宴も終わった深夜。
 冒険者ギルドアスカロンから光は消え、騒いでいた冒険者達はみな、床の上で雑魚寝状態で酔い潰れていた。
 それは、彼女の主――ローグ・クセルも例外ではない。

「……ンガガガガ……ゴゴゴゴ……ンガガ……ンガッ」
「俺はぁぁ……冒険者のてっぺんにぃ……なるぅ……男……」

「……うぅ……ぐる……じぃ……」

 大イビキをかくグラン・カルマと、寝言を漏らすラグルド・サイフォンの間に挟まって寝苦しそうに呻くローグの姿を見て、彼女は小さく微笑んでいた。
 机の上に無造作に放られていた任務依頼の羊皮紙。
 酒と食糧に塗れて汚れた紙は滲んでいるものの、はっきりと依頼者『ティアリス・マーロゥ』の文字が確認できた。

 彼女は紙の上の汚れを払い、ロングドレスの胸元へとしまいこんだ。

『こんな真夜中に主を置いて散歩とは、お主にしては珍しいな』

 ふと、扉を出ようとした矢先に聞こえてきたその声。

「あら、ニーズヘッグ。起きてたんですね。ミカエラ・シークレットの膝の上は大層気持ちが良いようですね?」

『ふ、まぁな。龍王(われ)の寝床としては至福と言っても過言ではない。スベスベもちもちな肌触り、適度な温かさ。それに、彼女の周りには程よく心地よい回復能力ありきの魔法力が常に……何だその眼は』

 エルフの幼女ミカエラ・シークレットは柱にもたれ掛かって座っているが、その膝上には、彼女の同僚にして、かつて龍王として名を馳せたニーズヘッグが尻尾をパタパタと揺らしながら大層心地よくまどろんでいる。
 外に出ようとしていた彼女にとってその絵面は、それなりに応えるものがあったらしい。

「いえ、これが私の同僚かと思うと、少し頭が痛くなってきましてね」

『む、お主も来てみるといい。案外悪いものでもないぞ』

 パタパタと尻尾と龍耳を揺らしながら鼻息を荒くする龍王に、彼女は落胆のため息をつきつつも扉に手をかけた。

「夜明けまでには帰りますので、ご心配なさらず」

『「マーロゥ」の言葉が出た時、お主の魔力がザワついていたのは知っているぞ。聖地林(リートル)マーロゥ族と何か確執でもあるのか? 始祖の魔王よ』

 茶化すようにニーズヘッグは言う。
 その言葉に、始祖の魔王――イネス・ルシファーは微笑みながら言葉を返した。

「確執だなんて、とんでもない。ただ少し、知り合いがいまして」

 そう言いながら女は、白く光る月夜に向けて三対の黒翼を背に生やした。

○○○

 倒壊した大聖堂――その横にある貴族街の一角。
 門から後ろに広がる庭の中央には、噴水があった。
 貴族街の中でもとりわけ大きなその建物は、本来皇王に最も近い者が住む私邸ではあるが、大聖堂の崩壊に伴い皇王ルシエラ・サルディアの一時的な仮宅にもなっている。

 真夜中ともなれば、灯りはほとんどついてはいないが、そのなかでもたった一つ。
 広い邸宅2階の端に小さな光が灯っていた。
 部屋の中にいた主は、暗闇の中を飛翔する三対の黒翼を見て思い切り窓を開けた。
 
「イ、イネスさん!? ローグさんなら、『アスカロン』の方で宴を楽しまれていると思いますが、それとも姿が見当たらないとか――」

 あたふたと眠そうな目を擦りながら、カルファはイネスを見つめる。
 ここは、カルファ・シュネーヴルが邸宅だったのだ。

「ローグ様ならば、アスカロンで心地よく酔っておられます。そうではなくて……その……」

 カルファが迎え入れるように窓を開くと、イネスは言いにくそうに翼をたたんで着地した。

「ローグ様に用があるわけではないのです。その……か、カルファ・シュネーヴル! あなたに私の話を聞く権利を差し上げます!」

 妙に紅潮して辿々しいイネスに、カルファはぽかんと口を開けていた。
 書類に向かって持っていた筆ペンを置いて、カルファは意地悪そうに微笑む。

「それは、ローグさんのお供としてのイネスさんですか? それとも、イネス(あなた)自身でしょうか?」

 カルファの問いに、イネスは恥ずかしそうに腕を組んで応える。

「私自身ですが、何か」

「ふふふ、いえいえ。初めてイネスさん本人とお話している気がして、面白くって」

「わ、私の身は第一にローグ様の為にあるものですから、当たり前でしょう。私個人のことなど、二の次三の次で充分です」

 少し焦るように言うイネスが、なおさらカルファにとって面白く感じられた。

「それで、そんなイネスさんがどうしましたか?」

 むすっとした様子で、イネスは胸元から紙を取り出して無理矢理本題に差し掛かった。

「本日夕方、冒険者ギルド『アスカロン』にて獣人族が飛び込んで来ました。これが国際ギルドから提出された受注用紙です。名はティアリス・マーロゥ。どうやらマーロゥ族の仲違いが原因、とのことのようです」

 イネスから受け取った用紙を見て、カルファの目が曇る。

「ティアリス・マーロゥ……。クラリスの妹ですか」

「世界七賢人が《獣戦士》クラリス・マーロゥ。1000年以上続くマーロゥの民の現頭領でしょうか?」

「イネスさんはマーロゥの民のことについて詳しいんですね」

「かつて、少し縁がありまして」

 そう言って、イネスは懐から一つのペンダントを取り出した。
 紅水晶が中央に嵌められた小さな文字入りのペンダントだ。
 イネスのそれを見て、カルファは驚いたように笑った。

「私も、《世界七賢人》時代にクラリスからいただきましたよ。曰く、族に親交の深い者にしか渡さない、彼女たちにとっての『友情の証』だそうですね。ペンダントの裏には――」

 そう言って、カルファは嬉しそうにイネスの前にペンダントの裏を見せつける。

「彼女たちマーロゥの民が使うエリック文字で、『クラリス・マーロゥとカルファ・シュネーヴルが友情は永遠に』……と、書かれているんです! イネスさんは、どなたと友情の儀を結んだんですか?」

 イネスが懐かしむようにペンダントの裏を示した。
 カルファは、ワクワクしてそれを読み上げる。

「『魔王イネス・ルシファーと戦士シャリス・マーロゥが友情は永遠に』……シャリス? と言われれば、どこかで……?」

 首をしきりに傾げるカルファに、イネスは落ち着いた面持ちで言った。

「遥か1000年も前の、私のたった一人の友人の名です」