ヴォイド・メルクールが戦闘不能になって――皇国が、侵略者からの脅威を退けてから、3日が経っていた。

 サルディア皇国冒険者街は、今日も荒んでいた。
 ローグの寝泊まり場所である超格安宿泊所にて、受付婆に銅貨4枚を渡してボロ屋を後にする。
 そんなローグの持つ小包には、小汚い銅貨が2つのみ。

「よう、そこの兄ちゃんよ。今から帰りかい? 今日は新しい皇王の即位だってのに、こんなボロ屋でお泊まりたぁなんとも寂し……ひぃ!? ろ、ローグの兄貴……!? お、おいバカ野郎共! さっさと道を開けろ兄貴のお通りだ!」

「ろ、ローグ!? ご、ゴルドーさん! ローグって、あの(・・)ローグ・クセ――」

「それ以外にどなたがいらっしゃるってんだバカ共! あ、兄貴! きょ、今日はお連れのお二方はいらっしゃらない――」

 スキンヘッドの筋肉ダルマ。白龍、黒龍、赤龍の襲撃にも奇跡的に無傷だったその男ゴルドーが掌の上でゴマを擦りながら、ローグを取り囲もうとしていた部下を蹴って端に寄せたのだが。

「あぁ、ありがとう」

 ローグは、どこか生気のない笑みを浮かべて通り過ぎるだけだった。

「ねぇゴルドーさん」

 ゴルドーの後ろでヒクついた笑みを浮かべる一人。
 当のゴルドーは、「俺は兄貴に何てことぉぉぉぉお!! うぉぉぉぉ!!」と、ツルピカの頭を地面にゴンゴン打ち付けながら激しい後悔の最中のようだった。

「俺たちは、いつアイツの子分になったんですかい……?」

 そんな舎弟の小さな呟きは、ゴルドーの大きな嗚咽に埋もれて聞こえるはずもなかったのだった。

○○○

 サルディア皇国冒険者街、ギルド『アスカロン』。
 野性味溢れる冒険者街のなかでも、最も血気盛んな場所とも呼ばれる建物の看板前には、一人の女性が佇んでいた。
 日の光に輝いた金色の長髪に、すらりと伸びた手足。『龍神伝説』の龍王を象った皇国旗のシンボルマークを胸に刻んだ銀鎧を羽織るその姿は、さながら地上に降臨した女戦神(ヴァルキュリー)のようだ。

「もう身体は大丈夫なのか? 鑑定士さん」

 その言葉に、女性――カルファは息を吐いて、自身の能力《鑑定》を開いてローグに見せた。

「こちら、現在の私のステータスです。魔法力総数200,000/500,000。たった3日間で歩けるほどには回復していただきました」

「数値(あた)りどれくらいの疲労度なのかは俺にはあんま分かんないけど、回復したなら何よりだよ」

「のんびり羽を伸ばすわけにもいきません。帝国の侵略が過ぎたとて、皇国再建は始まったばかりなのですからね。――それに、我が主からご指名なんですよ」

 カルファは、嬉しそうに笑った。

「『私の晴れ舞台までには、隣に戻ってきておきなさい』……と」

 そう、格好良く呟いて歩き出すものの、動きはどこか覚束ない様子だ。
 カクカクと、全身ボロボロの調子が抜けきれないような、ぎこちない歩き方で『アスカロン』を離れるようにしていくカルファに、ローグは苦笑いを浮かべる。

「何ともスパルタな主様だな」

 巷では、ルシエラの皇王即位式は『凋落の皇王』と揶揄されてもいるということをローグは小耳に挟んでいる。
 大聖堂が大きく崩落したことによって、先の亜人戦や、帝国の侵略を国民全てが知ることとなった。
 貴族街に住まう、皇王からの恩恵をさっぱり受けずにいた中流貴族を中心にナッド・サルディア前皇王の杜撰な政も各情報通を始めとしてリークされてきている。
 更に、ルシエラ・サルディアの正常でない(・・・・・)生誕の経緯すらも囁かれていた。
 皇国の凋落が露骨に現れ、今まで内政に資金繰りしていた貴族達も撤退している者もいる。
 全ての国民に受け入れられるわけも無く、むしろ反ルシエラ派の方が圧倒的な数を占めているなかでの式典だ。

「ルシエラ様が戦うと決めたであれば、私は影からお支えしていくまでです。戦後処理もまだまだ残っていますが、それもこれも、皆ローグさんのおかげですよ。……ところで」

 カルファは、朝の風に靡いて揺れる金髪に触れた。
 冒険者街の内側――一般市街や貴族街からは、いつにない賑わいが伝わってくる。
 王都を上げてのお祭り騒ぎのようだ。
 だが、対照的に冒険者街では少しの声も聞こえてこない。

「『アスカロン』の方に、国際ギルドからローグさん宛てに届いていたお手紙が寄せられています。お時間あるときに、目を通しておいてくださいね。SSSランクの冒険者様は、人気者なんですから」

 今までのように切羽詰まった表情では無く、年相応の女の子のように笑ったカルファは、楽しげに冒険者街を後にした。
 ――と、その時だった。

『こんな所にいたのか、主よ。例の宿泊所に向かっても気配が全くなかったのでここらと思ったが、ドンピシャだったようだな、イネス』

 ちょこんと飛んできて、ローグの肩に翼を下ろしたのはニーズヘッグだ。

 ――少しだけ、緊張してるみたいだ。死霊術師(ネクロマンサー)でない俺を人に見せるのは、これが初めてだからな。

 ――ご心配はありません。ローグ様ならばきっと、優秀なお友達を見つけることが出来ます。その時に、私たちを見捨てないで下されば、それだけでイネスは幸せでございます。

 ――我とて、主の役に立てるのであれば光栄だ。何なりと、申しつけるがいい。この世に再び全盛期の力を持ってして蘇生してもらえた恩の分は、返すつもりであるからな。

「ローグ様……」

 息を切らしたイネスが、ギルド前の扉に手をかけるローグに声を掛ける。
 突然朝に宿泊所から姿を眩ましたローグを、疲労抜けきれない身体で追っていたのだろう。

「ご心配はありません」

 かつての言葉を反芻するように、イネスは言った。
 ローグの震える手を、イネスは優しく握る。

 ローグは、ぽつりと呟いた。

「ラグルドさんも、グランさんも、受付嬢さんも、ミカエラも、他の冒険者達も、皆いい人だった」

「ええ。ですが、いざとなれば――このまま立ち去ってもいいでしょう。カルファ・シュネーヴルが生き続けている限り、ローグ様の《死霊術師》はいつまでも隠蔽しておくことが可能です。新天地でやり直すことを選ばれても、我々は最期までお供致します」

『あの二人ならば、この国も多少はマトモになりそうだ。まぁ、長年生きた()だがな』

「……それは、何て言うか嫌だね」

 新人冒険者として、先輩冒険者から指南を受けたこと。
 新人冒険者として、ギルドメンバー全員から手荒い祝福を受けたこと。
 何度も何度も小さな任務をこなして、何度も何度も任務用紙の貼ってある掲示板とにらめっこした。
 何度も何度も酒を酌み交わして、任務報酬の自慢をし合った。

 ローグは、小さく息をついた。

「前なら、怖くて逃げてたけど」

 決意を込めて、ローグは――かつて一度も踏み込めなかった勇気を持って一歩、踏み出した。

「俺はもう、誰より勇敢な冒険者だからな」