『聖のゆりかご』の、とある古びた一軒家。
 家の周りは、頭領クラリス・マーロゥ親衛隊が取り囲んでいる。
 今度こそ、ネズミ一匹取り逃がさないようにと、厳重に。

「ししょー、おかえりなさいです」

「おぉ、ミカエラ。ニーズヘッグの様子はどうだ?」

「先ほどから連続的に回復魔法をかけ続けているので、安静状態に入っています」

 そう言うミカエラは、両腕から放出される癒やしの光で膝上のニーズヘッグを包み込んでいる。
 当のニーズヘッグは、ぐったりとミカエラの膝上で目を瞑っている。

『あぁ、主よ……。帰ってきたのか……。我はちと、身体が重たくてな……どうも、ここの空気が合わぬようだ……くはははは……』

 半眼で呟くニーズヘッグに、ローグは苦笑いを浮かべる。

「確かに、お前くらい背丈が小さくなってると、瘴気(ミアスマ)の影響も諸に受けるだろうからな。どうする、お前だけでも《不死の軍勢》んとこに戻してやろうか?」

『ん……あぁ……申し出はありがたいのだがな……。どうも、霊的結合の具合も悪い現状では《不死の軍勢》と行動を供にしたとて、またこうして意識あるまま帰ってこられるかは分からなくなりそうだ……。とはいえ、死ぬまではいかぬが、今回ばかりは役に立ちそうにない。すまぬな、主よ』

「先に皇国に帰る手はないのか? 何なら、イネスに頼み込めば――」

「この状況で主と離れるわけにもいかぬ。我々は受肉したとは言え、霊的結合は主の力頼りだ。主と距離が離れれば離れるほどその結合力は薄まる上に、一度肉体と魂が離れてしまえば、バルラの紅髪男のようになってしまうだろう。それは我としても……避けたいのだ」

 ヴォイド・メルクールの肉体は現在、皇国大聖堂の最深部に置かれているらしい。
 現状、彼の肉体は生き続けているが、魂はこの世のどこかを彷徨い続けている。
 肉体が朽ち果てるまで、成仏出来ぬまま、意識はあるままに思念体のみで世界を放浪し続けることになる。
 それはまさしく、全ての生き物にとっての生き地獄に他ならない。

「そ、そんなに深刻なのか……」

 ローグの持つ《不死の軍勢》はいつも地中から現れているが、彼らは本質的に、どこにでもいて(・・・・・・・)どこにもいない(・・・・・・・)存在である。
 死霊術師(ネクロマンサー)の作り出した空間の中に存在するそれらの《誓約》を解除することによって、不死者(アンデッド)たちは堰を切るようにしてこの世に姿を現す。
 直接この世に受肉を行っているイネス、ニーズヘッグたちに対しても受肉術を解除すれば《不死の軍勢》と同じ空間にいさせることは出来るものの、現世との結び付きの薄い死霊術師(ネクロマンサー)の作り上げた空間に行けば、そちらの方に引っ張られていくこともある。

 ただでさえ瘴気(ミアスマ)の影響で弱っているニーズヘッグは、戻って来れなくなる可能性もあるのだった。それほど、彼の体調は深刻のようだった。

『今は、ミカエラに治癒の光を送ってもらえているだけでありがたい……』

「大丈夫ですよ、ニーズヘッグさん! 私の力が頼りになるなら、何なりと!」

『優しい娘だ……』

 いつになく殊勝なニーズヘッグは、まるで飼い猫のようにごろんと、ミカエラの上で足を伸ばしていた。
 そんなミカエラとニーズヘッグの姿を横目に、ローグはとぼとぼとこちらにやってくる一つの影に目をやった。

「……ティアリスか」

 もじもじと、申し訳なさそうに獣耳を垂れ下ろしていたのは、ティアリス・マーロゥだ。

「ローグの旦那、申し訳ないの。せっかく来てもらったのに、これじゃあ、もう――」

 涙混じりに呟くティアリス。そんなティアリスの頭をポンポンと叩きながら、笑った。

「俺がいなくても大丈夫だ。何せ、送り出したのが俺んとこで抱えてる、最強戦力(・・・・)だからな」

「……あの女の人が?」

 続くように、ニーズヘッグがむにゃむにゃと語る。

『奴は、元々存在自体が禁忌に近いものがあるからな。それに……奴にとっては、思い入れのある地でもある……』

「思い入れの地?」

「ま、そこは人それぞれだ。イネスに任せておけば間違いないことは確かだ」

『そういうことだ……』

「ですね!」

 ローグパーティーの三人が、心の底から信頼しているであろうイネス・ルシファーのことを話しているのを間近で眺めているティアリスは、ぽそりと「羨ましいの」と呟くほか無かった。

「クラリス姉が遠くに行っているような気がするの。ドリス爺が引退してから、前みたいに、笑わなくなったの……」

 藁葺き屋根の下の縁側で瞬く星を見上げながら、ティアリスはぽつり、呟く。
 その瞬く星は、どこかローグたちにも淀んで見えた。
 足をぷらんと伸ばしながら言うティアリスに、ローグはおずおずと問うた。

「例の、シャリス墓荒らし事件ってやつからか?」

「そうなの。1年半前、ドリス爺が風土病に罹ってからのしばらくはクラリス姉も張り切ってたのに、いつからか……村の大人たち以外はここに閉じ込めるようになって、それが1年も続いてるの……」

「なるほどねぇ」

 示し合わすように、弾ける魔力と魔法力のぶつかり合いを遠くから感じたローグとニーズヘッグがふと顔を見合わしていた。
 そんな二人に、ティアリスは意外な言葉を口に出した。

「狙いはシャリス墓地に埋葬されている、一族秘伝の宝物――『初代の秘宝』かもしれないって、村の皆は言ってるの。クラリス姉は、みんなのこと……疑っちゃってるのかなって、思うの……」

 しゅんと、尻尾と耳を垂れ下げて語るティアリスの表情は、やはりどこか寂しそうで。
 ローグは思わず、オウム返し気味に「初代の秘宝?」とティアリスに返す。

「そうなの。初代が自らが死するときに埋めたとされる、唯一無二の秘宝。魔族を打ち倒せるほどの逸品。そう言われてるの」

「魔族を打ち倒せるほどの逸品……? そりゃなんとも物騒な宝だな」

「聞けば、魔族の臭いが出入りしていたりするから、それを打ち倒すために獣人族の仲間が掘り返しているって噂と、だいぶ隣に住む魔人さんが掘り起こそうとしている、とか……」

「魔人さん、か。そりゃ随分と好意的なことだ」

「以前は仲が悪かったみたいなの。それでも最近は、ようやく仲良く出来ているみたいなの。いつかティアたちも、魔人さんには会ってみたいなって思ってたところだったの」

 遠くで微かに感じる魔力と魔法力の波動を肌で感じるローグたちとは対照的に、ティアリスは寂しそうに俯いている。

「魔人さん、ねぇ」

 ふと呟くローグの目線の先にある《魔族領域(ダレス)》からは、不気味な気配が立ち込め続けていたのだった。