「エルフ居住地のゴボルド地区に3隊配置、王都外壁ガジャ地区にはBランク『獅子の心臓』、両隣の地区の戦力が集中しそうなダルン地区に『ドレッド・ファイア』、シャルロット地区にはカルムら皇国正規兵のカルム小隊……。ヴォイドが現れるとするなら――」
日も西に傾き始めた大聖堂中央のミーティングルームで、カルファはぶつぶつと長方形の駒を戦力に見立てて動かしていた。
王都の中で一番権威付いた大聖堂を中心に、円上に広がる貴族街、その外に広がる一般市街、更に外を囲う冒険者街。
王都周囲を取り巻く、ローグから教えてもらった12の巨大魔方陣に即して戦力を分けたカルファは大きくため息をついた。
パチリ、パチリと数枚の手札を伏せていくルシエラ・サルディアは落ち着いた声色で言う。
「この国にもはや安全な場所などありませんよ」
ルシエラがペラリと捲ったそのカードには、何も描かれていなかった。
悪魔も、天使も、ピエロも、何一つ描かれていない白紙のカードだ。
白黒つかないカードの結果に嘆息しながら、ルシエラは小さく呟いた。
「万が一、私の身に何か起ころうものならば後を託しても良いですか、カルファ」
皇国に流れる空気は驚くほど穏やかなように思えた。
このまま何もなく、新皇王の即位式をこなせるならばどれほど平穏か。
このままいつものように夜になり、朝を迎えることが出来るならばどれほど安心か。
ドン底に陥っている弱小国家の年若き皇女が、自らの命を達観している。
皇国にではなく、ルシエラ・サルディア個人への忠誠を誓っているカルファは、頭を上げた。
「ルシエラ様は、皇国の心臓です」
ルシエラはつまらなさそうに数十枚のカードをシャッフルした。
「ルシエラ様の予期するとおり、今回の襲撃があるとすれば、彼らは前回の討ち漏らしを逃さないでしょう」
前皇王ナッド・サルディアは、皇国の長でありながらも、実質的な他国からの脅威としては見られていなかった。
可能性があるとすれば、次代の王。
サルディア皇国再興を根絶させたければ、ルシエラ・サルディアを狙ってくることは明白だった。
「前皇王様が民を捨て、貴族達が王都を捨てて地方に散らばる中でもこの地に残って下さいましたね。覚えておられますか、あの日のことを」
「えぇ、天使と悪魔のカードが出た日でしたね。占術をやっていて、両極のカードが出たのは初めてで戸惑ったのを覚えていますよ」
「ルシエラ様のカードのお告げがなければ、私とてローグさんに声をかけられなかったかもしれません。忌避職持ちのローグさんに、恐怖を抱かなかったと言えば、嘘になります」
「それが今や皇国存亡を託すほどの人物になるとは、考えていませんでした。彼を皇国側に引き込んだカルファには、頭が上がりませんね」
「……私には、他の《七賢人》のような武は持ち合わせてないものですから」
昔話でもするかのように語る2人。
「ルシエラ様は、この国難を乗り越えたら何がしてみたいですか?」
そんなカルファの一言に、ルシエラは思わず口をぽかんと開けて呆気に取られてしまっていた。
「してみたいこと……ですか」
「何でもいいんですよ。貴族街の高級レストランに行けば、ルシエラ様なら貸し切りに出来ます。一般市街に赴けば、全ての市民が傅くでしょう。冒険者街は……臭く汚らしい光景が広がっているのでオススメは出来かねますね。それに、ミカエラ様のお母君の故郷でもある、北西部の《エルフの古代樹》へ赴けば、ルシエラ様の遠方の親戚もたくさんいるかもしれません」
前皇王ナッド・サルディアを父に、そしてナッドが勝手に懐柔して妻に召し抱えたエルフ族を母に持つルシエラは、いわゆるヒトとエルフ族のハーフでもある。
サルディア皇国エルフ保護地区のゴボルド地区にあるエルフ族は、数にして300程度の人口だが、彼女らの本来の故郷である大陸北西部・《エルフの古代樹》には5000あまりのエルフ族が住んでいて、今も絶えず増え続けていると言われている。
先の大戦において《七賢人》の一角を担ったエルフ族の女帝が、人魔大戦の報酬としてエルフ族の故郷を貰い受け、世界中に散らばったエルフの同胞を集めて独立国家を形成しているという話もあるほどだ。
エルフ族にとって今一番過ごしやすいのは、《エルフの古代樹》であることに間違いない。
「で、ですが、バルラ帝国を通り抜けないといけない以上、不可能です。越境には身分証明も必須です。今の私たちが行こうとしたところで、捕らえられるのが関の山です」
少し赤面して言うルシエラだったが、カルファはそんな彼女の頭を優しく撫でる。
「でも、行ってみたくはないですか?」
「そ、それは……母様の故郷なら、一度は行ってみたいですけど……」
恥ずかしそうにエルフの耳をピクピクとさせるルシエラ。
「ですから、バルラ帝国なんてやっつけてしまえばいいんです。彼等の戦士も、宰相のヴォイドも跪かせてしまえば簡単に帝国の土を踏めるのです」
「驚きましたね。カルファがそんなに前向きな考えになるなんて。少し前までは、『私、いつが死に時なんですかね……』なんてものが口癖だった、あなたが」
「うぇっ!? 私、そんなに病んでましたか!?」
「覚えていないんですか?」
「あ、あはは……。あなたの父親の私利私欲に塗れた衆愚政治を制止するので精一杯でしたから……。私、産まれながらにして《武》の才能をどこかの溝に捨ててきちゃったみたいで……」
「父の蛮行はこの目にしっかり焼き付いていますからね。私が皇王になった暁には、あのような民を顧みない政などは決して…………あ……」
何かに勘づいて、顔をぱっと上げたルシエラは、今日初めてカルファと目が合ったことに気付いた。
その瞳に映っていたカルファは、笑っていた。
空虚な笑みでもなく、諦めたような笑みでもなく、苦笑いでもなく、長らく見てこなかった年相応の女の子の表情で、ルシエラとガールズトークでも繰り広げているかのように、心の底から笑っていた。
唇をぎゅっと結んで、ルシエラは真っすぐにカルファを見た。
「ありがとうございます、カルファ。少し、目が覚めた気がします」
ルシエラは、手持ちのカードをじっと見つめてから一枚の札を取り出した。
吉兆を現すとされる、天使の絵柄のカードだ。
「失礼しますッ!」
ルシエラが新たに決意を固めた所に、1人の衛兵がミーティングルーム内に飛び込んでくる。
「王都周辺区画にて、未確認の魔法力反応を検知! 昨夜のものより遥かに大規模です!」
衛兵の言葉を聞いた2人は、互いに示し合わせるかのように顔を見合わせた。
「カルファ。最も戦禍の大きそうな場所はどこになるか、見当つきますか?」
そう問われたカルファは、「はっ」と短く応答した。
「私の勘が正しければ、そこは――」
にやり、含んだ笑みをカルファは浮かべる。
「最も臆病で、最も堅実な闘い方をする、新進気鋭の冒険者パーティーの担当区域です」
日も西に傾き始めた大聖堂中央のミーティングルームで、カルファはぶつぶつと長方形の駒を戦力に見立てて動かしていた。
王都の中で一番権威付いた大聖堂を中心に、円上に広がる貴族街、その外に広がる一般市街、更に外を囲う冒険者街。
王都周囲を取り巻く、ローグから教えてもらった12の巨大魔方陣に即して戦力を分けたカルファは大きくため息をついた。
パチリ、パチリと数枚の手札を伏せていくルシエラ・サルディアは落ち着いた声色で言う。
「この国にもはや安全な場所などありませんよ」
ルシエラがペラリと捲ったそのカードには、何も描かれていなかった。
悪魔も、天使も、ピエロも、何一つ描かれていない白紙のカードだ。
白黒つかないカードの結果に嘆息しながら、ルシエラは小さく呟いた。
「万が一、私の身に何か起ころうものならば後を託しても良いですか、カルファ」
皇国に流れる空気は驚くほど穏やかなように思えた。
このまま何もなく、新皇王の即位式をこなせるならばどれほど平穏か。
このままいつものように夜になり、朝を迎えることが出来るならばどれほど安心か。
ドン底に陥っている弱小国家の年若き皇女が、自らの命を達観している。
皇国にではなく、ルシエラ・サルディア個人への忠誠を誓っているカルファは、頭を上げた。
「ルシエラ様は、皇国の心臓です」
ルシエラはつまらなさそうに数十枚のカードをシャッフルした。
「ルシエラ様の予期するとおり、今回の襲撃があるとすれば、彼らは前回の討ち漏らしを逃さないでしょう」
前皇王ナッド・サルディアは、皇国の長でありながらも、実質的な他国からの脅威としては見られていなかった。
可能性があるとすれば、次代の王。
サルディア皇国再興を根絶させたければ、ルシエラ・サルディアを狙ってくることは明白だった。
「前皇王様が民を捨て、貴族達が王都を捨てて地方に散らばる中でもこの地に残って下さいましたね。覚えておられますか、あの日のことを」
「えぇ、天使と悪魔のカードが出た日でしたね。占術をやっていて、両極のカードが出たのは初めてで戸惑ったのを覚えていますよ」
「ルシエラ様のカードのお告げがなければ、私とてローグさんに声をかけられなかったかもしれません。忌避職持ちのローグさんに、恐怖を抱かなかったと言えば、嘘になります」
「それが今や皇国存亡を託すほどの人物になるとは、考えていませんでした。彼を皇国側に引き込んだカルファには、頭が上がりませんね」
「……私には、他の《七賢人》のような武は持ち合わせてないものですから」
昔話でもするかのように語る2人。
「ルシエラ様は、この国難を乗り越えたら何がしてみたいですか?」
そんなカルファの一言に、ルシエラは思わず口をぽかんと開けて呆気に取られてしまっていた。
「してみたいこと……ですか」
「何でもいいんですよ。貴族街の高級レストランに行けば、ルシエラ様なら貸し切りに出来ます。一般市街に赴けば、全ての市民が傅くでしょう。冒険者街は……臭く汚らしい光景が広がっているのでオススメは出来かねますね。それに、ミカエラ様のお母君の故郷でもある、北西部の《エルフの古代樹》へ赴けば、ルシエラ様の遠方の親戚もたくさんいるかもしれません」
前皇王ナッド・サルディアを父に、そしてナッドが勝手に懐柔して妻に召し抱えたエルフ族を母に持つルシエラは、いわゆるヒトとエルフ族のハーフでもある。
サルディア皇国エルフ保護地区のゴボルド地区にあるエルフ族は、数にして300程度の人口だが、彼女らの本来の故郷である大陸北西部・《エルフの古代樹》には5000あまりのエルフ族が住んでいて、今も絶えず増え続けていると言われている。
先の大戦において《七賢人》の一角を担ったエルフ族の女帝が、人魔大戦の報酬としてエルフ族の故郷を貰い受け、世界中に散らばったエルフの同胞を集めて独立国家を形成しているという話もあるほどだ。
エルフ族にとって今一番過ごしやすいのは、《エルフの古代樹》であることに間違いない。
「で、ですが、バルラ帝国を通り抜けないといけない以上、不可能です。越境には身分証明も必須です。今の私たちが行こうとしたところで、捕らえられるのが関の山です」
少し赤面して言うルシエラだったが、カルファはそんな彼女の頭を優しく撫でる。
「でも、行ってみたくはないですか?」
「そ、それは……母様の故郷なら、一度は行ってみたいですけど……」
恥ずかしそうにエルフの耳をピクピクとさせるルシエラ。
「ですから、バルラ帝国なんてやっつけてしまえばいいんです。彼等の戦士も、宰相のヴォイドも跪かせてしまえば簡単に帝国の土を踏めるのです」
「驚きましたね。カルファがそんなに前向きな考えになるなんて。少し前までは、『私、いつが死に時なんですかね……』なんてものが口癖だった、あなたが」
「うぇっ!? 私、そんなに病んでましたか!?」
「覚えていないんですか?」
「あ、あはは……。あなたの父親の私利私欲に塗れた衆愚政治を制止するので精一杯でしたから……。私、産まれながらにして《武》の才能をどこかの溝に捨ててきちゃったみたいで……」
「父の蛮行はこの目にしっかり焼き付いていますからね。私が皇王になった暁には、あのような民を顧みない政などは決して…………あ……」
何かに勘づいて、顔をぱっと上げたルシエラは、今日初めてカルファと目が合ったことに気付いた。
その瞳に映っていたカルファは、笑っていた。
空虚な笑みでもなく、諦めたような笑みでもなく、苦笑いでもなく、長らく見てこなかった年相応の女の子の表情で、ルシエラとガールズトークでも繰り広げているかのように、心の底から笑っていた。
唇をぎゅっと結んで、ルシエラは真っすぐにカルファを見た。
「ありがとうございます、カルファ。少し、目が覚めた気がします」
ルシエラは、手持ちのカードをじっと見つめてから一枚の札を取り出した。
吉兆を現すとされる、天使の絵柄のカードだ。
「失礼しますッ!」
ルシエラが新たに決意を固めた所に、1人の衛兵がミーティングルーム内に飛び込んでくる。
「王都周辺区画にて、未確認の魔法力反応を検知! 昨夜のものより遥かに大規模です!」
衛兵の言葉を聞いた2人は、互いに示し合わせるかのように顔を見合わせた。
「カルファ。最も戦禍の大きそうな場所はどこになるか、見当つきますか?」
そう問われたカルファは、「はっ」と短く応答した。
「私の勘が正しければ、そこは――」
にやり、含んだ笑みをカルファは浮かべる。
「最も臆病で、最も堅実な闘い方をする、新進気鋭の冒険者パーティーの担当区域です」