ツゥと、クラリスの首には一筋の雫が流れ出た。
首に触れる魔王の指先に、凍てつくような眼光。
「……妹たちには、これ以上手を出さないでやってくれねェか」
クラリスは《狂狼化》と共に、尖った耳も臨戦態勢を解き始めていた。
逆立つ毛で覆われた手足は収縮し、人間のような白い手足に戻っていく。
覚悟を決めたように目を瞑るクラリスに、イネスはひとまず殺気を緩めずに「ほぅ」と、試すように笑みを含む。
「妹と言うと、あの幼子――ティアリス・マーロゥでしょうか。それにしては、生活環境を阻めたり、厳しすぎる規範に縛り付けたりしていらっしゃるようですが」
指先に力を込めながら言うイネスに、「そりゃそうだ……ッ!」と、拳を握りしめるクラリス。
「ドリス爺は、一年半前に頭領を止めた。原因は、アンタたち魔族が出している気味悪い空気だ。身体を蝕み、それも徐々に進行していってる。ドリス爺は、皆の体調が悪くなり始めた時からずっとずっと、この辺りで原因を突き止めようとしてくれてたんだ」
はらりと、クラリスの首筋が月に反射して鮮明に浮かぶ。
「――っ」
イネスの表情も、思わず曇る。
髪で隠れていた首筋に覆われていたのは、黒い大アザだった。
皮肉にも、それはドリスにも見られていた症状と全く同じものだ。
「……あなた、この症状はいつから?」
「数ヶ月前、身体に黒い斑点が出来たと思えば、もうこんなにデカくなってきやがった。シャリスの墓はもう、汚染されてやがる」
先人の墓周りは、豊かな自然に覆われている。
それは、聖地林でも例外では無かっただろう。
だが、腐食された木々と、瘴気により濁った空気が漂うこの場はもはや人々にとって遊び場とは程遠くなっている。
イネスは続けた。
「彼女らを隔離したのは、瘴気の影響を可能な限り遠ざけるためですか」
「次の頭領になれるティアだけは何としてもこんな下らねぇことに身体を蝕まれちゃならねェ。ドリス爺だって、これ以上病状を進ませるわけにはいかねェ。屈強な男どもとは違って、老人と女子供には症状の進みが早いことももう判明してるからな」
それを聞き、イネスは満足そうにゆっくりと魔力を解放していった。
「……殺さねェんだな」
「私は最初から、魔族側と言った覚えはありませんが」
何事もなかったかのように飄々と語るイネスは、腐った木々に手を触れていく。
「カッカッカ、そりゃすまなかったな」
そんなイネスの様子を、訝しむようにクラリスは眺めていた。
「何から何まで意外だよ。かつての……いや、1000年前の魔族のトップが、アタシの前にいるんだからな。アンタ、亡霊だったりすんのか?」
「訳あって、1000年越しに再び現世を生きることになったのですよ」
「へー、不思議なこともあったもんだなー」
「ヒトにモノを聞いておいて、すぐに興味を無くすところも彼女ソッックリですね……!」
腐った木の皮をペリペリ剥き出すクラリスに青筋を立てつつも、イネスはかつてを懐かしむように柔らかい笑みを浮かべていた。
クラリスは、ふんふんと鼻息混じりで、腐食した部分だけを切り取っている。
まだ辛うじて健康な木質を残しつつ、汚染された場所を的確に取り除いているのだ。
ふと、イネスの目の先に浮かんだクラリスの大きな青痣は、彼女が頭領になってからの1年を現している象徴のようなものにも思えた。
イネスは、つまらなさそうに問う。
「あなた方が、部族を護るために厳しい戒律を敷き、瘴気の影響を与えないがために居住地を狭めているのは分かりますが……ここに来た時しかり今然り、何もあなたが耐えずここにいなくてもいいのでは?」
「アタシも、出来るモンならそうしたいねェ」
「カッカッカ」と、豪快に笑うクラリス。
その狼のような栗色の耳が、大きくピクリと動いた。
「現魔王、ジャッジ・フェニックスはな。欲しいモンは全部手に入れたいらしい。目的は、シャリスの秘宝だってのは、既に割れてる」
「……ジャッジですか」
「何だ、アンタ知ってんのか」
「知ってるも何も、1000年前の私の副官です。欲しいモノは力尽くで手に入れる、弱き者は徹底的に屈服させる、同種繁栄と一族信仰の根強い典型的な魔族ですよ」
「アンタ、本っ当にイネス・ルシファーなんだな」
「信じてもらえたなら、何よりです……」
進まない話に頭を唸らせるイネスも、ふとクラリスと同じく不気味な気配に顔を歪ませた。
「アンタも気付いたようなら、話が早い。これがアタシがここにいる理由だ」
ボコボコッと。
音を立てて、それらは地中より現れた。
それらは、不規則な動きで二人に身体を向けている。
イネス、クラリス両名の周りを、仰々しい異形が取り囲んでいた。
「クココ、キキ」「カコッ。カコココ……」「ンヴァッ」
腐臭が漂い、骨と骨が重なり、軋みの音を生み出す。
月に照らされ闇夜に浮かび上がるそれらに向けて、クラリスはすぐさま臨戦態勢を整えた。
「聞きたいことありゃ、これ片付けながらなら話してやる。今日は、いつもより数多いぞぉ」
身体強化の魔法と共に、クラリスは魔法力を解放させた。
「……ってぇ、どうしたよ始祖の魔王サマ。まさか、この程度の軍団に腰抜かしてんじゃねェだろうな? カッカッカ」
からかうように笑うクラリスだが、イネスは口端をヒクつかせて苦笑いを浮かべる。
「驚かないわけがないじゃないですか……。これ――」
迫り来る異形に向けて、クラリスは勢いよく大地を蹴り上げた。
「――《不死の軍勢》、そのものなのですから……」
腐臭漂うゾンビ、そして骨格で形成されたスケルトンは、彼女が誰よりも近くで見続けていたものだった。
首に触れる魔王の指先に、凍てつくような眼光。
「……妹たちには、これ以上手を出さないでやってくれねェか」
クラリスは《狂狼化》と共に、尖った耳も臨戦態勢を解き始めていた。
逆立つ毛で覆われた手足は収縮し、人間のような白い手足に戻っていく。
覚悟を決めたように目を瞑るクラリスに、イネスはひとまず殺気を緩めずに「ほぅ」と、試すように笑みを含む。
「妹と言うと、あの幼子――ティアリス・マーロゥでしょうか。それにしては、生活環境を阻めたり、厳しすぎる規範に縛り付けたりしていらっしゃるようですが」
指先に力を込めながら言うイネスに、「そりゃそうだ……ッ!」と、拳を握りしめるクラリス。
「ドリス爺は、一年半前に頭領を止めた。原因は、アンタたち魔族が出している気味悪い空気だ。身体を蝕み、それも徐々に進行していってる。ドリス爺は、皆の体調が悪くなり始めた時からずっとずっと、この辺りで原因を突き止めようとしてくれてたんだ」
はらりと、クラリスの首筋が月に反射して鮮明に浮かぶ。
「――っ」
イネスの表情も、思わず曇る。
髪で隠れていた首筋に覆われていたのは、黒い大アザだった。
皮肉にも、それはドリスにも見られていた症状と全く同じものだ。
「……あなた、この症状はいつから?」
「数ヶ月前、身体に黒い斑点が出来たと思えば、もうこんなにデカくなってきやがった。シャリスの墓はもう、汚染されてやがる」
先人の墓周りは、豊かな自然に覆われている。
それは、聖地林でも例外では無かっただろう。
だが、腐食された木々と、瘴気により濁った空気が漂うこの場はもはや人々にとって遊び場とは程遠くなっている。
イネスは続けた。
「彼女らを隔離したのは、瘴気の影響を可能な限り遠ざけるためですか」
「次の頭領になれるティアだけは何としてもこんな下らねぇことに身体を蝕まれちゃならねェ。ドリス爺だって、これ以上病状を進ませるわけにはいかねェ。屈強な男どもとは違って、老人と女子供には症状の進みが早いことももう判明してるからな」
それを聞き、イネスは満足そうにゆっくりと魔力を解放していった。
「……殺さねェんだな」
「私は最初から、魔族側と言った覚えはありませんが」
何事もなかったかのように飄々と語るイネスは、腐った木々に手を触れていく。
「カッカッカ、そりゃすまなかったな」
そんなイネスの様子を、訝しむようにクラリスは眺めていた。
「何から何まで意外だよ。かつての……いや、1000年前の魔族のトップが、アタシの前にいるんだからな。アンタ、亡霊だったりすんのか?」
「訳あって、1000年越しに再び現世を生きることになったのですよ」
「へー、不思議なこともあったもんだなー」
「ヒトにモノを聞いておいて、すぐに興味を無くすところも彼女ソッックリですね……!」
腐った木の皮をペリペリ剥き出すクラリスに青筋を立てつつも、イネスはかつてを懐かしむように柔らかい笑みを浮かべていた。
クラリスは、ふんふんと鼻息混じりで、腐食した部分だけを切り取っている。
まだ辛うじて健康な木質を残しつつ、汚染された場所を的確に取り除いているのだ。
ふと、イネスの目の先に浮かんだクラリスの大きな青痣は、彼女が頭領になってからの1年を現している象徴のようなものにも思えた。
イネスは、つまらなさそうに問う。
「あなた方が、部族を護るために厳しい戒律を敷き、瘴気の影響を与えないがために居住地を狭めているのは分かりますが……ここに来た時しかり今然り、何もあなたが耐えずここにいなくてもいいのでは?」
「アタシも、出来るモンならそうしたいねェ」
「カッカッカ」と、豪快に笑うクラリス。
その狼のような栗色の耳が、大きくピクリと動いた。
「現魔王、ジャッジ・フェニックスはな。欲しいモンは全部手に入れたいらしい。目的は、シャリスの秘宝だってのは、既に割れてる」
「……ジャッジですか」
「何だ、アンタ知ってんのか」
「知ってるも何も、1000年前の私の副官です。欲しいモノは力尽くで手に入れる、弱き者は徹底的に屈服させる、同種繁栄と一族信仰の根強い典型的な魔族ですよ」
「アンタ、本っ当にイネス・ルシファーなんだな」
「信じてもらえたなら、何よりです……」
進まない話に頭を唸らせるイネスも、ふとクラリスと同じく不気味な気配に顔を歪ませた。
「アンタも気付いたようなら、話が早い。これがアタシがここにいる理由だ」
ボコボコッと。
音を立てて、それらは地中より現れた。
それらは、不規則な動きで二人に身体を向けている。
イネス、クラリス両名の周りを、仰々しい異形が取り囲んでいた。
「クココ、キキ」「カコッ。カコココ……」「ンヴァッ」
腐臭が漂い、骨と骨が重なり、軋みの音を生み出す。
月に照らされ闇夜に浮かび上がるそれらに向けて、クラリスはすぐさま臨戦態勢を整えた。
「聞きたいことありゃ、これ片付けながらなら話してやる。今日は、いつもより数多いぞぉ」
身体強化の魔法と共に、クラリスは魔法力を解放させた。
「……ってぇ、どうしたよ始祖の魔王サマ。まさか、この程度の軍団に腰抜かしてんじゃねェだろうな? カッカッカ」
からかうように笑うクラリスだが、イネスは口端をヒクつかせて苦笑いを浮かべる。
「驚かないわけがないじゃないですか……。これ――」
迫り来る異形に向けて、クラリスは勢いよく大地を蹴り上げた。
「――《不死の軍勢》、そのものなのですから……」
腐臭漂うゾンビ、そして骨格で形成されたスケルトンは、彼女が誰よりも近くで見続けていたものだった。