明らかに嫌そうな表情のイネスは、黒いロングドレスの胸に掛けられたペンダントを小さく握っていた。
「そっかー……そーだよなー……まぁ、そりゃそうかー……」
差し出した手をそっと引っ込めたローグは、泣きそうになりながらスケルトンの肩にもたれかかる。
「そ、そこまでのことでもないでしょう?」
「俺、やっぱ友達作り向いてないのかな……? はは……」
ガクガクと膝を震わせ、力なく脱力していくローグ。
「いくら何でも大げさすぎませんかね!?」
思わず突っ込みを入れてしまったイネスは、次の瞬間――ピクリと何かの動きを察知していた。
「……ちっ」
「い、イネス……?」
躊躇った挙げ句、イネスはバッと震えるローグの肩を掴んで、自らを封じていた岩陰の側に身を潜める。
イネスの豊満な胸が、ローグの顔にぴったりと密着していた。
ローグの脱力は今も続いており、もはやイネスに為すがままにされている。
「――おい、さっきこのへんで何かデカい音がしなかったか?」
「さぁな。また魔物でも動いてんじゃねーの。あんまり激しかったら、獣人族に捜索させればいいだろう。使える駒なら腐るほどある」
「そうは言っても、始祖様の眠られる地だからな。何かあってはフェニックス様に申し訳が立たんだろう?」
「ま、俺は聞く限りじゃ始祖様の軟弱な支配より、フェニックス様の方がよっぽど性に合ってるしなぁ。昔の死霊術師に封印されているなら、そんなんもないだろうけどな」
コツコツと、軽快な足取りで新たに魔族が2人姿を現した。
《封魔の間》に足を踏み入れていく魔族に、イネスは舌打ちした。
「……現魔王フェニックス傘下の魔族ですか。厄介ですね」
イネスの胸の中で、ローグは顔を赤らめながら「厄介?」と問うた。
「私が魔王をしていた時から、そう歓迎はされていないようだったので。フェニックス一族は私と違って、強硬派でしたので。ローグ、と言いましたか。話は後でしっかりと聞きますので彼らを追い払っていただければ幸いなのですが、先ほどからあなたの兵が見当たりませんね?」
ローグは、力なくぷらんぷらんと両腕を伸ばし、全体重をイネスに捧げていた。
「あぁ、魔法力切れでもう一人も兵は動かないんだ……」
「……はぁ?」
「イネスと戦って、仲間に引き入れることしか考えてなくて、そこに全部の魔法力を使ってたからな。はははは……。戦った後のことは、さっぱり考えてなかった」
「あなた、馬鹿なんですか!? 私に負けていたらどうするつもりだったのです!?」
「その時は、諦めて煮るなり焼くなりされてた……かな」
「ほ、本当に魔法力切れを起こしているじゃないですか。私を倒すべく、1000年の間を費やして練り上げられた、人類の叡智とやらがあるのでは……?」
「そんなの、過去の本を読み漁って、いつかイネスに会うために……精鋭のスケルトンとゾンビに少しずつ魔力耐性のある魔法力付与を施して、ずっと手合わせして、来たる日に向けて……入念に準備していただけの力業でしかないよ。どのみち、孤児院を出てからはいの一番にあなたに会いに行くと決めていたからね」
「入念に魔法力付与? 先ほどの軍勢たちに、対私用というだけであれほどの魔法力付与を施すのなら、今のあなたの持てる限界量の魔法力を、毎日毎日――それこそ、数ヶ月単位で注ぎ込まなければこうはならないはずですが」
イネスは、ため息交じりに眼下のローグを見つめる。
「……は、は、は」と、力のないなかで、振り絞るように笑い声を出したローグに、イネスは遥か遠くの一つの墓を見つめていた。
「俺にはもう、頼れる人があなたくらいしかいなかったからな……」
――アタシには、頼れる奴はアンタくらいしかいなかったからな!
ローグの絞り出すような言葉と、かつての友の姿が被って見えた。
封印される遙か前、まだ聖地林が魔族によって侵食されていなかった頃の友だ。
《始祖の魔王》として、恐怖の象徴として君臨していた。誰もが、身内の魔族までもが自分を怖がって近付こうとも、話かけようともしてこなかった。
話し相手も、相談相手も、誰もいなかった。だが、世界の平和が保たれるのならば、どうでも良いことだった。
そんななかでも、自分を全く怖れずに受け入れようと――あまつさえ、嘘偽りなく友達になろうと言ってきた、奇特な獣人族だった。
彼女がいなければ、イネスは恐怖の象徴として、一生を捧げきることは出来なかったかも知れなかった。
「ぉ? おい、どーした! お前、今日の番の奴じゃねーか何サボってんだ?」
「あー、こりゃ完全に失態だな。……って、よく見りゃ始祖様の湖、干上がってねぇか?」
「干上がってる……マジだな。ありゃ何だ?」
ローグが眠らせた門番兵と、魔力の湖が干上がっていることに勘付いた2人がイネスたちの元に迫り来る。
ローグの執念と、原動力があってこそ油断してしまったが、仮に、復活したばかりだと言えども有象無象の魔族に負けるはずもない。
ましてや、現魔王といえど自らの下位互換であったフェニックス一族に負けることはない。
自分が出て行けば、再び世は恐怖と混沌による支配によって膠着状態にまでは持って行けることは確実だ。
ひとり孤独に恐怖の象徴であり続けるか。
馬鹿げた理想を持つ大馬鹿者と、新しい世界を見てみるか。
――アタシはな、イネス。
かつての友の言葉が、脳裏を過ぎっていた。
――次、アンタがもっかい生まれ変わるとしたらさ。
にかっと、屈託のない笑顔を浮かべて友は言った。
――ジユーに生きてほしいんだよな。キョーフとか、トーソツとか関係なく。アンタがやりたいようにやって、やりたいように生きてみろよ。
――自由に……ですか。ですが、私がいなくなれば世界は崩壊してしまうやもしれませんが。
――そんなかたっ苦しいこと抜きだよ。そん時は、外からぶっ潰してみれば良い。って、そんなんじゃなくて……アンタは、めちゃくちゃ頑張ってんだからさ。次生きるときくらい、ゼータク言ってもバチは当たんねェよ。
――それも、そうですね。まぁ、ヒトは死んだらそこで終わりなのですが。
――う、うっせェな!? もしかしたらあるかもしんねェだろ!?
くすりと、思い出し笑いをしたイネスは、吹っ切れたように顔を上げた。
脱力したローグを岩陰に寝かせ、魔力を練る。
「彼女といい、あなたといい、私はつくづく大馬鹿なヒトを気になってしまう傾向があるようですね。我ながら、《恐怖の象徴》が聞いて呆れます」
ジジジと、魔力の波動がイネスを包む。
半透明の、ねじ曲がった角が頭部に宿り、黒翼が一対背に現れる。
腕を迸る、眩く白い魔力の電撃を見てイネスは首を傾げる。
「まだ魔力の練りの感覚が戻ってきませんね……」
「誰だ!?」
「うぉぉなんでこんなとこに人がいる!?」
イネスの姿に気付いた魔族2人は、即座に剣を抜刀した。
「構うな! どのみち、こんな所にいる輩は排除対象だ! フェニックス一族たる者、容赦は無用。不死鳥魔法、蘇りの右翼!」
「ふ、不死鳥魔法、蘇りの左翼!」
2人が剣を振るうと、それぞれが飛ぶ斬撃となってイネスに迫り来る。
辺りの空気を焦がすほどの高熱を帯びた、紅の飛ぶ斬撃を目にしたイネスは、小さく「堕天の一矢」と呟いた。
「小さすぎる。やはりまだ、本来の力とは程遠いというわけですか」
だが、先ほどまでローグと対峙して出していた巨大なものとは違う。
イネスの隣には、十本近い破壊の力を宿した矢が顕現していた。
違和感を覚えながらも、イネスは敵と対峙した。
「……まぁ、いいでしょう。彼らを伸す程度なら造作もありません。末端レベルでフェニックス一族が代表格である不死鳥魔法を扱えるとなると、この1000年で魔族も大きく進化したのですね」
「何を言ってるのかは知らねぇが、魔族様の土地に勝手に入ってきた奴は生かして帰すわけにいかねぇんでな!」
「追撃だ!」
魔力で練られた炎の斬撃と、どこまでも深い闇に包まれた破壊の矢が空中で激突する。
力は互角か、少々イネスに分があるようだった。
飛ぶ斬撃を撃ち落とした破壊の一矢は、魔族2人の足下の大地を鋭く抉った。
「……ぃ……」
ふと、掠れる声で岩陰に隠れるローグはイネスを指さしていた。
頬をポリポリ?きながら、「誰の為にこうしているのだと思っているのですか……」とローグに近寄るイネス。
ため息交じりのイネスの耳元に、魔法力切れでガタガタの身体を奮い立たせてローグは呟いた。
「イネス・ルシファー……。死霊術師の誓約、解除……だ……」
――ローグが唱えた、その瞬間だった。
ゾワリ
イネスの身体に、再び力が漲り始めていた。
復活直後の時のように、身体中隅々まで魔力が行き渡り、全ての魔力を大質量で出し切れるほどの膨大な魔力が、再びイネスの身体に宿り始めていた。
「あなたまさか……」
イネスの驚く顔にも、ローグは片眉一つ動かさなかった。
「全力の……イネス・ルシファーと戦わないと……意味が無かったから……ね……」
死霊術師がイネスを復活させた直後から、彼は《誓約》とやらを解除していたのだと。
力を見せつけるならば、《誓約》で縛られた状態で戦っていたら良かったものを、この少年はわざわざ力をフル解放させてから戦ったのだと。
イネスが理解するのに、そう時間はかからなかった。
「本当、いつの時代も大馬鹿者は大馬鹿者ですわね」
イネスの背から、新たに二対の黒翼が姿を現した。
頭部に生えた角は、より白く光輝き、左目からは極大の魔力の影響で紅のオーラが溢れだしていた。
「堕天の一矢」
イネスが再び唱えると、彼女の背後には無数の黒い矢が顕現していた。
先ほどよりも遥かに濃密で、圧倒的で、巨大な破壊の矢が無数に魔族へと向けられていた。
「――思うがままに征きなさい」
それはまるで自分に言い聞かせるように。
イネスはその腕を、大きく振り下ろしたのだった――。
○○○
「……寒っ」
ローグは眼を開けた。
冷たい夜風が身体に容赦なく打ち付けられていた。
眼下を見ると、そこはどこまでも緑一色の森が続いている。
ローグ・クセルは今、空を飛んでいた。
「やっと起きましたか」
頭上からは、女性の声がした。
自らを抱きかかえているのは、そのヒトだった。
頭部に当たるふんわりとした感覚に、ローグは少しだけ顔を赤らめた。
「……。……! ……!!」
「勘違いしないでいただきたいものですね。私はただ、大馬鹿者の描く大馬鹿な理想に興味が出たまでです」
素っ気なく言うイネスは、一対の黒翼をバサリと大きくはためかせた。
「世界一嫌われ者の死霊術師が、世界一怖がられている始祖の魔王と共にいて、どうやって友達を作っていくのか……。ほんの少しだけ、気になったまでです」
イネスとローグの目の前に広がる、白い満月。
月に向かって飛び進むイネスに、ローグは自信ありげに言う。
「既に、イネスという友達が出来た俺に死角はないぞ!」
「ですから私はあなたの友達などにはなりませんと、何度も……」
「じゃぁ、イネスは俺の何になるんだよ」
イネスの翼がはためく音だけが場に響く。
友達は、劫獣人族の初代頭領、シャリス・マーロゥただ一人だと決めている。
もはや意地にもなっているイネスの思考が素早く動く。
「弱肉強食のこの世界で、私はあなたに負けた身……。それに、私の命さえもあなたに握られているとなると……」
「何ぶつぶつ言ってるんだよ、聞こえないじゃないか。おーい、イネスさーん」
イネスは、思いついたようにくすりと笑って、答えた。
「――配下、と言ったところでしょうか」
あまりにも斜め上の回答に、ローグはオウム返しで「配下ぁ?」と聞き返してしまった。
「はい。あなたは今日からローグ様です。今日から私はあなたに幾度となく戦いを要求します。私が勝てればその時に、主従関係は逆転させていただきましょう」
楽しそうに微笑むイネスの真下で、明らかにローグは「待て、意味が分からない。本当に分からない」と狼狽している様子だ。
「私とあなたは断じてお友達などという関係ではないので、悪しからず。ローグ様」
悪魔的な笑みを浮かべたイネスは、主であるローグをその腕に抱えて。
1000年の時を超えて、広い世界へと一歩踏み出していったのだった。
「そっかー……そーだよなー……まぁ、そりゃそうかー……」
差し出した手をそっと引っ込めたローグは、泣きそうになりながらスケルトンの肩にもたれかかる。
「そ、そこまでのことでもないでしょう?」
「俺、やっぱ友達作り向いてないのかな……? はは……」
ガクガクと膝を震わせ、力なく脱力していくローグ。
「いくら何でも大げさすぎませんかね!?」
思わず突っ込みを入れてしまったイネスは、次の瞬間――ピクリと何かの動きを察知していた。
「……ちっ」
「い、イネス……?」
躊躇った挙げ句、イネスはバッと震えるローグの肩を掴んで、自らを封じていた岩陰の側に身を潜める。
イネスの豊満な胸が、ローグの顔にぴったりと密着していた。
ローグの脱力は今も続いており、もはやイネスに為すがままにされている。
「――おい、さっきこのへんで何かデカい音がしなかったか?」
「さぁな。また魔物でも動いてんじゃねーの。あんまり激しかったら、獣人族に捜索させればいいだろう。使える駒なら腐るほどある」
「そうは言っても、始祖様の眠られる地だからな。何かあってはフェニックス様に申し訳が立たんだろう?」
「ま、俺は聞く限りじゃ始祖様の軟弱な支配より、フェニックス様の方がよっぽど性に合ってるしなぁ。昔の死霊術師に封印されているなら、そんなんもないだろうけどな」
コツコツと、軽快な足取りで新たに魔族が2人姿を現した。
《封魔の間》に足を踏み入れていく魔族に、イネスは舌打ちした。
「……現魔王フェニックス傘下の魔族ですか。厄介ですね」
イネスの胸の中で、ローグは顔を赤らめながら「厄介?」と問うた。
「私が魔王をしていた時から、そう歓迎はされていないようだったので。フェニックス一族は私と違って、強硬派でしたので。ローグ、と言いましたか。話は後でしっかりと聞きますので彼らを追い払っていただければ幸いなのですが、先ほどからあなたの兵が見当たりませんね?」
ローグは、力なくぷらんぷらんと両腕を伸ばし、全体重をイネスに捧げていた。
「あぁ、魔法力切れでもう一人も兵は動かないんだ……」
「……はぁ?」
「イネスと戦って、仲間に引き入れることしか考えてなくて、そこに全部の魔法力を使ってたからな。はははは……。戦った後のことは、さっぱり考えてなかった」
「あなた、馬鹿なんですか!? 私に負けていたらどうするつもりだったのです!?」
「その時は、諦めて煮るなり焼くなりされてた……かな」
「ほ、本当に魔法力切れを起こしているじゃないですか。私を倒すべく、1000年の間を費やして練り上げられた、人類の叡智とやらがあるのでは……?」
「そんなの、過去の本を読み漁って、いつかイネスに会うために……精鋭のスケルトンとゾンビに少しずつ魔力耐性のある魔法力付与を施して、ずっと手合わせして、来たる日に向けて……入念に準備していただけの力業でしかないよ。どのみち、孤児院を出てからはいの一番にあなたに会いに行くと決めていたからね」
「入念に魔法力付与? 先ほどの軍勢たちに、対私用というだけであれほどの魔法力付与を施すのなら、今のあなたの持てる限界量の魔法力を、毎日毎日――それこそ、数ヶ月単位で注ぎ込まなければこうはならないはずですが」
イネスは、ため息交じりに眼下のローグを見つめる。
「……は、は、は」と、力のないなかで、振り絞るように笑い声を出したローグに、イネスは遥か遠くの一つの墓を見つめていた。
「俺にはもう、頼れる人があなたくらいしかいなかったからな……」
――アタシには、頼れる奴はアンタくらいしかいなかったからな!
ローグの絞り出すような言葉と、かつての友の姿が被って見えた。
封印される遙か前、まだ聖地林が魔族によって侵食されていなかった頃の友だ。
《始祖の魔王》として、恐怖の象徴として君臨していた。誰もが、身内の魔族までもが自分を怖がって近付こうとも、話かけようともしてこなかった。
話し相手も、相談相手も、誰もいなかった。だが、世界の平和が保たれるのならば、どうでも良いことだった。
そんななかでも、自分を全く怖れずに受け入れようと――あまつさえ、嘘偽りなく友達になろうと言ってきた、奇特な獣人族だった。
彼女がいなければ、イネスは恐怖の象徴として、一生を捧げきることは出来なかったかも知れなかった。
「ぉ? おい、どーした! お前、今日の番の奴じゃねーか何サボってんだ?」
「あー、こりゃ完全に失態だな。……って、よく見りゃ始祖様の湖、干上がってねぇか?」
「干上がってる……マジだな。ありゃ何だ?」
ローグが眠らせた門番兵と、魔力の湖が干上がっていることに勘付いた2人がイネスたちの元に迫り来る。
ローグの執念と、原動力があってこそ油断してしまったが、仮に、復活したばかりだと言えども有象無象の魔族に負けるはずもない。
ましてや、現魔王といえど自らの下位互換であったフェニックス一族に負けることはない。
自分が出て行けば、再び世は恐怖と混沌による支配によって膠着状態にまでは持って行けることは確実だ。
ひとり孤独に恐怖の象徴であり続けるか。
馬鹿げた理想を持つ大馬鹿者と、新しい世界を見てみるか。
――アタシはな、イネス。
かつての友の言葉が、脳裏を過ぎっていた。
――次、アンタがもっかい生まれ変わるとしたらさ。
にかっと、屈託のない笑顔を浮かべて友は言った。
――ジユーに生きてほしいんだよな。キョーフとか、トーソツとか関係なく。アンタがやりたいようにやって、やりたいように生きてみろよ。
――自由に……ですか。ですが、私がいなくなれば世界は崩壊してしまうやもしれませんが。
――そんなかたっ苦しいこと抜きだよ。そん時は、外からぶっ潰してみれば良い。って、そんなんじゃなくて……アンタは、めちゃくちゃ頑張ってんだからさ。次生きるときくらい、ゼータク言ってもバチは当たんねェよ。
――それも、そうですね。まぁ、ヒトは死んだらそこで終わりなのですが。
――う、うっせェな!? もしかしたらあるかもしんねェだろ!?
くすりと、思い出し笑いをしたイネスは、吹っ切れたように顔を上げた。
脱力したローグを岩陰に寝かせ、魔力を練る。
「彼女といい、あなたといい、私はつくづく大馬鹿なヒトを気になってしまう傾向があるようですね。我ながら、《恐怖の象徴》が聞いて呆れます」
ジジジと、魔力の波動がイネスを包む。
半透明の、ねじ曲がった角が頭部に宿り、黒翼が一対背に現れる。
腕を迸る、眩く白い魔力の電撃を見てイネスは首を傾げる。
「まだ魔力の練りの感覚が戻ってきませんね……」
「誰だ!?」
「うぉぉなんでこんなとこに人がいる!?」
イネスの姿に気付いた魔族2人は、即座に剣を抜刀した。
「構うな! どのみち、こんな所にいる輩は排除対象だ! フェニックス一族たる者、容赦は無用。不死鳥魔法、蘇りの右翼!」
「ふ、不死鳥魔法、蘇りの左翼!」
2人が剣を振るうと、それぞれが飛ぶ斬撃となってイネスに迫り来る。
辺りの空気を焦がすほどの高熱を帯びた、紅の飛ぶ斬撃を目にしたイネスは、小さく「堕天の一矢」と呟いた。
「小さすぎる。やはりまだ、本来の力とは程遠いというわけですか」
だが、先ほどまでローグと対峙して出していた巨大なものとは違う。
イネスの隣には、十本近い破壊の力を宿した矢が顕現していた。
違和感を覚えながらも、イネスは敵と対峙した。
「……まぁ、いいでしょう。彼らを伸す程度なら造作もありません。末端レベルでフェニックス一族が代表格である不死鳥魔法を扱えるとなると、この1000年で魔族も大きく進化したのですね」
「何を言ってるのかは知らねぇが、魔族様の土地に勝手に入ってきた奴は生かして帰すわけにいかねぇんでな!」
「追撃だ!」
魔力で練られた炎の斬撃と、どこまでも深い闇に包まれた破壊の矢が空中で激突する。
力は互角か、少々イネスに分があるようだった。
飛ぶ斬撃を撃ち落とした破壊の一矢は、魔族2人の足下の大地を鋭く抉った。
「……ぃ……」
ふと、掠れる声で岩陰に隠れるローグはイネスを指さしていた。
頬をポリポリ?きながら、「誰の為にこうしているのだと思っているのですか……」とローグに近寄るイネス。
ため息交じりのイネスの耳元に、魔法力切れでガタガタの身体を奮い立たせてローグは呟いた。
「イネス・ルシファー……。死霊術師の誓約、解除……だ……」
――ローグが唱えた、その瞬間だった。
ゾワリ
イネスの身体に、再び力が漲り始めていた。
復活直後の時のように、身体中隅々まで魔力が行き渡り、全ての魔力を大質量で出し切れるほどの膨大な魔力が、再びイネスの身体に宿り始めていた。
「あなたまさか……」
イネスの驚く顔にも、ローグは片眉一つ動かさなかった。
「全力の……イネス・ルシファーと戦わないと……意味が無かったから……ね……」
死霊術師がイネスを復活させた直後から、彼は《誓約》とやらを解除していたのだと。
力を見せつけるならば、《誓約》で縛られた状態で戦っていたら良かったものを、この少年はわざわざ力をフル解放させてから戦ったのだと。
イネスが理解するのに、そう時間はかからなかった。
「本当、いつの時代も大馬鹿者は大馬鹿者ですわね」
イネスの背から、新たに二対の黒翼が姿を現した。
頭部に生えた角は、より白く光輝き、左目からは極大の魔力の影響で紅のオーラが溢れだしていた。
「堕天の一矢」
イネスが再び唱えると、彼女の背後には無数の黒い矢が顕現していた。
先ほどよりも遥かに濃密で、圧倒的で、巨大な破壊の矢が無数に魔族へと向けられていた。
「――思うがままに征きなさい」
それはまるで自分に言い聞かせるように。
イネスはその腕を、大きく振り下ろしたのだった――。
○○○
「……寒っ」
ローグは眼を開けた。
冷たい夜風が身体に容赦なく打ち付けられていた。
眼下を見ると、そこはどこまでも緑一色の森が続いている。
ローグ・クセルは今、空を飛んでいた。
「やっと起きましたか」
頭上からは、女性の声がした。
自らを抱きかかえているのは、そのヒトだった。
頭部に当たるふんわりとした感覚に、ローグは少しだけ顔を赤らめた。
「……。……! ……!!」
「勘違いしないでいただきたいものですね。私はただ、大馬鹿者の描く大馬鹿な理想に興味が出たまでです」
素っ気なく言うイネスは、一対の黒翼をバサリと大きくはためかせた。
「世界一嫌われ者の死霊術師が、世界一怖がられている始祖の魔王と共にいて、どうやって友達を作っていくのか……。ほんの少しだけ、気になったまでです」
イネスとローグの目の前に広がる、白い満月。
月に向かって飛び進むイネスに、ローグは自信ありげに言う。
「既に、イネスという友達が出来た俺に死角はないぞ!」
「ですから私はあなたの友達などにはなりませんと、何度も……」
「じゃぁ、イネスは俺の何になるんだよ」
イネスの翼がはためく音だけが場に響く。
友達は、劫獣人族の初代頭領、シャリス・マーロゥただ一人だと決めている。
もはや意地にもなっているイネスの思考が素早く動く。
「弱肉強食のこの世界で、私はあなたに負けた身……。それに、私の命さえもあなたに握られているとなると……」
「何ぶつぶつ言ってるんだよ、聞こえないじゃないか。おーい、イネスさーん」
イネスは、思いついたようにくすりと笑って、答えた。
「――配下、と言ったところでしょうか」
あまりにも斜め上の回答に、ローグはオウム返しで「配下ぁ?」と聞き返してしまった。
「はい。あなたは今日からローグ様です。今日から私はあなたに幾度となく戦いを要求します。私が勝てればその時に、主従関係は逆転させていただきましょう」
楽しそうに微笑むイネスの真下で、明らかにローグは「待て、意味が分からない。本当に分からない」と狼狽している様子だ。
「私とあなたは断じてお友達などという関係ではないので、悪しからず。ローグ様」
悪魔的な笑みを浮かべたイネスは、主であるローグをその腕に抱えて。
1000年の時を超えて、広い世界へと一歩踏み出していったのだった。