藁葺き屋根の下に集った一行。
長机に並べられた色とりどりの山の幸を前にして、前頭領であるドリス・マーロゥは一つ、咳払いをした。
「この度は、我が孫娘がご迷惑をおかけした。族を代表して、お詫び申し上げる」
ドリスの両脇には可憐な獣人族の若い女性が二人、正座していた。
『ふむ。主よ。流石は世界有数の生態系を持つ聖地林。肉が美味だ』
「ニーズヘッグさんの故郷は、そうでないんですか?」
『我の故郷は、有数の龍生息地でな。凶暴な龍共が食い散らかしてしまって、美味いのはそうそうありつけん』
「ドラゴンさんは、大変なのですねぇ」
ミカエラの膝の上でハグハグと肉に齧り付くニーズヘッグと、果実を口に含み「お、おいひぃ……!」と尖ったエルフの耳をピクピク嬉しそうに動かして手を伸ばすミカエラ。
ローグは、この柵に囲まれた村一番の大きな家の元にいる。
大聖堂ほど広い空間だが、そこは実に寂しいものだった。
家具もなく、装飾品もない部屋には最小限設けられた出窓に、小さな囲炉裏が2つ。その中には、申し訳程度に灯された火がパチパチと燃えている。
とても、一時村の長だった者の住まいとは思えない。
「見ての通り、この有様です。SSSランク冒険者ローグ・クセル殿。ティアリスがどのような依頼をしたのかは分かりませんが、お支払いする報酬どころか、日銭を稼ぐのがやっとです。遙々ご足労いただきありがたいのですが――」
「んんんんんんんんむんむ!! んんんんもぅんんあんぁ!!」
「何というかとりあえず、ティアリスの轡と縄解いてやれませんかね……?」
「ああでもせねば、また無断で2日も姿を眩ました挙げ句、我等一族総出で探さねばなりませぬ。全く、とんだじゃじゃ馬娘に育ちおってからに」
ティアリスは、木の柱に手足と腰を縄で縛られた上で、轡まで嵌められるという完全拘束状態にあった。
聞くところによれば、ドリスら以外にも、クラリスまでもが捜索に乗り出していたらしい。
長く伸びた白髭を右の指でさするドリス。
「あつつ……」と顔を歪ませる老人の左腕の袖が、ひらりと揺れていた。
側に控えていた獣人族の女性が、どこからともなく小鉢を持って、甲斐甲斐しくドリスの左腕に液体を塗布する。
「いやはや、お見苦しい所を。寄る年波には敵いませんでな。流行りの風土病に蝕まれて、この通りですわ」
ドリスは左の袖を捲る。
細く、血が通っていない左の腕がそこにはあった。
老人の腕と言えど、肩から先は黒ずみ、所々に緑の変色も見られている。
それは、腕の壊死に他ならなかった。
「初めは、手の先から。一年半頃前に発症し、今では左の肩まで病魔に蝕まれております。いずれ、全身に廻っていくでしょうなぁ。一年半前――森の木々が枯れ始めた頃から流行り始め、老若男女問わず症状が増えてきています。これもきっと、神からの試練でしょうな。こんな所にいてもいたずらな流行病に罹るだけですぞ。ヴォハハハハ」
自虐気味に笑うドリスのその腕を見て、侍女2人も顔を強張らせる。
――と。
「んぁぁぁんあむあむ……んぁぐっ!!」
縛られていたティアリスが、嵌められていた轡を気合いで噛みちぎってドリスを睨み付ける。
「ドリス爺も、分かってるはずなの。クラリス姉は、頭領になってからおかしくなったって。ドリス爺が流行り病に罹って頭領を退いた一年半前から、かつてのクラリス姉じゃなくなったって!」
「頭領の方針に従うのは、初代からの伝統でもあり、部族存続のための絶対規範。例え頭領の身内であろうが、変わりはないぞ」
「だからって……! ドリス爺の流行り病だって、治るかもしれないの――! こんな狭い柵の中に閉じ込められ続けるだけなら、治るものも治らないの!」
「いたずらに聖地林を歩き回っていた頃より、進行も格段に遅い。このままここにいれば、もう少しほどは長生き出来ようて」
左腕をぐるぐると回して、まだまだ健在であることを示すドリスの一言に、ティアリスは深く肩を落としていたのだった。
○○○
三日月の光が、聖地林を照らしていた。
ローグら一行は、ドリスが用意した客人用の宿で一夜を明かすことになった。
ここに来てのニーズヘッグは、本来の力を発揮するどころか、常にミカエラの側で癒やしの力を浴びていないとすぐに眠ってしまうようになっている。
現在は既にミカエラと共に床に入っているため、明日の朝まで起きることはないだろう。
「それを考えると、ミカエラが着いてきてくれたのは正解だったのかもしれないな」
「ローグ様の片腕としての自覚が足りていないとしか言いようがありませんね」
宿の外でニーズヘッグを糾弾するイネスに、ローグは苦笑いを浮かべた。
「――で、イネスは分かるんだな?」
そんなローグの一言に、イネスは躊躇いながらも「はい」と小さく呟いた。
「ここに至るまでの森林帯の朽ち木の数々、ドリス・マーロゥを蝕む壊死性の身体腐敗。恐らく、元々この地が澄み切っていたからこそ進行が早まったものと考えられます」
聖地林に来てからここまで、イネスはどこか心当たりがありながらも、現地の民に悟られないように振る舞ってきた。
ローグと二人になるその瞬間を、彼女は待っていた。
「『瘴気』による聖地林全体の空気の淀みとみて、間違いはないかと。現在この地に流れる瘴気の量は、平地のおおよそ10倍は下らないでしょう」
素っ気ないイネスの答えに、ローグも大きく息を吐いた。
「確か、魔族が体内に保有する魔法力とは別の力――魔力が、宿主の体内を飛び出て空気中に四散・蔓延して起こる現象……だったか?」
「はっ。広義の意味となると、『瘴気』も破壊魔法の一派に分類されますが……」
イネス・ルシファーを始めとする魔族には、生まれ持って『魔力』という邪の力が備わっている。
イネスが使う破壊魔法なども魔法には分類されているものの、力の出所は「魔法力」ではなく、「魔力」となる。
これは、魔族が持っている性質の一つと言える。元々負のオーラを体現する魔力は、正の力である「魔法力」を有する多くの人類、亜人、魔物以外の生物にとって相性が悪い。
「ニーズヘッグが本調子とならないのも、彼自身の防衛本能からでしょう。あの小さな身体に加えて、一度滅んだ肉体を無理矢理再構築させている以上、身体を内から破壊する瘴気との相性は最悪ですから」
「ドリスさんの左腕も、瘴気を体内に吸収し続けた結果、身体内から破壊活動が行われてる……ってことか」
ふと、ローグの視線の先には枯れ果てた木々が映る。
「じゃあ、そもそもなんでその瘴気がここまで蔓延してるんだ。元々、魔族の体内に宿るもんで、宿主が四散させないとないんだろう?」
「瘴気の放出原因は大きく分けて2つです。1つは、魔族間で意図的に魔力干渉が行われて、余波が辺り一帯に撒き散らされるか。そしてもう1つは――」
イネスは、拳をグッと握りしめた。
「超巨大な一つの魔力が大量放出されたことによる、魔力災害です」
淡々と呟くイネスだが、その表情はどこか堅い。
「魔力災害、か。なるほど、これで合点がいったな。シャリス・マーロゥの墓付近が最も枯れ木も多く、生物もいない。ここまで来てようやく木々の侵食がまばらになってきてる。となると、大量放出している魔力の出所ってのは……」
ちらり、ローグは横目でイネスを伺った。
イネスは下唇をきゅっと噛んで、「――恥ずかしながら」とそこを見た。
「シャリス・マーロゥ墓地のすぐ隣にある魔族領域管轄、イネス・ルシファーの墓地からの魔力であることに、間違いありません」
「だよな……」
そんな二人の目線の先には、小さな三日月の光に照らされた2つの墓が燦然と輝いていた――。
長机に並べられた色とりどりの山の幸を前にして、前頭領であるドリス・マーロゥは一つ、咳払いをした。
「この度は、我が孫娘がご迷惑をおかけした。族を代表して、お詫び申し上げる」
ドリスの両脇には可憐な獣人族の若い女性が二人、正座していた。
『ふむ。主よ。流石は世界有数の生態系を持つ聖地林。肉が美味だ』
「ニーズヘッグさんの故郷は、そうでないんですか?」
『我の故郷は、有数の龍生息地でな。凶暴な龍共が食い散らかしてしまって、美味いのはそうそうありつけん』
「ドラゴンさんは、大変なのですねぇ」
ミカエラの膝の上でハグハグと肉に齧り付くニーズヘッグと、果実を口に含み「お、おいひぃ……!」と尖ったエルフの耳をピクピク嬉しそうに動かして手を伸ばすミカエラ。
ローグは、この柵に囲まれた村一番の大きな家の元にいる。
大聖堂ほど広い空間だが、そこは実に寂しいものだった。
家具もなく、装飾品もない部屋には最小限設けられた出窓に、小さな囲炉裏が2つ。その中には、申し訳程度に灯された火がパチパチと燃えている。
とても、一時村の長だった者の住まいとは思えない。
「見ての通り、この有様です。SSSランク冒険者ローグ・クセル殿。ティアリスがどのような依頼をしたのかは分かりませんが、お支払いする報酬どころか、日銭を稼ぐのがやっとです。遙々ご足労いただきありがたいのですが――」
「んんんんんんんんむんむ!! んんんんもぅんんあんぁ!!」
「何というかとりあえず、ティアリスの轡と縄解いてやれませんかね……?」
「ああでもせねば、また無断で2日も姿を眩ました挙げ句、我等一族総出で探さねばなりませぬ。全く、とんだじゃじゃ馬娘に育ちおってからに」
ティアリスは、木の柱に手足と腰を縄で縛られた上で、轡まで嵌められるという完全拘束状態にあった。
聞くところによれば、ドリスら以外にも、クラリスまでもが捜索に乗り出していたらしい。
長く伸びた白髭を右の指でさするドリス。
「あつつ……」と顔を歪ませる老人の左腕の袖が、ひらりと揺れていた。
側に控えていた獣人族の女性が、どこからともなく小鉢を持って、甲斐甲斐しくドリスの左腕に液体を塗布する。
「いやはや、お見苦しい所を。寄る年波には敵いませんでな。流行りの風土病に蝕まれて、この通りですわ」
ドリスは左の袖を捲る。
細く、血が通っていない左の腕がそこにはあった。
老人の腕と言えど、肩から先は黒ずみ、所々に緑の変色も見られている。
それは、腕の壊死に他ならなかった。
「初めは、手の先から。一年半頃前に発症し、今では左の肩まで病魔に蝕まれております。いずれ、全身に廻っていくでしょうなぁ。一年半前――森の木々が枯れ始めた頃から流行り始め、老若男女問わず症状が増えてきています。これもきっと、神からの試練でしょうな。こんな所にいてもいたずらな流行病に罹るだけですぞ。ヴォハハハハ」
自虐気味に笑うドリスのその腕を見て、侍女2人も顔を強張らせる。
――と。
「んぁぁぁんあむあむ……んぁぐっ!!」
縛られていたティアリスが、嵌められていた轡を気合いで噛みちぎってドリスを睨み付ける。
「ドリス爺も、分かってるはずなの。クラリス姉は、頭領になってからおかしくなったって。ドリス爺が流行り病に罹って頭領を退いた一年半前から、かつてのクラリス姉じゃなくなったって!」
「頭領の方針に従うのは、初代からの伝統でもあり、部族存続のための絶対規範。例え頭領の身内であろうが、変わりはないぞ」
「だからって……! ドリス爺の流行り病だって、治るかもしれないの――! こんな狭い柵の中に閉じ込められ続けるだけなら、治るものも治らないの!」
「いたずらに聖地林を歩き回っていた頃より、進行も格段に遅い。このままここにいれば、もう少しほどは長生き出来ようて」
左腕をぐるぐると回して、まだまだ健在であることを示すドリスの一言に、ティアリスは深く肩を落としていたのだった。
○○○
三日月の光が、聖地林を照らしていた。
ローグら一行は、ドリスが用意した客人用の宿で一夜を明かすことになった。
ここに来てのニーズヘッグは、本来の力を発揮するどころか、常にミカエラの側で癒やしの力を浴びていないとすぐに眠ってしまうようになっている。
現在は既にミカエラと共に床に入っているため、明日の朝まで起きることはないだろう。
「それを考えると、ミカエラが着いてきてくれたのは正解だったのかもしれないな」
「ローグ様の片腕としての自覚が足りていないとしか言いようがありませんね」
宿の外でニーズヘッグを糾弾するイネスに、ローグは苦笑いを浮かべた。
「――で、イネスは分かるんだな?」
そんなローグの一言に、イネスは躊躇いながらも「はい」と小さく呟いた。
「ここに至るまでの森林帯の朽ち木の数々、ドリス・マーロゥを蝕む壊死性の身体腐敗。恐らく、元々この地が澄み切っていたからこそ進行が早まったものと考えられます」
聖地林に来てからここまで、イネスはどこか心当たりがありながらも、現地の民に悟られないように振る舞ってきた。
ローグと二人になるその瞬間を、彼女は待っていた。
「『瘴気』による聖地林全体の空気の淀みとみて、間違いはないかと。現在この地に流れる瘴気の量は、平地のおおよそ10倍は下らないでしょう」
素っ気ないイネスの答えに、ローグも大きく息を吐いた。
「確か、魔族が体内に保有する魔法力とは別の力――魔力が、宿主の体内を飛び出て空気中に四散・蔓延して起こる現象……だったか?」
「はっ。広義の意味となると、『瘴気』も破壊魔法の一派に分類されますが……」
イネス・ルシファーを始めとする魔族には、生まれ持って『魔力』という邪の力が備わっている。
イネスが使う破壊魔法なども魔法には分類されているものの、力の出所は「魔法力」ではなく、「魔力」となる。
これは、魔族が持っている性質の一つと言える。元々負のオーラを体現する魔力は、正の力である「魔法力」を有する多くの人類、亜人、魔物以外の生物にとって相性が悪い。
「ニーズヘッグが本調子とならないのも、彼自身の防衛本能からでしょう。あの小さな身体に加えて、一度滅んだ肉体を無理矢理再構築させている以上、身体を内から破壊する瘴気との相性は最悪ですから」
「ドリスさんの左腕も、瘴気を体内に吸収し続けた結果、身体内から破壊活動が行われてる……ってことか」
ふと、ローグの視線の先には枯れ果てた木々が映る。
「じゃあ、そもそもなんでその瘴気がここまで蔓延してるんだ。元々、魔族の体内に宿るもんで、宿主が四散させないとないんだろう?」
「瘴気の放出原因は大きく分けて2つです。1つは、魔族間で意図的に魔力干渉が行われて、余波が辺り一帯に撒き散らされるか。そしてもう1つは――」
イネスは、拳をグッと握りしめた。
「超巨大な一つの魔力が大量放出されたことによる、魔力災害です」
淡々と呟くイネスだが、その表情はどこか堅い。
「魔力災害、か。なるほど、これで合点がいったな。シャリス・マーロゥの墓付近が最も枯れ木も多く、生物もいない。ここまで来てようやく木々の侵食がまばらになってきてる。となると、大量放出している魔力の出所ってのは……」
ちらり、ローグは横目でイネスを伺った。
イネスは下唇をきゅっと噛んで、「――恥ずかしながら」とそこを見た。
「シャリス・マーロゥ墓地のすぐ隣にある魔族領域管轄、イネス・ルシファーの墓地からの魔力であることに、間違いありません」
「だよな……」
そんな二人の目線の先には、小さな三日月の光に照らされた2つの墓が燦然と輝いていた――。