込んでしまい、突然変異を受けて魔物に変化してしまった動物を討伐するというものもあった。
それは魔族領域、聖地林双方の生態系の維持のためでもあるが、原因は不明のままだった。
普段、人も動物も一切近寄ろうとしない魔族領域において、そのようなことが起こることこそが稀であったからだ。
だが、突然変異体が現れることによる生態系の変異は馬鹿には出来ない。
シャリスも部族統一がひとまず安定し、イネスも恐怖統治が全世界に轟くほどにはお互いの大仕事は片がつき始めていた。
ちょうど、このような突然変異体が現れぬように詳しく調査を始めようと考えていた、そんな時に起こった異変だった。
「……突然変異体ってよりは、どう考えてもアタシの身体の中に流れるこれは、魔力だな。なんだ……? アタシの魔法力を、喰らってやがんのか……?」
魔法力を身体に循環・強化させて戦うのが真骨頂である獣人族。
見えない力の機微には、少々敏感なところがある。
「肉体強化魔法、破爪!」
シャリスが爪先に魔法力を練り上げると、十指それぞれが鋭い細剣のように真っ直ぐ爪が伸びていく。
「黒いな」
ふと、練り上げ具現化させた爪を見て、シャリスはぼやく。
通常、破爪を具現化させれば、月に反射し光輝く銀に近い色の獲物が出来上がる。
それこそ、魔法力による具現化物であるからだ。
だが、今シャリスの目の前に現れたものは、それとは全く真逆の黒色。
白と黒が混ざり合ったような、禍々しい、暗黒にも似た色の獲物が出来上がっていた。
トクン。
「……っ」
シャリスの身体の中の鼓動が、小さく活気づいた。
彼女の身体に纏わり付く、黒い紋様が蠢き始めていた。
「……やけに身体が軽いな。自分の身体じゃないみたいだ」
具現化させた、細剣まがいの爪を今一度見る。
仮面の向こうに見えるそれは、まるで自分の身体から生成されたものとは思えないほど黒光りしている。
「ォォォォォヴァ!!」「コッカ、コクカ、コクカ……カァ?」
ようやく我に返ったシャリスが辺りを見回すと、《不死の軍勢》に囲まれていた。
周りに味方は誰一人もいない。視界の端では、《破壊》の因子を持つイネスの破壊魔法と、消せない紫色の炎を放つ不死鳥魔法の使い手ジャッジが、次々と周りの敵を空に吹き飛ばしては、消し去っていく。
おおよそその2人だけの奮闘で、500ほどの軍勢は消し炭に出来ているだろう。
日の出までは後一刻ほど。
太陽さえ昇れば、この不気味な軍勢は音も無く地中へと還っていき、次の夜まで新たな猶予が与えられる。
「――術者が、視える」
イネスも、ジャッジも、この一日をやり過ごすために戦っている。
だが、シャリスは偶然にも視えてしまっていた。
普段よりも数十倍効くその耳が、目が、感覚が、彼女に今までにない高揚感と戦闘意欲をもたらしていた。
「魔族領域最東端……いや、聖地林付近。アタシとイネスが出会った、あの場所か――ッ!」
ざわりと、身体中の全ての毛が逆立った。
シャリスの身体から、黒いもやのような物が立ち込める。
「ッカッカッカ! テメェら全員、ぶっ飛ばしてやらぁぁぁぁぁ!!」
シャリスが、両腕を一振りすれば一瞬で数十の軍勢が空へ霧散していった。
目の前を埋め尽くすほどの軍勢を前にして、一歩も退くことはなかった。
スケルトンが、手持ちの剣でシャリスの身体に傷を与える。
――が。
「しゃらくせぇッ!!」
斬られたシャリスの肩口は、黒いオーラが生じて一瞬で傷が塞がっていく。
普段よりも更に力を抑えた状態で指を振るっても、今までの倍ほどのスピードと剣撃力が発揮されていた。
「なんだ、これ……ッ!」
ドクン。
「力が、無限に溢れ出てくるじゃねェか……!!」
ドクン、ドクン。
鼓動は更に高鳴り、止めどない殺戮欲求が彼女を支配していく。
――楽しい。
細剣のごとき十指を、舞い踊るように振るう。
――どんどん斬っても、終わらねぇ……!! ずっと、アタシは輝ける……ッ!!
ドクン、ドクン、ドクン。
シャリスの眼前は、少しずつ暗転していった。
温かいゾンビの腐りきった血と、スケルトンのばらまいた骨粉をその身に浴び続けて。
「カッカッカッヵ! なぁ、イネス! 見ろよ、見てろよ! 術者なんて、アタシが――……術者? ……あれ、何してんだ、アタシ……。術者……? 術者って、なんだ? イネス? 誰……だ?」
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン。
「――リス! ――ますか、――ス!! 返事を――」
「……ぁに言ってんか、聞こえねぇぞ……? イネス……? イネ――?」
シャリス・マーロゥの意識は、そこを最後に途絶えた。
身体中に纏わり付いていた紋様が増大し、彼女の全身を黒く、深く覆い尽くしていった。
聖地林を統一し、全獣人族の頂点に立った伝説の獣人族、シャリス・マーロゥ。
彼女の最期については、どの文献にも記されてはいない――。
蹴りを繰り出して、敵の身体を貫いてく。
拳を突き出して、ゾンビの胸に大きな穴を作る。
汚く腐った肉片のついた腕を振り払いながら、シャリスは自身の腕を見て首を傾げる。
「お、おぉ……何だこれ、めっちゃうねってんじゃねぇか……。マジやばそーだな、これ」
半笑いで、シャリスは自身の身体の異変を目で捕らえていた。
脳裏に過ぎったのは、イネスと狩ったとある獣の思い出だった。
イネスの統治する領域――魔族領域を訪れるようになってしばらく経ってのことだった。
数ヶ月前、突然胸の中央に黒い斑点が出来はじめた。
最初は、単なる出来物だろうと思いつつ放置していたそれは、徐々に大きな青痣となってきた。
そろそろ、部族の者にも隠しきれないと思い始めたその矢先、両胸に跨がるように大きくなっていた青痣は、両の手足へと、まるで身体の中心から線が延びるようにして動いていった。
胸の中心にあった大痣は、身体全身に纏わり付くような線となって分散していったのだった。
だからこそ、親友の指摘にも、シャリスは誤魔化せていた。
――ところでシャリス。あなた、その刺繍は新しいお洒落ですか?
魔族領域のとある一角。元は聖地林にいた牙狼という種類の食肉類だったが、魔族領域に迷い込み、突然変異を受けて筋肉狼という種の魔物へと変化した動物を仕留めたイネスは、当時シャリスにそう聞いた。
――あー……。まぁな。んな大したモンじゃねェんだが。
――山の部族って感じで、格好良いじゃないですか。
――アンタ、何気にアタシのこと馬鹿にしてねェか……?
――そ、そんなことありませんよ!? ただ本当に、格好良いなぁと思っているだけですから!
――は、どーだか……。
当時のイネスたち魔族の仕事には、魔族領域に迷い込んでしまい、突然変異を受けて魔物に変化してしまった動物を討伐するというものもあった。
それは魔族領域、聖地林双方の生態系の維持のためでもあるが、原因は不明のままだった。
普段、人も動物も一切近寄ろうとしない魔族領域において、そのようなことが起こることこそが稀であったからだ。
だが、突然変異体が現れることによる生態系の変異は馬鹿には出来ない。
シャリスも部族統一がひとまず安定し、イネスも恐怖統治が全世界に轟くほどにはお互いの大仕事は片がつき始めていた。
ちょうど、このような突然変異体が現れぬように詳しく調査を始めようと考えていた、そんな時に起こった異変だった。
「……突然変異体ってよりは、どう考えてもアタシの身体の中に流れるこれは、魔力だな。なんだ……? アタシの魔法力を、喰らってやがんのか……?」
魔法力を身体に循環・強化させて戦うのが真骨頂である獣人族。
見えない力の機微には、少々敏感なところがある。
「肉体強化魔法、破爪!」
シャリスが爪先に魔法力を練り上げると、十指それぞれが鋭い細剣のように真っ直ぐ爪が伸びていく。
「黒いな」
ふと、練り上げ具現化させた爪を見て、シャリスはぼやく。
通常、破爪を具現化させれば、月に反射し光輝く銀に近い色の獲物が出来上がる。
それこそ、魔法力による具現化物であるからだ。
だが、今シャリスの目の前に現れたものは、それとは全く真逆の黒色。
白と黒が混ざり合ったような、禍々しい、暗黒にも似た色の獲物が出来上がっていた。
トクン。
「……っ」
シャリスの身体の中の鼓動が、小さく活気づいた。
彼女の身体に纏わり付く、黒い紋様が蠢き始めていた。
「……やけに身体が軽いな。自分の身体じゃないみたいだ」
具現化させた、細剣まがいの爪を今一度見る。
仮面の向こうに見えるそれは、まるで自分の身体から生成されたものとは思えないほど黒光りしている。
「ォォォォォヴァ!!」「コッカ、コクカ、コクカ……カァ?」
ようやく我に返ったシャリスが辺りを見回すと、《不死の軍勢》に囲まれていた。
周りに味方は誰一人もいない。視界の端では、《破壊》の因子を持つイネスの破壊魔法と、消せない紫色の炎を放つ不死鳥魔法の使い手ジャッジが、次々と周りの敵を空に吹き飛ばしては、消し去っていく。
おおよそその2人だけの奮闘で、500ほどの軍勢は消し炭に出来ているだろう。
日の出までは後一刻ほど。
太陽さえ昇れば、この不気味な軍勢は音も無く地中へと還っていき、次の夜まで新たな猶予が与えられる。
「――術者が、視える」
イネスも、ジャッジも、この一日をやり過ごすために戦っている。
だが、シャリスは偶然にも視えてしまっていた。
普段よりも数十倍効くその耳が、目が、感覚が、彼女に今までにない高揚感と戦闘意欲をもたらしていた。
「魔族領域最東端……いや、聖地林付近。アタシとイネスが出会った、あの場所か――ッ!」
ざわりと、身体中の全ての毛が逆立った。
シャリスの身体から、黒いもやのような物が立ち込める。
「ッカッカッカ! テメェら全員、ぶっ飛ばしてやらぁぁぁぁぁ!!」
シャリスが、両腕を一振りすれば一瞬で数十の軍勢が空へ霧散していった。
目の前を埋め尽くすほどの軍勢を前にして、一歩も退くことはなかった。
スケルトンが、手持ちの剣でシャリスの身体に傷を与える。
――が。
「しゃらくせぇッ!!」
斬られたシャリスの肩口は、黒いオーラが生じて一瞬で傷が塞がっていく。
普段よりも更に力を抑えた状態で指を振るっても、今までの倍ほどのスピードと剣撃力が発揮されていた。
「なんだ、これ……ッ!」
ドクン。
「力が、無限に溢れ出てくるじゃねェか……!!」
ドクン、ドクン。
鼓動は更に高鳴り、止めどない殺戮欲求が彼女を支配していく。
――楽しい。
細剣のごとき十指を、舞い踊るように振るう。
――どんどん斬っても、終わらねぇ……!! ずっと、アタシは輝ける……ッ!!
ドクン、ドクン、ドクン。
シャリスの眼前は、少しずつ暗転していった。
温かいゾンビの腐りきった血と、スケルトンのばらまいた骨粉をその身に浴び続けて。
「カッカッカッヵ! なぁ、イネス! 見ろよ、見てろよ! 術者なんて、アタシが――……術者? ……あれ、何してんだ、アタシ……。術者……? 術者って、なんだ? イネス? 誰……だ?」
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン。
「――リス! ――ますか、――ス!! 返事を――」
「……ぁに言ってんか、聞こえねぇぞ……? イネス……? イネ――?」
シャリス・マーロゥの意識は、そこを最後に途絶えた。
身体中に纏わり付いていた紋様が増大し、彼女の全身を黒く、深く覆い尽くしていった。
聖地林を統一し、全獣人族の頂点に立った伝説の獣人族、シャリス・マーロゥ。
彼女の最期については、どの文献にも記されてはいない――。