「理解できたかい、イネス・ルシファー。これが、今の聖地林(リートル)の現状さ」

 大量の屍の上に立つクラリスは、腐人たちの汚れた肉片のついた頬を手甲で拭いつつ空を見上げた。
 戦闘不能に陥った《不死の軍勢》は、黒い粒子となって宙へと霧散していく。

「戦闘不能になれば、一時死霊術師(ネクロマンサー)空間に戻して再構築を図る、ということでしょうね」

「そのネクロなんだかってのはよく分かんねぇが、これが毎晩繰り返されてんだ。アタシがここを防衛してねぇと、『聖のゆりかご』にまで押し寄せちまう可能性が高ェからな。今は出現地域はシャリスの墓前に限局しているが、今後もそうとは限らねェもんだ」

 首をコキコキと回しながら、疲労も深そうに笑うクラリスに、イネスは疑念の目を送る。

「なるほど、私たちはとてもタイミングの悪い時期にお邪魔してしまったようですね」

「そーいうこった。とはいえティアたちの客だっていうアンタらにゃ、悪ぃことしたな。ティアの気持ちも分かんなくはねーけど、今はとてもじゃないが、な」

 軽やかに笑うクラリスは、獣人族特有の効く鼻(・・・)を抑えて嫌悪感を露わにしていた。

「ま、今夜の用事は終わったようなモンだ。今日のアタシの勤めは終わりって言いたいところだが、せっかくだ」

 そう言って、クラリスはポケットに手を突っ込んだ。
 呆気にとられるイネスに構わず、モノを投げてイネスに渡した。

「これでも食いながら、アンタのこと教えてくれ。初代の話を直に聞けるってのは、なかなかねェしな。それ、聖地林(リートル)原産カリンだ。まだ汚染されていないトコから収穫したもんだ。安心してくれ」

 イネスが受け取ったそれは、拳大ほどの丸い果物のようだった。
 真っ赤な皮と、少しだけ緑色の残るヘタ部分をつまむイネスは、「どうも」とだけ言葉を返す。

「務め終わりはこれ食って元気出してんだ。っか~~~! この酸っぱ甘いのがたまんないねェ!」

 しゃくり、しゃくりと心地の良い咀嚼音を奏でながら皮ごと貪って、尻尾をふりふり揺らすティアリスに倣って、イネスも小さく口を開けた。

「……懐かしいですね、この味は」

「んだよ、食ったことあんじゃねェか」

「1000年ほど昔の話ですけどね」

 既に芯だけとなっていながらも、大きな口をあんぐりと開けて最後までバリボリ囓るクラリスは、からかい気味にイネスを見つめる。

「なぁ、イネス・ルシファー。アタシと初代ってのは、そんなに似てるのかい?」

「そうですね。出会いから何から、瓜二つと言っても過言ではないでしょう。彼女と一番最初に出会った時も、戦闘スタートでしたからね」

 遠い昔を懐かしむようにして、カリンを口に含みつつ、イネスは墓前で語る。
 遥か1000年前に、魔族の長としてたった独り《恐怖の象徴》を続けていたこと。

 現実逃避するように、魔族領域(ダレス)から足を伸ばしてみたところ、この場所でシャリス・マーロゥという獣人族に出会った。

 もちろん、敵対している獣人族と魔族。初見での衝突は避けられず、辺り一帯の地形を変えるほどの三日三晩の肉弾戦から彼女らの関係は始まった。

「……なるほどな。初代の墓や、アンタの墓付近が狭い盆地みたいになってたのは、そういうことだったか。聖地林(リートル)の中でも、ここらは特に土地が低いからな。にしても、こんだけ地形変えるとなっちゃ相当だな……」

「1000年も経てば、新たな地形が出来ます。景観も、随分変わりましたよ」

 そう言いながら、イネスは続ける。

 当時、いくつもの部族が連なる獣人族はこの聖地林(リートル)での部族間抗争も頻発しており、獣人族自体の数も激減しつつあった。
 そんな中、最も部族構成人数の少ないマーロゥ族の長であったシャリス・マーロゥとの出会いは、互いが互いに大きすぎる悩みを抱えていた。
 部族間抗争、内部崩壊などで身内ですらも信用出来なくなっていたシャリス・マーロゥ。
 身内に決して弱みを見せられず、《恐怖の象徴》であり続けることを選んだイネス・ルシファー。

 そんな孤独を抱える二人が、種族を超えた友情を芽生えさせるのに、そう時間はかからなかった。

「魔族の権威を知らしめるために獣人族を利用させて貰いましたし、彼女の部族統一にも随分と力を貸しました」

「……ん、ちょっと待てよ、確か初代の頃、魔族が獣人族にだけ侵略を掛けてきて、それに耐えうる部族を作るとかで先だって、ウチの初代が出しゃばった上で、統一を果たしたって伝承が残ってたんだが……!?」

「ふふふ。提案したのは私ですよ」

「……マジかよ……ガッチガチのサクラじゃねェかよ……初代の伝説……」

 イネス・ルシファーとシャリス・マーロゥの秘密裏での談合により決まった結果、魔族は自身の権威を示すだけ示すことが出来た。実害を与えずに態度だけ、獣人族を侵略するような素振りを他国に見せつける一方、共通敵を見つけた獣人族は、対処法の分かる(・・・・・・・)シャリスを中心として、徹底抗戦する素振りを見せつけた。
 かくして、イネス・ルシファーの戦略的な恐怖支配と、シャリス・マーロゥの戦略的な部族統一は成し遂げられたのだった。

「……初代の頃の部族も、よくそれで反発しなかったよな」

獣人族(かれら)が手を出さない限り、魔族(こちら)も決して手を上げることはありませんでしたからね。隣り合わせとなっている聖地林(リートル)魔族領域(ダレス)は世間一般では衝突が多い、なんて言われていましたが、流血沙汰は一度もなかったですし」

「おぉ……そ、それ、頼むから墓まで持ってってくんねェかな……」

「ふふ、もちろん承知していますよ」

 そんな歴史の裏に葬り去られていたトンデモ情報が改めて流れるとなると、再び獣人族は混沌に陥るだろう。
 イネスはクスクスと笑いながら、思い出話に花を咲かせていた。
 そんなイネスを見て、クラリスはおずおずと問う。

「そ、そんじゃさ……教えてもらっていいかな。今のアンタから考えると、アタシはどーも信じられないことなんだけどさ」

 クラリスは、一呼吸を置いて――言い放つ。

「初代は、始祖の魔王(アンタ)に殺された……。これは、本当か?」

 その問いを、イネスは来ると知っていて、逃げなかった。
 胸元にしまった、木彫りのペンダントを見つめて、イネスは寂しそうに呟いた。

「私が彼女をこの手に掛けたことというならば、紛れもない、事実ですよ」

 クラリスの尻尾が、ふわりと小さく逆立つのを見据えながらイネスは毅然と立ち尽くしていた。