ダルン地区の平野にて、紅髪の男はパチンと指を鳴らした。
 瞬間、辺りは深紅の光に包まれる。

「アンタ、そっち側(・・・・)かよ」

 苦笑いにも似た表情で、シノンは毒づく。
 当の青年――ヴォイド・メルクールは涼しげな表情を一切崩さない。
 ゴブリン達と相対し、ようやく戦場が落ち着いてきたかと思われた矢先に現れたのは、バルラ帝国国章を手甲に象ったローブ姿の集団だ。

「シノン、これ、多分今までの亜人襲撃も全部説明ついちゃうやつだね。ローグさんの初任務に現れた時と、同じだ」

 ラグルドは、忌々しそうにヴォイドを見つめる。
 ゴブリンロードを討ち取る為だけに、他群と離れていたラグルド、シノンだったが、取り残された戦力で、ゴブリンだけでなく新たに現れた敵も対処しなければならなくなった。
 魔法力も、力も切れかけた皇国兵士や冒険者達の絶望は目に見てすぐに分かった。

「悪く思わないでください。これも、私たちが生き残るには仕方がないのですよ。《ドレッド・ファイア》のラグルド・サイフォンさん、シノン・アスカさん」

 驚く2人に、ヴォイドは自身の手甲にあるバルラ帝国章入りの魔方陣を見せつけた。
 シノンは、その魔方陣に「ん、何か見たことあるぞこれ……?」と首を傾げる。
 ラグルドは小さく呟いた。

「《世界七賢人》が1人、魔法術師ヴォイド・メルクール。皆の憧れである《世界七賢人》がこんなことをするなんて、正直、失望しましたよ」

「ヴォイド!? ヴォイドってあれか! 有名なヴォイドか!」

 炎を象った鉢巻きを巻き直したラグルドに、まじまじとヴォイドを見つめるシノン。
 ヴォイドが召喚した帝国兵士達は、次々に魔法詠唱を奏でていき、あちらこちらで魔法が飛び合う激戦区へと再び早戻りしていた。

「シノン! 応戦だ!」
「わ、分かってる!」

 ラグルドは直剣を(かざ)し、シノンは槍先を突きつける。
 2人の剣戟を眉も動かさずに避けるヴォイド。

「ラグルドさんの直剣は、皇国北西部のミスリル鉱山から採掘されたザイラット鉱石を元に作られた一振りでしょう。素材もさることながら、良い刀鍛冶に仕立ててもらえたのでしょう。この剣は、使いやすそうですね」

「――そりゃどうもッ!」

 ラグルドは大きく剣を振りかぶる。
 「防御魔法――」と、ヴォイドが小さく呟けば、見えない壁に阻まれるかのごとく、ラグルドの剣戟は跳ね返される。

「おっりゃぁぁぁぁ!!」

 槍先を突きつけたシノンの攻撃だが、ヴォイドは見えない壁の奥からシノンの槍先を覗き込む。

「これも、なかなか興味深い。ミノタウロスの堅角……と言った所でしょうか? ミノタウロスなど生きた姿すら見たことがありません。羨ましい限りですね」

 にやり、笑みを浮かべるその姿にシノンの背筋は思わず強張ってしまっていた。
 反射的に槍先を引っ込めたシノンに、ヴォイドは魔法力を込めた。

「大地の精よ、帝国の魂達よ、帝国の主の御前(おんまえ)に勝利を献上せよ。――集積爆炎魔法、呪いの大炎(アポカリプス)

 発した言葉は言霊となり。
 ダルン地区を大きく囲むようにして地面から黒い炎が浮かび上がる。

「……な、消せない! 消せないぞこれ!」
「黒い炎には絶対触れるな! 呪性魔法の類いだ! 魂そのものまで燃やされるぞ!」
「じゃぁなんであいつら何ともなってないんだよ!」
「そんなの知るか! とにかく、中央に逃げろ! 外円に居たら焼かれ死ぬぞ!」
「と、遠くに見えるあれも……他の地区にもこんなのが出てきてんのか……?」

 黒い炎は、それに触れた兵士達の身に纏わり付いていく。
 徐々に体内へと吸収されていくかのように消えていったと思えば、次の瞬間にその者は膝から崩れ落ちてしまう。
 
 呪いの(たぐい)で発動されたそれは、人の魂をも燃やし尽くすものだ。
 見えない臓器である魂を燃やし尽くされれば、身体は自由を失う。心ノ臓を動かすだけの身体(いれもの)しか残らない。
 魔法力供給力、魔法レベルともに高次元でないと出来ない芸当だ。

「SSランクの集積魔法。帝国兵士達と手甲の紋章を共有(リンク)させて発動させています。それによってようやく、ハイレベルな魔法を使用することが出来ているんです」

 クイッとヴォイドが指で地面を示したかと思えば。

「な……っ!?」
「んぉぉぉおぉぉう!?」

 地面から突如姿を現した(つた)がラグルドとシノンの身体に鋭く巻き付いた。
 驚くしかない2人に、ヴォイドは言う。

「私たちには、これしかない(・・・・・・)んです。あなた達みたいな潤沢な資源もない。武器を作るだけの資源もなければ、創る人材も残らない。いくら広大な土地があろうとも、荒げた土地ばかりでは生産性も上がらない。地面の遥か下にある地脈を流れる自然魔法力(マナ)を供給源とする魔法を栄えさせるしか、ありませんでしたから」

「《世界七賢人》の名を汚してまですることですか……!」

「どこも名誉で飯が食べられるほど、余裕もないんですよ。その証拠に、カルファが雇っている傭兵がまさにそれじゃないですか」

 身動きの取れないラグルドは、「雇った……?」と疑問を隠せない。

「ローグ・クセル。今まさに、SSSランクの昇格試験に赴いている新星の冒険者ですよ。とはいえ、もう墜ちているでしょうけど」

 澄まし顔で呟くヴォイドに、ラグルドは目を見開いた。

「ローグさんなら、きっと昇格試験なんて余裕で突破して帰ってきます! あなたは、ローグさんの凄さを知らないだけだ!」

「えぇ、知ってますよ。知っているからこそ、この場にいられたら何よりも邪魔だった。そして、いつまでも皇国側にいられると目障りだった。今頃は、私の部下が上手く処理してくれていることでしょう。いくら強いと言っても、任務戦闘が終わった所に正体不明の魔法騎士団に出くわせば、元も子もないでしょうからね。全てを合わせれば私さえも凌駕する戦闘力を持った彼らなら、討ち漏らしもない。終われば、渡しておいた転移魔法で戻って、掃討戦を――」

 と、ヴォイドが得意げに語り、再び両手に極大量の魔法力を込めた、その瞬間だった。

「お、ホントに帰って来れた」
『バルラ帝国とやらは、随分と高度な魔法を使えるようになったのだな』
「ローグ様のお手を煩わせずに帰還して頂こうという気概は、大いに評価できますね」

 ――唐突に、そしてあまりにも自然に。

「あ、ラグルドさん! 不肖ローグ・クセル。ただいま戻りましたっ。途中邪魔が入って帰るのが遅れたんです、すみません。でも彼ら、良い物持ってたんで、せっかくなんでもらって帰ってきました。ははは」

【名前】ローグ・クセル
【種族】人間
【性別】男
【職業】冒険者
【所属】サルディア皇国王都冒険者ギルド アスカロン
【ギルドランク】SSS
【称号】龍殺し(ドラゴンスレイヤー)

 嬉しそうにステータスを公開し現れたその男に、ヴォイドは瞬時に固まるしかなかったのだった。