――魔族領域、《封魔の間》。
《始祖の魔王》イネス・ルシファーが封印されてから約1000年。
小さなクレーター状になっている穴は、透明な水が張り巡らされており、中央にぽつんと浮かんだ小さな孤島には、いくつもの大岩がアンバランスに積み上げられていた。
並みの重力では為し得ることのないだろう岩の大元から発せられるは、1000年もの間絶えず放出され続けている微量な魔力の存在だ。
「……なぁんもないのに、寂しいもんだな。何が悲しくて、死人の墓の見張りなんざしてなきゃならねーんだ」
「お前も魔族の端くれならば、《始祖の魔王》様に携われるだけで幸せであることを自覚すべきだがな」
「んなこと言われてもなぁ。今はルシファー因子の一族よりも、フェニックス因子の一族のがよっぽど魔王の役割果たしてるだろ。俺たちが産まれる遙か前の元魔王が何したかなんて、正直な……」
黒の軍服を身に纏い、護身用の剣を腰に帯刀しているのは二人の魔族だ。
その軍服の肩には、紅の鳥――現魔王の一族である不死鳥一族の紋様が描かれている。
「それに、訂正しておけ。《始祖の魔王》様は亡くなっていない。世界を恐慌に陥れた、我等が英雄だ。今は何者かによって封印されているだけだ。また覚醒された暁には、魔族も多いに再興するだろう」
「何者かによって、ねぇ。《始祖の魔王》様、最強だったんだろ? それが1000年も封印されてるなら、もうどうしようもないと思うんだがねぇ」
首をポリポリ?きながら欠伸をする魔族の視線の先に、ふと淡い紫の光が差し込んだ。
「……おい、なぁ、なんだ? あれ」
ふと、光の方角に目を向けた瞬間。
「その何者かの封印を、今日は解かせていただきます。死霊術師の誓約、解除」
どこからともなく聞こえたのは、少年の声だった。
二人の見張りが声に気付き、辺りを見回した時にはもう遅かった。
「カキキ、クコゥ」「ウンヴァォッ」
二人の前に現れたのは、小刀を携えた骸骨兵。そして気付かぬうちに背後は、顎を外した腐人にとられていた。
骸骨兵は小刀で素早く一人の喉元に刀を突き立て、腐人は外れた顎を大きく開けて、背後から腐敗した歯を突き立てた。
「――ぁっ?」
「で、伝れ……」
声を発することは出来なかった。
何もすることも出来ず、身柄を拘束されていた。
何か言葉を発せば殺される。何か挙動を起こせば殺される。
それは魔族として生きてきたこれまで一度も味わったこともない、間近に迫った死の恐怖だった。
一瞬の戦闘を終えた骸骨兵と腐人は、直立して主の歩みを眺めていた。
「ここが、かつての死霊術師が魔王を封印した、《封魔の間》ってやつか。なるほど、禍々しい空気がぷんぷん流れてる」
古びた本をぱたりと閉じた少年は、軽い足取りで二人の前を通り過ぎていく。
ことりと、二人の前に置いた小さなお香。
睡眠誘発成分を持つ聖地林産のネムリクサから抽出されたそれを嗅いだ二人の意識が遠のいた。
「クココ?」「ウヴァウ」
律儀に主の支持を待つゾンビとスケルトンに、待機命令を出して少年は水の前に立った。
禍々しく、この世を全て覆ってしまえるほどの負のオーラが岩元の下にある。
現在は完全な封印下にあるその生ける災厄に、少年は手を伸ばした。
「遥か1000年前。当時の死霊術師によって封印された災厄の魔王、イネス・ルシファー。死霊術子供達の鎮魂歌で破滅に追い込まれ、それ以来《封魔の間》にて幽閉中。……基本情報はこのくらいか」
故郷で育った孤児院にて発見した一冊の歴史書。
古びた装丁と黄ばんだ紙は、随分と年季が感じられるものだった。
「追放者同士、仲良くなれるといいんだけどな……」
地に円を描き、少年は呟いた。
「死霊術、死者との通信」
地に描かれた円の中央から、大岩の元へと向かって一本の白い光が伸びていく。
「やはり死んでいるか。自らの身体を魔力分子レベルで分散させて、来たる時を待っていた……ってことか」
手持ちの本に記載されている貴重な文献を音読しながら、少年は歩みを進めた。
「争いを起こさないために、強大な力を持っていた。事実、イネス実効支配の1000年前は人魔間での争いはなかったそうだ。だけどイネス支配が崩壊して900年、積み重なった小競り合いが続いた結果、昨今の人魔大戦は引き起こされた……。案外、恐怖による抑止力ってのも間違ってなかったってことだよな」
大岩の周りに張られた障壁に、若人の死霊術師は足を踏み入れた。
「俺は分かる。あなたはとてもいい人なんだと思う。魔王様演じてでも、争いの種を消そうとした。色んな人から嫌われても、孤高の存在であることを貫いた」
イネス・ルシファーは、どこか死霊術師に似ていると思った。
産まれた時からの運命に抗うことも出来ない。肩書きだけで嫌われる。
それでも、始祖の魔王は役割を貫き通して、絶命していった。
1000年もの長い間、成仏出来ない魂を狭く暗いこの場に封印され続けてきた。
「だからこそ、俺はあなたに決めた。あなたに教えを請いたい。あなたに生き様を学びたい」
死霊術師、最高到達スキル、死者蘇生。
死霊術師に与えられた最たる能力の1つである。
対象が遥か昔の生物であれど、そこに思念が止まっていれば3つの個体に限り、蘇生させることが出来る。
だが、代償も遥かに多い。
蘇生個体1つが世俗と繋がりを持ち続ける限り、蘇生させた主の生命エネルギーも徐々に蝕んでいく。
「願わくば、あなたと共に歩いて行けることを。――死者蘇生」
若い死霊術師の体内から顕現した、燃えるような紅い球体。
身体を再構築するだけの膨大な魔法力が、糸を引くように大岩の下へと潜り込んでいった。
ふと、孤島の周りに張り巡らされていた水が、重力に逆らって孤島中心の大岩の元へ注がれていく。
吸収されていく透明な水は、次第に辺りに紫色の霧となって視界を曇らせた。
大岩は淡い黒光を帯びて、霧散していく。かつて1000年前の死霊術師が掛けた封印が解けていく瞬間だった。
大岩の元で、カツンと誰かが足踏みする音が少年の耳に、はっきりと届いた。
「突然どこの誰が封印された私に偉そうに語っているのかと思えば――」
気高くも、澄んだ女性の声。紫霧の中から黒い人影が姿を現した。
黒のロングドレスに身を包んだ、グラマーな女性だ。月夜に照らされ淡く輝く銀色のポニーテールと、凍てつくような鋭い目線は真っ直ぐ少年に向けられた。
「おはよう。あなたは今日から俺の仲間だ」
「――人間風情が戯言をほざくなど、1000年早い。滅ぼして差し上げましょう」
それが《死霊術師》、ローグ・クセルと《始祖の魔王》イネス・ルシファーの初めての出会いだった。
《始祖の魔王》イネス・ルシファーが封印されてから約1000年。
小さなクレーター状になっている穴は、透明な水が張り巡らされており、中央にぽつんと浮かんだ小さな孤島には、いくつもの大岩がアンバランスに積み上げられていた。
並みの重力では為し得ることのないだろう岩の大元から発せられるは、1000年もの間絶えず放出され続けている微量な魔力の存在だ。
「……なぁんもないのに、寂しいもんだな。何が悲しくて、死人の墓の見張りなんざしてなきゃならねーんだ」
「お前も魔族の端くれならば、《始祖の魔王》様に携われるだけで幸せであることを自覚すべきだがな」
「んなこと言われてもなぁ。今はルシファー因子の一族よりも、フェニックス因子の一族のがよっぽど魔王の役割果たしてるだろ。俺たちが産まれる遙か前の元魔王が何したかなんて、正直な……」
黒の軍服を身に纏い、護身用の剣を腰に帯刀しているのは二人の魔族だ。
その軍服の肩には、紅の鳥――現魔王の一族である不死鳥一族の紋様が描かれている。
「それに、訂正しておけ。《始祖の魔王》様は亡くなっていない。世界を恐慌に陥れた、我等が英雄だ。今は何者かによって封印されているだけだ。また覚醒された暁には、魔族も多いに再興するだろう」
「何者かによって、ねぇ。《始祖の魔王》様、最強だったんだろ? それが1000年も封印されてるなら、もうどうしようもないと思うんだがねぇ」
首をポリポリ?きながら欠伸をする魔族の視線の先に、ふと淡い紫の光が差し込んだ。
「……おい、なぁ、なんだ? あれ」
ふと、光の方角に目を向けた瞬間。
「その何者かの封印を、今日は解かせていただきます。死霊術師の誓約、解除」
どこからともなく聞こえたのは、少年の声だった。
二人の見張りが声に気付き、辺りを見回した時にはもう遅かった。
「カキキ、クコゥ」「ウンヴァォッ」
二人の前に現れたのは、小刀を携えた骸骨兵。そして気付かぬうちに背後は、顎を外した腐人にとられていた。
骸骨兵は小刀で素早く一人の喉元に刀を突き立て、腐人は外れた顎を大きく開けて、背後から腐敗した歯を突き立てた。
「――ぁっ?」
「で、伝れ……」
声を発することは出来なかった。
何もすることも出来ず、身柄を拘束されていた。
何か言葉を発せば殺される。何か挙動を起こせば殺される。
それは魔族として生きてきたこれまで一度も味わったこともない、間近に迫った死の恐怖だった。
一瞬の戦闘を終えた骸骨兵と腐人は、直立して主の歩みを眺めていた。
「ここが、かつての死霊術師が魔王を封印した、《封魔の間》ってやつか。なるほど、禍々しい空気がぷんぷん流れてる」
古びた本をぱたりと閉じた少年は、軽い足取りで二人の前を通り過ぎていく。
ことりと、二人の前に置いた小さなお香。
睡眠誘発成分を持つ聖地林産のネムリクサから抽出されたそれを嗅いだ二人の意識が遠のいた。
「クココ?」「ウヴァウ」
律儀に主の支持を待つゾンビとスケルトンに、待機命令を出して少年は水の前に立った。
禍々しく、この世を全て覆ってしまえるほどの負のオーラが岩元の下にある。
現在は完全な封印下にあるその生ける災厄に、少年は手を伸ばした。
「遥か1000年前。当時の死霊術師によって封印された災厄の魔王、イネス・ルシファー。死霊術子供達の鎮魂歌で破滅に追い込まれ、それ以来《封魔の間》にて幽閉中。……基本情報はこのくらいか」
故郷で育った孤児院にて発見した一冊の歴史書。
古びた装丁と黄ばんだ紙は、随分と年季が感じられるものだった。
「追放者同士、仲良くなれるといいんだけどな……」
地に円を描き、少年は呟いた。
「死霊術、死者との通信」
地に描かれた円の中央から、大岩の元へと向かって一本の白い光が伸びていく。
「やはり死んでいるか。自らの身体を魔力分子レベルで分散させて、来たる時を待っていた……ってことか」
手持ちの本に記載されている貴重な文献を音読しながら、少年は歩みを進めた。
「争いを起こさないために、強大な力を持っていた。事実、イネス実効支配の1000年前は人魔間での争いはなかったそうだ。だけどイネス支配が崩壊して900年、積み重なった小競り合いが続いた結果、昨今の人魔大戦は引き起こされた……。案外、恐怖による抑止力ってのも間違ってなかったってことだよな」
大岩の周りに張られた障壁に、若人の死霊術師は足を踏み入れた。
「俺は分かる。あなたはとてもいい人なんだと思う。魔王様演じてでも、争いの種を消そうとした。色んな人から嫌われても、孤高の存在であることを貫いた」
イネス・ルシファーは、どこか死霊術師に似ていると思った。
産まれた時からの運命に抗うことも出来ない。肩書きだけで嫌われる。
それでも、始祖の魔王は役割を貫き通して、絶命していった。
1000年もの長い間、成仏出来ない魂を狭く暗いこの場に封印され続けてきた。
「だからこそ、俺はあなたに決めた。あなたに教えを請いたい。あなたに生き様を学びたい」
死霊術師、最高到達スキル、死者蘇生。
死霊術師に与えられた最たる能力の1つである。
対象が遥か昔の生物であれど、そこに思念が止まっていれば3つの個体に限り、蘇生させることが出来る。
だが、代償も遥かに多い。
蘇生個体1つが世俗と繋がりを持ち続ける限り、蘇生させた主の生命エネルギーも徐々に蝕んでいく。
「願わくば、あなたと共に歩いて行けることを。――死者蘇生」
若い死霊術師の体内から顕現した、燃えるような紅い球体。
身体を再構築するだけの膨大な魔法力が、糸を引くように大岩の下へと潜り込んでいった。
ふと、孤島の周りに張り巡らされていた水が、重力に逆らって孤島中心の大岩の元へ注がれていく。
吸収されていく透明な水は、次第に辺りに紫色の霧となって視界を曇らせた。
大岩は淡い黒光を帯びて、霧散していく。かつて1000年前の死霊術師が掛けた封印が解けていく瞬間だった。
大岩の元で、カツンと誰かが足踏みする音が少年の耳に、はっきりと届いた。
「突然どこの誰が封印された私に偉そうに語っているのかと思えば――」
気高くも、澄んだ女性の声。紫霧の中から黒い人影が姿を現した。
黒のロングドレスに身を包んだ、グラマーな女性だ。月夜に照らされ淡く輝く銀色のポニーテールと、凍てつくような鋭い目線は真っ直ぐ少年に向けられた。
「おはよう。あなたは今日から俺の仲間だ」
「――人間風情が戯言をほざくなど、1000年早い。滅ぼして差し上げましょう」
それが《死霊術師》、ローグ・クセルと《始祖の魔王》イネス・ルシファーの初めての出会いだった。