悍ましく、果てしなく暗いその気配に、ローグの腕の中にいたティアリスの耳がピクピクと揺れ動く。
 本能的に、触れてはいけないモノとの邂逅を感じ取っているかのように。

「旦那って、一体――?」

 ローグたちを取り囲むようにして盾となっているのは、骸骨兵(スケルトン)だ。
 手に槍を持ち、注がれる火矢を物ともせずに撃ち落としていく。

「クカカカカコキ」

 どこからか飛んできた火矢の一部が、骸骨兵(スケルトン)の右腕の肩を射貫く。
 カキンと小気味のいい音が聞こえたと同時に、射貫かれた右の肩から先が地面にぼとり、落ちていく。

「クカカ……コキッ」

 骸骨兵(スケルトン)は首を百八十度回転させ、人体構造の可動区域を無視して真後ろに槍を大きく投擲。

「ぬぉぉ!?」

 暗闇のなか、高速移動していた火矢を持つ者の一人が、鈍い音を立てて草原の上に倒れ込んでいく。

「まぁ、正義の味方には程遠いかな。……って、どうした」

 ローグは、苦笑いを浮かべながら、不安の顔を浮かべるティアリスの頭を撫でた。

「この匂い、ティア苦手かも、なの」

 ローグたちを護るように、円形状に配置された50体もの骸骨兵(スケルトン)軍。
 そんなローグたちの先では、もう一つの偉業が真価を発揮していた。

「ゴルルルルルァァッ!!」

 半壊した声帯を鋭く震わせながら、腐敗漂わせるその体躯に似合わぬ俊敏さで、闇夜を駆ける集団。

「くっせぇなおい……! それにこいつら、攻撃が効きませんぜ、頭領!」
「お頭! いつの間にか俺たちの周り囲まれてんぜ。内ばっか見てねーで外の方も指揮してやってくれ。新入りが上手く機能してねぇ」

 闇に紛れた襲撃者が、火矢を投げ捨て片手剣で応戦していた。
 襲撃者の「頭領」との言葉に、ティアリスがピクリと眉を歪めた。

「魔族? いや、この波動は感じたことがねェな。じゃあ、こいつらは……?」

 ふと、襲撃者のなかで一際目立つ声がした。
 凜々しくも、若い女の声だ。

「お、おいティアリス!?」

 その声を聞いたティアリスは、ローグの静止を振りほどいた。
 唇を噛みしめて、骸骨兵(スケルトン)の軍を掻き分けていく。
 未だ臨戦態勢の彼らの前に立って、ティアリスは声の方へ叫んだ。

「魔族じゃ無いよ。この人たちは、ティアが連れてきたの。クラリス(ねぇ)

 穏やかに言うティアリス。
 先ほどまで、至る所で飛んでいた火矢の照射が一気に止んだ。
 ローグも呼応するかのように、地面に手を置き、《不死の軍勢》の停止を命令する。

「へぇ」

 コツ、コツと。まるで草原を歩いているようには感じられない軽快な足音と共に、女の足が浮かび上がる。

獣約規範(じゅうやくきはん)第十八条第三項。『夜間外出ハ厳禁トス』。第二条第一項『初代ノ墓ノ接近ヲ禁ズ』。一つばかりか、二つも破りやがって。投獄どころか、懲罰房モンだ。アタシの妹だってんなら知らねぇ訳はねェよな、ティア」

「クラリス姉が頭領になって出来たばっかりの下らない規範に、ティアが従う理由はないの」

「……悪ぃな、武器ぃ下ろしてくれ」

 声の主が右手を挙げると、ローグたちを囲っていた火が次々と消えていく。
 代わりに、彼女の両隣には松明を持った男が二人現れ、女の姿が鮮明に浮かび上がった。

 ティアリスと同じ栗色の髪は、腰までボサッと伸びきっている。
 一切警戒を解くまいと、頭の上にピンと立てた獣耳や凜々しい顔つきは、どこか幼いティアリスをそのまま大人にしたように感じられた。
 華奢ながらも、筋肉ばったその手足とグラマーな胸元。丈の短いトップスにビキニパンツ。露出度の多い服装で、さらけ出された白い腰に手を置いた女性――クラリス・マーロゥは「ふんす」と鼻息荒く、ティアリスに迫った。

聖地林(リートル)の首領は、今はアタシだ。そのアタシに従えないってんなら、部族追放も免れねェって、前から言ってんだろ?」

「じゃあ、さっさとすればいいの。ガビ族53人、ファルル族20人、ジラルグ族14人、ルメール族8人、お爺ちゃん……前頭領含めたマーロゥ族5人を、すぐに追放すればいいの」

 ティアリスは、一歩も引き下がらない。

「……っ!」

「みんな、ティアたちを小さい頃から知ってる人たちなの。みんな、クラリス姉の変わり様を信じられない人たちばかりなの」

「ティア、アンタ人の気も知らねぇで――!」

 キッと、目を吊り上げてクラリスが額に青筋を立てていると、隣の獣人族の男は小さく耳打ちをした。

「お頭。長居は危険です。事が事で無いなら、早く切り上げましょう。……それに、お頭の身内ならば、多少融通は利きます。ですが新入りにも影響が出ない内に、我々が先に戻っておきましょうか」

「……助かる。アタシも後で合流する。いつも悪ぃな」

聖地林(リートル)の為です。お気になさらずに」

 男はクラリスに松明を挙げると、素早く姿を眩ました。
 瞬間、数十人単位の足音が、クラリスと一行から遠ざかっていく。

「ぁあー……ったく、んでティア、後ろのそいつら(・・・・)は何だ?」

 クラリスは、栗色の頭をぽりぽりと?きながらローグたちを指さした。

「SSSランク冒険者のローグ・クセル。ティアが呼んだの」

「そういや、ギルド連合から通達が来てたな。ってぇと、サルディア皇国か。バルラ帝国の侵攻から日も浅いってぇのに、何で呼んだ」

 言い淀むティアリスに、ローグが代わる。

「初めまして、聖地林(リートル)頭領クラリス・マーロゥ様。我が皇国(・・・・)皇王ルシエラ・サルディア、そして《鑑定士》カルファ・シュネーヴルの代理の国使として派遣されています」

 ローグは、挨拶代わりに「SSSランク冒険者」の記載されたステータス画面をクラリスに見せた。

「んな堅苦しい話し方も、様も止してくれ、んな柄でもねェ。にしてもカルファか。あいつは元気にしてんのか?」

「じゃ、お言葉に甘えるとしよう。バルラ帝国の侵攻に、新皇王の即位。ちょうど皇国の再興期だ。寝ても覚めても国のことばっか考えてるよ」

「あっはっは。堅物のアイツらしい。にしても堅実なアイツが、再興真っ只中の今、国の最大戦力(・・・・)をみすみす他国に送るかね。相当な事情があってここに来たんだろうな、SSSランク冒険者サマは?」

 暗い夜道を先導するように歩きながら、クラリスは呟いた。

 後ろには、とてとてと寂しそうについていくティアリス、ニーズヘッグを腕に抱えて辺りをきょろきょろと見回すミカエラ、ローグの二歩後ろを忠実に歩くイネス。
 ローグは、心の中でカルファに謝りつつ少し笑う。

「きな臭い話を聞いたもんでね。ウチの鑑定士さんが、旧友の様子を見てきて欲しいってな。ただでさえ魔族領域と最も距離が近い場所だ。いざこざも起こりやすいだろ」

 クラリスは、それに何も応えなかった。
 答えない代わりに、木々に囲まれた森の中でただ一本、他を遥かに凌駕する大木を指さした。

「あれがアタシらの住処だ。せっかくの客人には悪ぃが、明日の朝またウチに来てくれ。それまではティア、アンタがもてなしな。……そっちにゃ、前頭領もいるんだからよ」

 そう、寂しげに言うクラリス。

「……やっぱり」

 ふと、ローグの後ろを歩いていたイネスが呟いた。

「どうした、イネ……って、どうした!? なんで泣いてんだ!?」

「シャリスの血は本当に受け継がれていたのだなと。クラリス・マーロゥの姿が、余りにもシャリスの面影と似ていたものですから」

 頬を流れる涙を拭ったイネスは、感慨深そうに呟いたのだった。