その日の夜、ギルディアのとある酒場はざわついていた。

「さあ、遠慮なく食べて! お代は全部私が持つから、気にしないでいいわよ!」

 王都騎士団の『王の剣』、その一振りであるアンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサが、男と二人だけで食事しているのだ。
 テーブルに山ほど並んだ肉、魚、酒、その他諸々。銀貨数十枚でも足りなさそうな豪奢な食事を挟んで、彼女の正面に座っているのは、当然誘った相手、フォンである。

「あ、うん。それじゃあ、いただきます」

 ぺこりと一礼して、手元の骨付き肉に手を付けようとするが、フォンは手を止める。
 いつも以上に騒々しい酒場の中で、何やら自分に対して視線が集中しているのだ。特に男性からの――客の八割以上は男性なのだが――眼力を強く感じる。何れも嫉妬というか、羨望というか、何とも言えない感情を混ぜ込んだ目で見つめてくる。

「おい、あれって……」
「王都騎士だよな、しかも美人だ……」

 一方のフォンとしては、どうにも見られている理由が分からない。

(周りの視線のせいかな、なんだか落ち着かないなあ)

 山盛りの食事がそんなに珍しいだろうか、それとも忍者として隠し切れていない何かが出ているのかと少し心配にすらなるフォンの表情を、アンジェラは周囲以上に見ていた。
 手元の大きなジョッキに注がれたレッドビールをあおり、彼女は言った。

「――うん、そのちょっと頼りない顔。やっぱり、思い出しちゃうわね」
「えっ?」

 誰を、と聞くよりも先に、アンジェラは続ける。

「貴方を夕食に誘った理由、あの時は言わなかったけど……確かめたかったの。私を惹きつけた理由が正しいのか、二人きりで食事をすれば分かるかもって思ったのよ」
「惹きつけた理由って、何だい?」

 これまでフォンは、アンジェラが自分をパートナーとした理由は、彼の中に潜む闇を見出したいからか、はたまた実力を買ってくれたのかとも思っていた。
 だが、彼女の表情からすると、そのいずれでもないようだ。

「……ちょっとだけ、自分語りをするわね」

 フォンが頷くと、アンジェラは思い出を腹の底から吐き出すように語り始めた。

「私の家族は両親と私、弟の四人家族だったの。辺境の平民育ちの中でも殊更貧乏で、そのせいで昔から大変な思いをさせてね。弟は生まれつき病弱だから働き手にはなれないと思って……だから、騎士を目指したのよ」

 この世界における生活格差は大きい。貴族、王族が裕福な生活をしているのは当然としても、平民の中ですら明日の食事にありつけるか怪しい者がいる。
 平民、農民の一部が冒険者になるのには、そんな背景もある。半ば強制的に独立させることで家族の食い扶持を減らし、稼がせるのだ。
 そんな中、アンジェラは冒険者にはならなかった。毎日泥だらけ、きつい仕事を繰り返す彼女がじっと見つめた己の掌には、剣を振るう為の才覚が秘められていたのだ。

「生まれつき腕っぷしと剣術だけには自信があったのよね。しかも騎士になれば、家族を王都に住まわせることだってできる。十五歳から騎士に志願して、訓練を受けて、試験をパスして、気付いたら『王の剣』なんて呼ばれるほどに強くなっちゃってたわ」
「アンジーに才能があった証拠だね」
「それもあるけど、何より両親や弟が支えてくれていたおかげよ。私にとってかけがえのない存在だもの。両親と弟を王都の一等地に連れてきて、一緒に住まうと決まった時は、ここまで育ててもらった恩返しができたと心底喜んだわ」

 その光景を、アンジェラは今でも覚えている。おんぼろ小屋から、王都ネリオスの大きな屋敷に移り住んだ時、彼女は家族達と心底喜び合い、抱き合った。
衣服や食生活も一新し、これからは裕福な暮らしが待っていると確信していた。

「じゃあ、家族は今、ネリオスに?」

 だが、もしも確信していたのなら、フォンの問いを受けて俯きなどしないだろう。
 少しだけ間を開けて、アンジェラは絞り出すように答えた。

「……いいえ、死んだわ」

 しまった、とフォンが謝罪するよりも先に、アンジェラは話を続ける。

「正確に言うと、殺されたのよ。私が王族の護衛任務を終えて、二日ぶりに家に帰ってきた時には、家族は皆殺されてた。部屋の真ん中に座らされて、首を刎ねられてた」

 彼女が家族と久方ぶりに帰宅すると、今朝の小屋の如く、家は血に染まっていた。
 優しい両親も、いつも自分の身を案じてくれていた弟も、苦しめられた果てに殺されたのは明白だった。拷問の痕跡すら見られた。
 瞳を見開いた彼女の、喉が裂けるほどの絶叫を、彼女自身は今も忘れていない。
 血の涙を流すほど叫んだアンジェラの心が復讐に染まったのは、その瞬間からだった。

「部下に調べさせたら、犯人は直ぐに見つかった……王都で過激派組織を率いていた男で、私が投獄まで追い込んだ奴よ。指を全部斬り落としてやったら、白状したわ」
「牢に閉じ込めた奴が、家族を殺したと?」
「そいつじゃない。そいつは牢にいながら仲間を使って、ある殺し屋に私の家族を殺すよう頼み込んでいたのよ。拉致から拷問、そして殺人までを請け負う集団――」

 ジョッキを握り締める手を震わせながら、彼女は滅するべき敵の名を口にした。

「――忍者よ。家族を殺したのは、忍者なのよ」