「人魔大戦。そのようなものが……」
イネスが封印を受けてから900年余り。それは唐突に勃発したという。
イネス実効支配の時のような魔族領域に拠点を置き、畏怖と保有戦力の威嚇による世俗との隔絶を図っていた魔族の在り方は変わっていった。
イネス・ルシファー亡き後、新たに魔王として台頭したフェニックス一族により、魔族はその強大な保有戦力を用いた領土拡大策に大きく打って出たのだった。
数は少なくとも、個で圧倒的な力を有する魔族たち。
結果、大陸を南北に分断するユーリウス山脈以北は、完全に魔の手に落ちた。
ミレット大陸以北に集中していた亜人族国家――エルフ族居住区《エルフの古代樹》、龍人族居住区霧の国、獣人族居住区聖地林を始めとした土地も侵食を受け、多くは大陸南部の人類生活圏に身を委ねざるを得なくなった。
ローグは言う。
「もともと、何の区分けかは知らないが、北部は亜人国家、南部は人類国家って分かれてたのが混ざりまくってさ。魔族の傀儡として土地に残るのもいれば、戦いを避けて人類国家に雪崩れ込んだのも多くいる。特にエルフの多くは人類区に逃げ込んだけど、その随一の回復能力だけ見込まれてひたすらこき使われたりしたってのはよく聞くよ」
「ここが大陸以北となると、人類も少しは雪崩れ込んできていた、と?」
「魔族を倒そうって勇気のある輩がたくさんいたからな。長期間の戦いと土地土地への順応で、現地で暮らしたり、戦死した人間も多い。それも、子をどっかに置き去りにしたままな」
ローグは自身の手を見つめていた。
「大陸以北にいる貴方も孤児だった、と」
「多分な。父親の顔も、母親の顔も分からない。産まれた時から孤児院住まいだよ。ここから遥か遠くのね。奇跡的に、奴隷にまで身を落とさずにすんだけどな」
ぽつり、ぽつりと言うローグに、イネスは問う。
「その孤児院とやらからはるばるこんな辺境まで?」
ローグは小さく首を振って、答える。
「ついこの間、全滅した。突然孤児院を嗅ぎつけた魔族に襲撃されてね」
古びた本をぱらぱらと捲るローグに、イネスは「うっ」と息を詰まらせた。
「では、孤児院を襲撃した魔族への復讐のために、私を復活させに来たということでしょうか?」
「それは違うね。将来の全てが決まる職業鑑定――いわゆる、《神のお導き》ってやつがあった日、教会で俺は死霊術師の烙印を押された。孤児院にやってきてからも、やれ後ろに化け物が見えるだのってことで気味悪がられてて独りぼっちだったから、そんなに悔しいとも思わないし、復讐しようだなんて思わなかった」
ローグは地べたに座りながら、隣で立ちすくむスケルトン・ゾンビたちに目線を向けた。
「死霊術師だと分かった朝、起きたら横にこのおかしな本があったんだ。それと、姿がはっきりしたスケルトン・ゾンビもな。最初は認めたくもなくて本を地中に埋めたり、焼こうとしたりもした。だけども本はビクともしないどころか、魔族襲撃の際には本の化身であろうこいつらが身を呈して庇ってくれた」
コンッコンッと、軽快にスケルトンの腕を小突くローグは、笑いながら言う。
「だから、俺だけ助かったんだ。そこからは、ちゃんと向き合うために……って思って、今まで避けてたこの本を開いてみた。歴代死霊術師の健忘録って感じだったけどな」
ローグが投げた本を、イネスは受け取る。
「《不死の軍勢》を率いた死霊術師、一国を滅ぼす。戦闘能力を保有しない美女3名を蘇生枠に使用、一国一城を作る……なるほど。これが、歴代の死霊術師であると」
イネスが目を走らせる一番上に書かれてあったことに、彼女は眉をひそめた。
「《始祖の魔王》イネス・ルシファー封印……」
「色んな所を見ても、過去の死霊術師の引き起こした出来事で、唯一今の俺が干渉出来るものだった。だから来てみた。先代の遺したものを、かつての死霊術師が辿った軌跡ってのを、直接見てみたかった」
そこに書かれていたのは、数々の死霊術師が辿った歴史だった。
執筆主は誰かは分からない。一番最初に記されている、イネスを封印したとされる初代死霊術師から一代も途切れず記された一冊の古書。
最後の行に書かれた、「ローグ・クセル」の名前の下にはまだ、何も書かれていないようだった。
「どの代を見ていても、恐怖で縛り付け、操って側に置いている。死霊術師の性分からしたら、それが正解なのかもしれないけど」
不安そうに呟くローグに、イネスは静かに聞き耳を立てていた。
「俺は、友達が欲しい。死霊術師に捕らわれずに、心から一緒に話せる友達が、互いに背中を預けられて一緒に冒険出来る友達が欲しい。そして俺は、全世界の人間と友達になってみせるんだ……!」
きょとんとするイネスだが、彼女自身も、ちらりと自らの《封魔の間》から少し離れた元聖地林所属のとある墓を見つめて呟いた。
「友達、ですか」
「そんで、俺はその友達第一号には、イネスになって欲しいと思ってる」
屈託のない笑顔を浮かべて、ローグ少年はイネスを指さした。
イネスは、心底嫌そうな表情で首を横に振るだけだった――。
イネスが封印を受けてから900年余り。それは唐突に勃発したという。
イネス実効支配の時のような魔族領域に拠点を置き、畏怖と保有戦力の威嚇による世俗との隔絶を図っていた魔族の在り方は変わっていった。
イネス・ルシファー亡き後、新たに魔王として台頭したフェニックス一族により、魔族はその強大な保有戦力を用いた領土拡大策に大きく打って出たのだった。
数は少なくとも、個で圧倒的な力を有する魔族たち。
結果、大陸を南北に分断するユーリウス山脈以北は、完全に魔の手に落ちた。
ミレット大陸以北に集中していた亜人族国家――エルフ族居住区《エルフの古代樹》、龍人族居住区霧の国、獣人族居住区聖地林を始めとした土地も侵食を受け、多くは大陸南部の人類生活圏に身を委ねざるを得なくなった。
ローグは言う。
「もともと、何の区分けかは知らないが、北部は亜人国家、南部は人類国家って分かれてたのが混ざりまくってさ。魔族の傀儡として土地に残るのもいれば、戦いを避けて人類国家に雪崩れ込んだのも多くいる。特にエルフの多くは人類区に逃げ込んだけど、その随一の回復能力だけ見込まれてひたすらこき使われたりしたってのはよく聞くよ」
「ここが大陸以北となると、人類も少しは雪崩れ込んできていた、と?」
「魔族を倒そうって勇気のある輩がたくさんいたからな。長期間の戦いと土地土地への順応で、現地で暮らしたり、戦死した人間も多い。それも、子をどっかに置き去りにしたままな」
ローグは自身の手を見つめていた。
「大陸以北にいる貴方も孤児だった、と」
「多分な。父親の顔も、母親の顔も分からない。産まれた時から孤児院住まいだよ。ここから遥か遠くのね。奇跡的に、奴隷にまで身を落とさずにすんだけどな」
ぽつり、ぽつりと言うローグに、イネスは問う。
「その孤児院とやらからはるばるこんな辺境まで?」
ローグは小さく首を振って、答える。
「ついこの間、全滅した。突然孤児院を嗅ぎつけた魔族に襲撃されてね」
古びた本をぱらぱらと捲るローグに、イネスは「うっ」と息を詰まらせた。
「では、孤児院を襲撃した魔族への復讐のために、私を復活させに来たということでしょうか?」
「それは違うね。将来の全てが決まる職業鑑定――いわゆる、《神のお導き》ってやつがあった日、教会で俺は死霊術師の烙印を押された。孤児院にやってきてからも、やれ後ろに化け物が見えるだのってことで気味悪がられてて独りぼっちだったから、そんなに悔しいとも思わないし、復讐しようだなんて思わなかった」
ローグは地べたに座りながら、隣で立ちすくむスケルトン・ゾンビたちに目線を向けた。
「死霊術師だと分かった朝、起きたら横にこのおかしな本があったんだ。それと、姿がはっきりしたスケルトン・ゾンビもな。最初は認めたくもなくて本を地中に埋めたり、焼こうとしたりもした。だけども本はビクともしないどころか、魔族襲撃の際には本の化身であろうこいつらが身を呈して庇ってくれた」
コンッコンッと、軽快にスケルトンの腕を小突くローグは、笑いながら言う。
「だから、俺だけ助かったんだ。そこからは、ちゃんと向き合うために……って思って、今まで避けてたこの本を開いてみた。歴代死霊術師の健忘録って感じだったけどな」
ローグが投げた本を、イネスは受け取る。
「《不死の軍勢》を率いた死霊術師、一国を滅ぼす。戦闘能力を保有しない美女3名を蘇生枠に使用、一国一城を作る……なるほど。これが、歴代の死霊術師であると」
イネスが目を走らせる一番上に書かれてあったことに、彼女は眉をひそめた。
「《始祖の魔王》イネス・ルシファー封印……」
「色んな所を見ても、過去の死霊術師の引き起こした出来事で、唯一今の俺が干渉出来るものだった。だから来てみた。先代の遺したものを、かつての死霊術師が辿った軌跡ってのを、直接見てみたかった」
そこに書かれていたのは、数々の死霊術師が辿った歴史だった。
執筆主は誰かは分からない。一番最初に記されている、イネスを封印したとされる初代死霊術師から一代も途切れず記された一冊の古書。
最後の行に書かれた、「ローグ・クセル」の名前の下にはまだ、何も書かれていないようだった。
「どの代を見ていても、恐怖で縛り付け、操って側に置いている。死霊術師の性分からしたら、それが正解なのかもしれないけど」
不安そうに呟くローグに、イネスは静かに聞き耳を立てていた。
「俺は、友達が欲しい。死霊術師に捕らわれずに、心から一緒に話せる友達が、互いに背中を預けられて一緒に冒険出来る友達が欲しい。そして俺は、全世界の人間と友達になってみせるんだ……!」
きょとんとするイネスだが、彼女自身も、ちらりと自らの《封魔の間》から少し離れた元聖地林所属のとある墓を見つめて呟いた。
「友達、ですか」
「そんで、俺はその友達第一号には、イネスになって欲しいと思ってる」
屈託のない笑顔を浮かべて、ローグ少年はイネスを指さした。
イネスは、心底嫌そうな表情で首を横に振るだけだった――。