とある大陸内の、一山脈。
 その麓は、禍々しい気を放つ一団が占拠していた。

 辺りは夜の闇に包まれ、白い月光に反射して見える様はまさしく魑魅魍魎。全身を骨格で形成したスケルトン、腐臭漂うゾンビの大軍が、軍隊の体を為している。
 ニーズヘッグは、大きな身体で傀儡として蘇生した帝国兵士達の胸元をツンツンといじり、物を捜し当てる。

『なるほど、これだな主よ。見つけたぞ、少数移送用ではあるが、魔法力も充填されてある転移魔方陣の用紙だ』

「助かるよ、ニーズヘッグ」

 カツリ、と。

 靴を鳴らした、軍団の先頭に立ったイネスはすぐさま跪く。

「全戦力の詳しい数値を教えてくれ、イネス」

 ローグは、ニーズヘッグから受け取った転移魔方陣の用紙を眺めつつ、呟いた。

「…………」

 イネスは、答えなかった。
 普段なら即答するであろうイネスの様子に、ニーズヘッグとローグは顔を見合った。

「……イネス?」

 再度ローグが言うと、イネスははっとした様子で顔を上げる。

「も、申し訳ありません。す、骸骨兵(スケルトン)、2480。腐人(ゾンビ)1185、巨人(トロール)5。そして、帝国兵士の傀儡人形が10。ニーズヘッグ、イネス共に計3682の戦力、ローグ様の御前へ」

 珍しいと思いつつも、ローグは思考を切り替える。
 三対の黒翼と、魔力の詰まった白い角を輝かせるイネスの後ろには、物言わぬ私兵がどこまでも広がっている。
 ローグの目の前には今、6年という長い月日を経て培ってきた戦力の全てがあった。
 
死霊術師(ネクロマンサー)、ね」

「どうかなされましたか、ローグ様」

 イネスが、心配そうに問うた。

「忌避だ何だと避けられて、戦場の死体を漁るハイエナだと蔑まれて、それでもここまでやってきた。そういえば、イネスと出会うまでは護衛の10人ほどしかいなかったっけ」

 懐かしむように言うローグに、イネスは微笑む。

「ローグ様ほどのお力を持った方が、それを持て余しているのが我慢ならなかっただけですよ」

『ほぅ、そうだったのか。我が主の元に参じた頃は、既に1000ほどの軍勢を保持していたものだ』

「っつーか、ニーズヘッグ(おまえ)の蘇生を提案してくれたのも、イネスだったからな」

『……な……んだと!? い、イネス、それは本当か!? 何故黙っていたのだ!?』

「実際に蘇生させたのはローグ様ですから。私は進言したに過ぎません」

『お、お主がいなければ、我は再びこの世にもいられなかったということか……く、くはははは。……い、イネスよ。肩でも揉んで――』

「結構です」

 ニーズヘッグの提案を一蹴したイネス。
 ローグは苦笑いを浮かべながら、ニーズヘッグの頭を撫でた。

「軍勢作った所で何が出来るんだって捻くれて、死霊術師(ネクロマンサー)なんてどっかに捨てて来てしまいたいって文句ばっか言ってた俺に、サルディア皇国の鑑定士さんの存在を教えてくれたのはニーズヘッグだったな」

『む。たまたま、飯の確保に向かう途中に遠征組のパーティーから聞いた半信半疑の話だったがな。ようやく見つけたと思ったら窮地に立たされてもいた。ああいう形で取り入れたのは、不幸中の幸いであったな』

 行く当てもなく、宿り木もなく、闇に紛れて世界を旅していたローグを受け入れてくれたのが、カルファだった。
 死霊術師(ネクロマンサー)だったということで、どこの国からも避けられ、疎まれていた。
 彼女にとっては藁にも縋る思いだっただろう。

 ――よろしければ、サルディア皇国内にある冒険者ギルドに。新たな職業、『冒険者』をやってみませんか?

 カルファは、ローグに新しい道を示してくれた。
 冒険者ギルド『アスカロン』という場所に、導いてくれた。
 ニーズヘッグは、『グルルル』と喉を鳴らしながら、『そういえば――』と呟いた。

『イネスは、それが面白くなかったようだな』

「に、ニーズヘッグっ!? 何てことを!?」

『居場所を見つけた(あるじ)が我等の元へ帰ってこないのではと、毎晩毎晩膝を抱えておったのはお主ではないか』

「――っ!?!?!?」

『な、何をするイネス! 嘘は言っていないであろうが!』

 ボッと顔を赤らめたイネスが、無言でニーズヘッグの腹部にポス、ポスと弱々しい拳を当てている。
 いつもクールで表情を崩さないイネスが、感情丸出しで、顔を真っ赤にして狼狽えている。
 柔らかな銀のポニーテールが、寂しく左右に揺れていた。

「ろ、ローグ様がお仲間やお友達を見つけることは、昔からの悲願です! 私も、嬉しいに決まってます! 決まってます!」

『い、イネス! お主の拳、案外痛いのだからもう少し……悪かった、我が悪かぐふぅ!?』

「この戦いが終わったとて、完全に関係が断ち切られるわけでは、ないのですから! ローグ様が、生き続けられる限り、我等とて――……」

 黒の鱗を持つニーズヘッグが、イネスの拳を受け続けて顔を真っ青にしていた中で、彼女の振り上げた拳を掴んだのは、ローグだった。

「ごめんな、イネス」

 後ろから優しく抱きしめるようにして、ローグはイネスの身体に手を回した。

 ――冒険者か……それもいい。失った時を取り戻すには、一番かもしれないからな。

 ――よし。それなら早速その冒険者ギルドとやらに行ってみようか。イネス、ニーズヘッグ、行くぞ!

 死霊術師(ネクロマンサー)という職業を、今まで一番忌避と考え、逃げだそうとしていたのは自分だった。

 ――仰せのままに。

 どんな時も、イネスはその一言と共に後ろをついてきてくれていた。
 だが、主である自分が悲願に近付こうとすればするほどに、彼女らに残酷な選択を強いていたかについてなど考えようともしていなかった。
 
 死霊術師(ネクロマンサー)を否定するということは、培ってきた不死の軍勢(かれら)を、忠実に付き従ってくれていたイネスとニーズヘッグ(かれら)を否定するも同じだったというのに。

「自分のことばっかで、ついてきてくれた皆のこと、全然考えられてなかった。考えようとも、してなかった」

「我々は、一度は朽ちた身です。頂いた命と、大恩を少しでもお返し出来るならば本望。ここの皆、一様にそう考えています。ローグ様の昔からの悲願達成が何より嬉しいのも、本当です」

 イネスは、ローグの手を震えながら握った。

「ですが、新たな舞台に上がられた暁には……。気が向いた時で良いのです。ほんの少しだけ、私共の方を振り返って、思い出してくだされば、私達は――」

 ローグの手甲に、一粒の雫が流れた。
 だからこそ、ローグは思いを込めた。
 強い決意を持って、宣言した。

「振り返りなんかしない。俺は、新たな舞台に、ここの皆を連れて行く」

 逃げずに、闘うことを。
 自らの運命から逃げずに、抗うために。

「……皆を、連れて行く?」

「あぁ、だからまずは、皇国を救う。他のどんな国から嫌われたっていい。どんなくだらない奴から何言われたっていい。皇国に見せつけてやろう。世界に、俺たちを(・・・・)見せつけてやろう」

 ローグは、自身の私兵を見渡した。
 終着点を迎えた不死者達は、再び歩みを進める。
 亡国に瀕したとある一国と、侵略国家は見届けることになるのだった。

皇国(ここ)死霊術師(おれたち)のスタートだと、知らしめてやろう」
 
 ――不死者達の、再出発を。