サルディア皇国上空に浮かぶ3つの人影。

「悪いな、イネス。俺たちの代わりに翔んでもらって」

「とんでもございません。この程度のことに、ローグ様のお力を使う必要などありません」

『むぅ……この小さな身体だと予想以上に高度飛行は体力を使ってしまうな。元の姿に戻れば造作も無いのだが』

 イネスの後背部に現れた漆黒の翼が一対。
 飛翔魔法は事前の準備とそれ相応の魔法力が必要なため、敵への威圧程度にしか使い道はない。 それに対し、戦闘時でもよく飛翔するイネスに抱えられて、ローグ達3人はサルディア皇国の上空へと来ていた。
 イネスとしても、合法的にローグを落とさないように強く抱きしめて、そのふくよかな胸を存分に主の頭に押しつけることが出来るために満更でもない様子だ。

「ええと、皇国上空に何の用事が……?」

 イネスが眼下のローグに問う。
 ローグ達の真下に広がるサルディア皇国は、一望すれば全土を見渡すことが出来る。
 ローグ達の仮拠点である湿地帯、この国におけるエルフ族の故郷、ゴボルド地区や、果ては皇国北部に聳えるユーリウス山脈地帯までもが見渡せる。

「多分、俺の推測が正しければ、向こう側(・・・・)の魔法術師は全部狙ってやってるんだと思う」

「件のヴォイド・メルクールでしょうか?」

「あぁ。多分、俺が来る前から相当仕組んでたんだろうな」

 そう言って、ローグは手の平に淡黒の魔法力を練り上げた。
 近くで見ているだけでヒリつくような極大量の魔法力に、イネスもニーズヘッグも思わず息を飲む。

「イネスは、転移魔方陣いくつほど設置出来るんだ?」

「おおよそ4つです。転移魔方陣を2つ展開し結ぶだけでも相当量の魔法力と技術が必要となりますし、拒絶反応が起きないように別の形の魔法力でコーティングして、ローグ様やニーズヘッグを通すと考えればそれが限界値ですね。私1人だけの時ならば6つほどは出来るでしょうが、私たちであれば飛んだ方が遥かに早いかと」

『主の持つ《不死の軍勢》連中を大移動させるにも、転移魔方陣は流石に使えまい』

「当たり前でしょう。何百・何千の駒を動かせるならば、何もないところから唐突に伏兵が出せるようになりますから。どれだけ集団戦略が楽になるでしょうか」

「それだよイネス。だから(・・・)アスカロン(・・・・・)冒険者は(・・・・)壊滅したんだ(・・・・・)

 ブゥン。

 ローグが手の平に溜めた極大量の魔法力が、サルディア皇国全体に広がっていく。
 広がっていた魔法力は、徐々に黒い粒となって皇国の地上に規則的な紋様と、線として繋がっていく。

「こ、これは――!?」

(アンチ)転移魔法、旅人の軌跡(ゲオメトリ)。使う魔法力はバカデカいが、これで転移魔方陣の大まかな場所と結んだ場所が分かるんだが……何とも、大胆なことしてるねぇ」

『ほう、帝国(やつら)の国章の刻まれた転移魔方陣か。……にしても主はいつそんな魔法を覚えたのだ』

「幼い頃からイネスの転移魔法を真似して真似して真似しまくってる途中の副産物として習得したんだ。小さい頃は、突然イネスがいなくなったりしてて寂しかったからな。ひょんなことでイネスの転移魔方陣を探れるようになってたんだ」

『それはもはや転移魔法よりも遙かな難易度だと思うのだが――』

 横で少し引き気味のニーズヘッグだったが、そんなことなど全く耳に入らないのはイネスだ。
 自らの何倍もの転移魔方陣を魔法力の線で繋ぐという規格外の所業が目の前に広がっているのだから。

「王都を中心とした12の巨大転移魔方陣……ですか。アスカロンに集まった亜人出現数と巨大転移魔方陣の数も完全に合致しています。ですが、有り得ません。人間如きがこれほどの巨大な魔方陣を構築するなんて!」

『なるほど転移魔方陣の位置と、アスカロンに寄せられた亜人討伐依頼場所も全部一致するな。人間め、なかなかに面白いことを企む輩がいるではないか』

「……ッ!」

 悔しそうに歯噛みするイネスに、ローグは言う。

「こればっかりは、俺たちが持ってない国単位の『集』の力だ。1人の力じゃなく、何十人も、何百人もの魔法術師達の魔法力がこの転移魔方陣に詰まってるんだ。帝国は、本気で皇国を滅亡させにかかってるんだ」

「サルディア皇国皇王が死去、亜人襲来で皇国正規兵の4割の消失と、この度のアスカロン冒険者の壊滅。となると――」

「恐らく、今夜にでも仕掛けてくるだろうな。あれほどの大規模転移魔方陣を持続させるだけでも相当だろう。今回の亜人襲撃はいわば前哨戦だ」

 イネスは、そう告げるローグの身体をぎゅっと抱きしめた。

「ローグ様、如何致しましょう」

「決まってる。目下、SSSランク昇格試験は後回しだ。鑑定士さんに話して、すぐさま皇国正規兵を各所に配備してもらおう」

『良いのか? 主の話によれば、この機を逃せば次の昇格試験などいつ来るか分からないと言うではないか』

「そしたら、またラグルドさんやグランさん達と、地道にランクを上げていくしかないよ。それに――」

 ゾワッと。すぐ近くにいるイネスが首筋に冷や汗を流す。
 得体の知れない魔法力が、少なからず怒気をはらみながらも冷静さを微塵も失うことのない冷徹な魔法力が、主の身体から迸っていたからだ。

「――大切な、大切な先輩方を傷つけた奴をのさばらせておくほど、俺は優しくはないんだ」

 得体のしれない新人冒険者であるローグを、快く迎え入れてくれたギルド『アスカロン』。
 新人任務にも嫌な顔一つせずについてきてくれたラグルドやグランが、宴の楽しみ方を教えてくれた皆が、倒れ伏せていたあの状況は、とても看過できるものではなかった。

「イネス、ニーズヘッグ」

「はっ」

『あぁ』

 ローグは、サルディア皇国全土を見据えて不適な笑みを浮かべた。

「次の皇国襲撃が本戦だ。二度とこの国にちょっかいをかけて来られないほどに、この地に足を踏み入れた者は俺たちで徹底的に叩き潰すぞ」

『「仰せのままに」』

 サルディア皇国上空に流れた不穏な魔法力は、風に乗ってどこまでも、どこまでも揺蕩っていくのだった。