縄で両手を後ろに縛られた美姫は、窮地に立たされていた。
どこかも分からぬ湿地帯。
背後にはおおよそ千を超える不死の軍勢が美姫に冷たい視線を送っていた。
辺りは夜の闇に包まれ、白い月光に反射して見える様はまさしく魑魅魍魎。全身を骨格で形成したスケルトン、腐臭漂うゾンビの大軍が、軍隊の体を為している。
そんな美姫の隣には、巨大なドラゴンと一人の女性の姿があった。
二人とも、強大な魔力があるのは明白だ。
美姫は唇をきゅっと噛みしめて、今一度深呼吸をする。
――くそ、こんな時に限って……!
小国の美姫は、世界七賢人にも選ばれた女傑である。
金に輝く長い髪の毛に、端正な顔立ち。
先ほどまで戦場で、巨大な魔力法撃を行っていたとは思えないほどの華奢な体躯。
《鑑定士》という職業を経て、数々の強敵相手に鍛錬を重ねて人類最終到達ラインとも言われるSSランクの極みに至った。
この度、国家に一大事が生じてそれに対処すべく動いていたところ、謎に包まれた別勢力によって拉致された現状に、悔しさともどかしさが隠せないでいた。
――鑑定。
苦し紛れに、後方の軍勢の中の一人を視る。
【名前】スケルトン
【種族】-人間
【性別】男
【年齢】32(-1)
【職業】兵士
【クラス】D
【魔力】180
【スキル】無し
【EXスキル】無し
【加護】死霊術師の蘇生術Lv10
不死の軍隊の存在を間近で見るのは初めてだった。
近年、一人の死霊術師によって多数の死者が蘇えり、国籍、生物を問わない最強の軍団が勢力を伸ばしつつあるということは風の噂で聞いていた。
「ローグ様。例の姫がようやく見つかりました」
銀髪のポニーテールを左右に揺らし、眼前の主に跪く女性。
それに倣うように、十メートルは優に超すであろう巨体を誇るドラゴンも頭を下げる。
「お前が噂の鑑定士とやらか。イネス・ルシファー、ニーズヘッグ、良くやってくれた」
眼前の男は問う。
姿形は人間そのものだ。隣にいるバケモノのような雰囲気は感じられない。
美姫がじっと青年を見つめていると、隣の女性――イネス・ルシファーは表情を明るくした。
「これが世界七賢人が一人、『最強の鑑定士』ことカルファ・シュネーブルです。この者の力を使えば、ローグ様の悲願達成に一歩近付くことが出来ましょう。何やら慌ただしい様子なのがいささか疑問ではありましたが、どちらにせよ我々には関係の無い事です」
微笑むイネス。
更に隣では、ニーズヘッグと呼ばれた龍が人の言葉を発す。
『我が主の悲願達成となれば、今宵は祝杯を挙げねばならぬな』
そんな二人の忠誠を一心に受ける主の男ローグは、「にしても」と困ったように美姫――カルファを見つめた。
「縄で縛る以外に何か手荒な真似でもしたのか? 何でこんな疲れ切ってるんだよ。丁重に扱えとあれほど言っただろう」
ローグの呟きに、イネスが首を振った。
「いえ、ローグ様。この者は我々が捕らえる以前から既に憔悴しきっていました」
イネスに続き、ニーズヘッグと呼ばれた巨龍も続く。
『カルファ・シュネーヴルの仕えるサルディア皇国が、今まさに隣の亜人族の侵攻を受けている最中だと小耳に挟んだ。情勢が悪くなり、敗走寸前だったことから護衛を付ける暇も無かったのだろう』
その二人の言葉に、カルファは押し黙るしかなかった。
巨龍の言うとおり、カルファの国は今、亜人族の侵攻に遭っていた。
当初はカルファの指揮の下優勢だったものの、数にものを言わせて攻め込む亜人族に対して次第に戦況は悪化。
皇国の王も民を捨てて逃亡したため、その場に残ったのは七賢人と呼ばれ世界最強の一角を担っていたこのカルファ・シュネーヴルしかいなかった。
だが、軍はもう散り散りになり、どれが敵か味方かも分からないような始末。
サルディア皇国の滅亡も秒読み状態となっている状況で、この謎の集団に拉致された次第だった。
「そっちの鑑定士さんからしてみれば踏んだり蹴ったりってわけだな。亜人族には攻められるわ、意味分からない連中に捕まるわ……。ってことは、この近くでまだサルディア皇国と亜人族が闘っているって事か」
さほど興味がなさそうに遠くを見つめるローグ。
後ろのスケルトン、ゾンビ集団を呆然と見つめるカルファに、最後の光が差し込んだ。
「お願いが……あります」
このままでは遅かれ早かれ国は滅ぶ。そうなれば、陣頭指揮を執っている自分も殺されるだろう。
どうせ死ぬのなら――賭けてみたいと、思った。
自分に力が無かったから、民を守れなかったことは重々承知しているつもりだ。
だが、希望を抱いてしまう。
この強大な謎の戦力があれば、もしかしたら亜人族を退けてくれるかもしれない。
滅亡に瀕していた祖国を、救えるかも知れない。
藁にも縋るような思いで、カルファは七賢人としての意地とプライドをかなぐり捨てて、頭を垂れた。
「私たちの国を、どうか、お助け下さい……!」
涙ながらに訴えるカルファ。
イネスは、汚物でも見るような表情でローグに告げる。
「ローグ様。耳を貸すことはありません。たかが人間の為にローグ様のお手を煩わせるなど言語道断。我々の目的を達し次第捨て置けば良いのです」
「あのなぁ、イネス。一応俺だって人間だからな? っていうか、俺は自分の職業を鑑定士に隠蔽させるために連れてきてもらっただけなんだけどな」
「ローグ様以外の人間など、愚物そのものではないですか」
「真顔で言ってるお前が心底怖いよ。だが覚えておけ、イネス。これからの俺の目的にはそういう奴等の力が必要だ。愚物扱いなんてのは以ての外だ。いいな?」
「――はっ。失礼致しました」
そんなイネスとローグの会話に、巨龍はやれやれと大きな翼を一度はためかせた。
『彼我の戦力差と皇国の状況を見るならば、我に任せてもらいたい』
待ちきれないと言わんばかりに翼を広げる巨龍に、ローグは「まぁ待て」と手で止めて、カルファの前に座る。
「なぁ、最強の鑑定士さん。もしあんたの所の国を救ったら、俺たちの言うこと聞いてくれるかい?」
にっこりと屈託のない笑みを浮かべる青年ローグに、カルファは涙ながらに訴えかける。
「我々の皇国を、皇国民を救って頂けるのならば、何でもすることをお約束致します! この身も心も、あなた様に尽くすことをサルディアの神に誓います――ッ!」
「いや、そこまでは求めてないんだけど……まぁ、いいか。ニーズヘッグ、向こうさんの戦力を上空から偵察してきてくれ。イネスは後方待機してる『不死の軍隊』の右翼大将を任せる。俺は左翼の方を担当する」
『――仰せのままに、我が主よ』
ローグの命令に、全軍が片膝を折って答える。
巨龍ニーズヘッグが巨体を揺らしてあっという間に空に消えていく。
イネス・ルシファーは後方の軍団を綺麗に二分した。
あまりに統率された軍の動きに、一国の軍を預かるカルファの眼にも驚きが隠せない。
「ってわけだ、鑑定士さん。ここからあんたは案内役だ。よろしく頼むよ」
やけに優しい軍勢の主、ローグの言葉に、いささかカルファも動揺が隠せない。
「あ、あの……ローグさんの目的って……?」
「あぁ、俺は、友達が欲しいんだ」
「友達、ですか。このように強大な軍勢を率いるお方が、何故――?」
「っははは、すぐに分かるよ」
悲しそうに、虚空を見つめるローグとカルファのやりとりに、跪いてイネスは笑む。
「流石はローグ様でございます! 圧勝の二文字と共に目的の第一歩に大きく前進することになるのですね!」
イネスは感激の余り涙し……その主であるローグも、ため息交じりに苦笑する。
「心より、心より感謝致しますッ!」
カルファは今一度、予期せぬ援軍に頭を下げた。
ローグの希望に満ちた瞳の傍らで、イネスの寂しそうな表情が垣間見えた。
この日、サルディア皇国最後の砦であるカルファ・シュネーヴルは思い知ることになる。
『不死の軍勢』の伝説は、この戦から始まっていたのだ――と。
どこかも分からぬ湿地帯。
背後にはおおよそ千を超える不死の軍勢が美姫に冷たい視線を送っていた。
辺りは夜の闇に包まれ、白い月光に反射して見える様はまさしく魑魅魍魎。全身を骨格で形成したスケルトン、腐臭漂うゾンビの大軍が、軍隊の体を為している。
そんな美姫の隣には、巨大なドラゴンと一人の女性の姿があった。
二人とも、強大な魔力があるのは明白だ。
美姫は唇をきゅっと噛みしめて、今一度深呼吸をする。
――くそ、こんな時に限って……!
小国の美姫は、世界七賢人にも選ばれた女傑である。
金に輝く長い髪の毛に、端正な顔立ち。
先ほどまで戦場で、巨大な魔力法撃を行っていたとは思えないほどの華奢な体躯。
《鑑定士》という職業を経て、数々の強敵相手に鍛錬を重ねて人類最終到達ラインとも言われるSSランクの極みに至った。
この度、国家に一大事が生じてそれに対処すべく動いていたところ、謎に包まれた別勢力によって拉致された現状に、悔しさともどかしさが隠せないでいた。
――鑑定。
苦し紛れに、後方の軍勢の中の一人を視る。
【名前】スケルトン
【種族】-人間
【性別】男
【年齢】32(-1)
【職業】兵士
【クラス】D
【魔力】180
【スキル】無し
【EXスキル】無し
【加護】死霊術師の蘇生術Lv10
不死の軍隊の存在を間近で見るのは初めてだった。
近年、一人の死霊術師によって多数の死者が蘇えり、国籍、生物を問わない最強の軍団が勢力を伸ばしつつあるということは風の噂で聞いていた。
「ローグ様。例の姫がようやく見つかりました」
銀髪のポニーテールを左右に揺らし、眼前の主に跪く女性。
それに倣うように、十メートルは優に超すであろう巨体を誇るドラゴンも頭を下げる。
「お前が噂の鑑定士とやらか。イネス・ルシファー、ニーズヘッグ、良くやってくれた」
眼前の男は問う。
姿形は人間そのものだ。隣にいるバケモノのような雰囲気は感じられない。
美姫がじっと青年を見つめていると、隣の女性――イネス・ルシファーは表情を明るくした。
「これが世界七賢人が一人、『最強の鑑定士』ことカルファ・シュネーブルです。この者の力を使えば、ローグ様の悲願達成に一歩近付くことが出来ましょう。何やら慌ただしい様子なのがいささか疑問ではありましたが、どちらにせよ我々には関係の無い事です」
微笑むイネス。
更に隣では、ニーズヘッグと呼ばれた龍が人の言葉を発す。
『我が主の悲願達成となれば、今宵は祝杯を挙げねばならぬな』
そんな二人の忠誠を一心に受ける主の男ローグは、「にしても」と困ったように美姫――カルファを見つめた。
「縄で縛る以外に何か手荒な真似でもしたのか? 何でこんな疲れ切ってるんだよ。丁重に扱えとあれほど言っただろう」
ローグの呟きに、イネスが首を振った。
「いえ、ローグ様。この者は我々が捕らえる以前から既に憔悴しきっていました」
イネスに続き、ニーズヘッグと呼ばれた巨龍も続く。
『カルファ・シュネーヴルの仕えるサルディア皇国が、今まさに隣の亜人族の侵攻を受けている最中だと小耳に挟んだ。情勢が悪くなり、敗走寸前だったことから護衛を付ける暇も無かったのだろう』
その二人の言葉に、カルファは押し黙るしかなかった。
巨龍の言うとおり、カルファの国は今、亜人族の侵攻に遭っていた。
当初はカルファの指揮の下優勢だったものの、数にものを言わせて攻め込む亜人族に対して次第に戦況は悪化。
皇国の王も民を捨てて逃亡したため、その場に残ったのは七賢人と呼ばれ世界最強の一角を担っていたこのカルファ・シュネーヴルしかいなかった。
だが、軍はもう散り散りになり、どれが敵か味方かも分からないような始末。
サルディア皇国の滅亡も秒読み状態となっている状況で、この謎の集団に拉致された次第だった。
「そっちの鑑定士さんからしてみれば踏んだり蹴ったりってわけだな。亜人族には攻められるわ、意味分からない連中に捕まるわ……。ってことは、この近くでまだサルディア皇国と亜人族が闘っているって事か」
さほど興味がなさそうに遠くを見つめるローグ。
後ろのスケルトン、ゾンビ集団を呆然と見つめるカルファに、最後の光が差し込んだ。
「お願いが……あります」
このままでは遅かれ早かれ国は滅ぶ。そうなれば、陣頭指揮を執っている自分も殺されるだろう。
どうせ死ぬのなら――賭けてみたいと、思った。
自分に力が無かったから、民を守れなかったことは重々承知しているつもりだ。
だが、希望を抱いてしまう。
この強大な謎の戦力があれば、もしかしたら亜人族を退けてくれるかもしれない。
滅亡に瀕していた祖国を、救えるかも知れない。
藁にも縋るような思いで、カルファは七賢人としての意地とプライドをかなぐり捨てて、頭を垂れた。
「私たちの国を、どうか、お助け下さい……!」
涙ながらに訴えるカルファ。
イネスは、汚物でも見るような表情でローグに告げる。
「ローグ様。耳を貸すことはありません。たかが人間の為にローグ様のお手を煩わせるなど言語道断。我々の目的を達し次第捨て置けば良いのです」
「あのなぁ、イネス。一応俺だって人間だからな? っていうか、俺は自分の職業を鑑定士に隠蔽させるために連れてきてもらっただけなんだけどな」
「ローグ様以外の人間など、愚物そのものではないですか」
「真顔で言ってるお前が心底怖いよ。だが覚えておけ、イネス。これからの俺の目的にはそういう奴等の力が必要だ。愚物扱いなんてのは以ての外だ。いいな?」
「――はっ。失礼致しました」
そんなイネスとローグの会話に、巨龍はやれやれと大きな翼を一度はためかせた。
『彼我の戦力差と皇国の状況を見るならば、我に任せてもらいたい』
待ちきれないと言わんばかりに翼を広げる巨龍に、ローグは「まぁ待て」と手で止めて、カルファの前に座る。
「なぁ、最強の鑑定士さん。もしあんたの所の国を救ったら、俺たちの言うこと聞いてくれるかい?」
にっこりと屈託のない笑みを浮かべる青年ローグに、カルファは涙ながらに訴えかける。
「我々の皇国を、皇国民を救って頂けるのならば、何でもすることをお約束致します! この身も心も、あなた様に尽くすことをサルディアの神に誓います――ッ!」
「いや、そこまでは求めてないんだけど……まぁ、いいか。ニーズヘッグ、向こうさんの戦力を上空から偵察してきてくれ。イネスは後方待機してる『不死の軍隊』の右翼大将を任せる。俺は左翼の方を担当する」
『――仰せのままに、我が主よ』
ローグの命令に、全軍が片膝を折って答える。
巨龍ニーズヘッグが巨体を揺らしてあっという間に空に消えていく。
イネス・ルシファーは後方の軍団を綺麗に二分した。
あまりに統率された軍の動きに、一国の軍を預かるカルファの眼にも驚きが隠せない。
「ってわけだ、鑑定士さん。ここからあんたは案内役だ。よろしく頼むよ」
やけに優しい軍勢の主、ローグの言葉に、いささかカルファも動揺が隠せない。
「あ、あの……ローグさんの目的って……?」
「あぁ、俺は、友達が欲しいんだ」
「友達、ですか。このように強大な軍勢を率いるお方が、何故――?」
「っははは、すぐに分かるよ」
悲しそうに、虚空を見つめるローグとカルファのやりとりに、跪いてイネスは笑む。
「流石はローグ様でございます! 圧勝の二文字と共に目的の第一歩に大きく前進することになるのですね!」
イネスは感激の余り涙し……その主であるローグも、ため息交じりに苦笑する。
「心より、心より感謝致しますッ!」
カルファは今一度、予期せぬ援軍に頭を下げた。
ローグの希望に満ちた瞳の傍らで、イネスの寂しそうな表情が垣間見えた。
この日、サルディア皇国最後の砦であるカルファ・シュネーヴルは思い知ることになる。
『不死の軍勢』の伝説は、この戦から始まっていたのだ――と。