森から一行がギルディアに戻り、案内所で説明を終えた時には、陽は傾き始めていた。
思っていたよりも小屋の清掃に時間がかかったのが大きな理由だが、多忙な冒険者組合長を呼び出し、事情を話しながら何かと調べごとをしてもらっていたのも原因だ。
その調べごとというのは、フォンが記した謎の敵の似顔絵を受付嬢や他のスタッフに見てもらい、今回以外にも依頼を受けていないかというものだ。思い出してもらう為に何度も見てもらったが、組合長のウォンディが持ってきた結論は一つだった。
「うーむ……スタッフに調べさせましたが、似顔絵の五人はどれも他の依頼を受けに来た痕跡はありませんね。街で見たこともないようです」
林檎柄のシャツを汗で濡らした彼は、ハンカチで頭頂部を拭きながらそう結論づけた。
テーブルを囲み、案内所で今か今かと返事を待っていた一行はがっかりした様子を隠そうともしなかった。尤も、この結論は予想できた内容でもあった。
「やっぱり、思っている以上の数で動いてると見てよさそうだね」
一方でウォンディは、厄介事に関わりたくないと言いたげな表情を見せた。
「それに、案内所の業務をストップさせろなんて、いくら王都騎士団の命令でもできやしませんよ。ここは冒険者達の活動で潤っている街ですし、もし依頼案件を全て中止すればどれだけのクレームが来るか、想像しただけで寒気がします」
「でも、そうしないともっと犠牲が出るかもしれんのでござるよ!?」
「仮に案権を停止したところで、カルト集団が捕まるわけではないのだろう? 多分他の手口を考えるだろうし、意味はないと思うんだがね」
「だからって……」
あくまでギルディアでの活動を優先しようとするウォンディにしびれを切らして、カレンが椅子から立ち上がろうとしたが、頬杖をついていたアンジェラの方が先に動いた。
「――いいわ、引き続き案内所での業務は続けて頂戴」
しかも、フォン達の意見とは真逆の、ウォンディ側の肯定だった。
「アンジェラ!? あんた、何言ってんの!?」
クロエはきっとアンジェラを睨みつけたが、ウォンディは騎士の擁護も受けて安心したようだ。まさか組合の肩を持つとは、一同は思ってもみなかった。
ただし、彼女とて考えなしに業務の継続を許可したわけではない。
「代わりに、依頼人の身体検査を必ずやりなさい。犯人は体のどこかに、棒状の文字が連なった刺青を彫っているわ。もしもそんな奴が来たら、私に報告しなさい」
アンジェラはにっと笑うと禿げ頭を指差し、的確な提案をしてみせた。
確かに身体検査をして刺青を事前に見つければ、捕縛などをすることによって解決に近づくし、事件の発生を防ぐ手段にもなる。尚且つ、冒険者の仕事は続けられる。
ただ、スタッフや組合長の業務は爆発的に増える。ウォンディは仕事力を極力増やしたくないのか、一転して青ざめ、滝のような汗を流しながらアンジェラの提案を否定する。
「し、身体検査だなんて、一日の依頼量を考えれば相当な時間がかかりますよ!? それにプライバシーの問題もありますし、大体……」
だが、ここまで話が進んだなら、もう王都騎士団に逆らう術はない。
「だったら、王都騎士団『王の剣』の権限で無理矢理ここを閉鎖するわよ?」
「分かった、分かりましたよ! 後でスタッフにもそう伝えます、全くもう……」
アンジェラにじろりと見つめられたウォンディは、半ばやけくそな調子で頭を縦に何度も振ると、どかどかと細い足で大股にカウンターへと立ち去ってしまった。
これで、怒る勇気もない彼はしっかりと思い通りに仕事をしてくれるだろう。アンジェラがクロエに視線を送ると、彼女はやや納得いかない表情ではあるが椅子に座った。そんな仕草も、彼女からすれば楽しくて仕方ないようだった。
「……ま、これくらいしておけば、当面被害は減るでしょう。生贄を拉致するペースも落ちるわ。ただ、ここまでしたなら、こちらも犯人を掴めないと面子が保てなくなるわね」
感心しつつも口を尖らせるクロエと、気付けば腕を組んでうたた寝しているサーシャの隣で、フォンは御見事だと体現した笑顔を見せた。
「思ってたよりも強かだね、アンジー」
「これくらい強引じゃなきゃ、女は舐められるのよ。覚えておきなさい……」
覚えておくように話した、その先を彼女は言えなかった。
瞳に映ったフォンの顔が、短めな茶色の髪や少し幼く見える顔つきが、被ってしまったのだ。かつて自分が、最も愛した家族に。
そうしてようやく、アンジェラはフォンを何度もパートナーにしようとしたかを理解した。力を認めたのも、闇を解き明かしたいのも、全て建前だった。
その本音の正体を知った今、彼女は優しく微笑み、フォンを見つめた。
「……成程、分かったわ。私が本当に貴方を気に入っている理由が――」
そうしてまだ頬杖をつき、少し驚いた様子のフォンに言った。
「――ねえ、フォン。今日の夜、ちょっと付き合ってもらえないかしら」
一瞬だけ、辺りが静かになった気がした。
◇◇◇◇◇◇
アンジェラがフォンに、夕飯の誘いを持ち掛けたテーブルから少し離れたところで、誰にも知られない異常は静かに進行していた。
それは、ただの指名依頼。仕事をこなしてほしい冒険者を名指しできるシステムで、有名な冒険者にはこういった話が頻繁に舞い込んでくる。クラーク達が未だに喰うのに困らない理由は、勇者の肩書だけを知った者が彼に仕事を頼みこむからだ。
たった今、カウンターで依頼を提出しようとした女性も、そのうちの一人である。ただし、クラークは相応に有名であり、受付嬢は彼女の希望に添えない旨の説明もしていた。
「すみません、クラークさんは他の依頼案件が入ってまして、暫く名指しは出来ないんです。申し訳ありませんが、他の冒険者であれば……」
受付嬢はそう言って案内しようとしたが、赤黒いおかっぱ頭の女性は首を横に振った。
「では結構です。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「そ、そうですか……」
何か悪いことをしてしまったかと、バツが悪そうな表情を浮かべる受付嬢をよそに、女性はすたすたと案内所の外に行ってしまった。
この時はまだ、身体検査は実施されていなかった。
思っていたよりも小屋の清掃に時間がかかったのが大きな理由だが、多忙な冒険者組合長を呼び出し、事情を話しながら何かと調べごとをしてもらっていたのも原因だ。
その調べごとというのは、フォンが記した謎の敵の似顔絵を受付嬢や他のスタッフに見てもらい、今回以外にも依頼を受けていないかというものだ。思い出してもらう為に何度も見てもらったが、組合長のウォンディが持ってきた結論は一つだった。
「うーむ……スタッフに調べさせましたが、似顔絵の五人はどれも他の依頼を受けに来た痕跡はありませんね。街で見たこともないようです」
林檎柄のシャツを汗で濡らした彼は、ハンカチで頭頂部を拭きながらそう結論づけた。
テーブルを囲み、案内所で今か今かと返事を待っていた一行はがっかりした様子を隠そうともしなかった。尤も、この結論は予想できた内容でもあった。
「やっぱり、思っている以上の数で動いてると見てよさそうだね」
一方でウォンディは、厄介事に関わりたくないと言いたげな表情を見せた。
「それに、案内所の業務をストップさせろなんて、いくら王都騎士団の命令でもできやしませんよ。ここは冒険者達の活動で潤っている街ですし、もし依頼案件を全て中止すればどれだけのクレームが来るか、想像しただけで寒気がします」
「でも、そうしないともっと犠牲が出るかもしれんのでござるよ!?」
「仮に案権を停止したところで、カルト集団が捕まるわけではないのだろう? 多分他の手口を考えるだろうし、意味はないと思うんだがね」
「だからって……」
あくまでギルディアでの活動を優先しようとするウォンディにしびれを切らして、カレンが椅子から立ち上がろうとしたが、頬杖をついていたアンジェラの方が先に動いた。
「――いいわ、引き続き案内所での業務は続けて頂戴」
しかも、フォン達の意見とは真逆の、ウォンディ側の肯定だった。
「アンジェラ!? あんた、何言ってんの!?」
クロエはきっとアンジェラを睨みつけたが、ウォンディは騎士の擁護も受けて安心したようだ。まさか組合の肩を持つとは、一同は思ってもみなかった。
ただし、彼女とて考えなしに業務の継続を許可したわけではない。
「代わりに、依頼人の身体検査を必ずやりなさい。犯人は体のどこかに、棒状の文字が連なった刺青を彫っているわ。もしもそんな奴が来たら、私に報告しなさい」
アンジェラはにっと笑うと禿げ頭を指差し、的確な提案をしてみせた。
確かに身体検査をして刺青を事前に見つければ、捕縛などをすることによって解決に近づくし、事件の発生を防ぐ手段にもなる。尚且つ、冒険者の仕事は続けられる。
ただ、スタッフや組合長の業務は爆発的に増える。ウォンディは仕事力を極力増やしたくないのか、一転して青ざめ、滝のような汗を流しながらアンジェラの提案を否定する。
「し、身体検査だなんて、一日の依頼量を考えれば相当な時間がかかりますよ!? それにプライバシーの問題もありますし、大体……」
だが、ここまで話が進んだなら、もう王都騎士団に逆らう術はない。
「だったら、王都騎士団『王の剣』の権限で無理矢理ここを閉鎖するわよ?」
「分かった、分かりましたよ! 後でスタッフにもそう伝えます、全くもう……」
アンジェラにじろりと見つめられたウォンディは、半ばやけくそな調子で頭を縦に何度も振ると、どかどかと細い足で大股にカウンターへと立ち去ってしまった。
これで、怒る勇気もない彼はしっかりと思い通りに仕事をしてくれるだろう。アンジェラがクロエに視線を送ると、彼女はやや納得いかない表情ではあるが椅子に座った。そんな仕草も、彼女からすれば楽しくて仕方ないようだった。
「……ま、これくらいしておけば、当面被害は減るでしょう。生贄を拉致するペースも落ちるわ。ただ、ここまでしたなら、こちらも犯人を掴めないと面子が保てなくなるわね」
感心しつつも口を尖らせるクロエと、気付けば腕を組んでうたた寝しているサーシャの隣で、フォンは御見事だと体現した笑顔を見せた。
「思ってたよりも強かだね、アンジー」
「これくらい強引じゃなきゃ、女は舐められるのよ。覚えておきなさい……」
覚えておくように話した、その先を彼女は言えなかった。
瞳に映ったフォンの顔が、短めな茶色の髪や少し幼く見える顔つきが、被ってしまったのだ。かつて自分が、最も愛した家族に。
そうしてようやく、アンジェラはフォンを何度もパートナーにしようとしたかを理解した。力を認めたのも、闇を解き明かしたいのも、全て建前だった。
その本音の正体を知った今、彼女は優しく微笑み、フォンを見つめた。
「……成程、分かったわ。私が本当に貴方を気に入っている理由が――」
そうしてまだ頬杖をつき、少し驚いた様子のフォンに言った。
「――ねえ、フォン。今日の夜、ちょっと付き合ってもらえないかしら」
一瞬だけ、辺りが静かになった気がした。
◇◇◇◇◇◇
アンジェラがフォンに、夕飯の誘いを持ち掛けたテーブルから少し離れたところで、誰にも知られない異常は静かに進行していた。
それは、ただの指名依頼。仕事をこなしてほしい冒険者を名指しできるシステムで、有名な冒険者にはこういった話が頻繁に舞い込んでくる。クラーク達が未だに喰うのに困らない理由は、勇者の肩書だけを知った者が彼に仕事を頼みこむからだ。
たった今、カウンターで依頼を提出しようとした女性も、そのうちの一人である。ただし、クラークは相応に有名であり、受付嬢は彼女の希望に添えない旨の説明もしていた。
「すみません、クラークさんは他の依頼案件が入ってまして、暫く名指しは出来ないんです。申し訳ありませんが、他の冒険者であれば……」
受付嬢はそう言って案内しようとしたが、赤黒いおかっぱ頭の女性は首を横に振った。
「では結構です。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「そ、そうですか……」
何か悪いことをしてしまったかと、バツが悪そうな表情を浮かべる受付嬢をよそに、女性はすたすたと案内所の外に行ってしまった。
この時はまだ、身体検査は実施されていなかった。