小屋の外では、カレンが木の下に蹲り、サーシャが背中をさすっていた。
 そこから少し離れたところでは、クロエが冒険者の肩を叩いて慰めている。こちらから見ても分かるくらい泣き腫らした男がしゃくりあげるのを見て、フォンはまず、カレンに声をかけることにした。

「カレン、どう? 吐き気は収まった?」

 振り返ったカレンは口元を拭い、未だ青い顔で、だが大丈夫だとアピールしてみせた。

「うむ、すっかり収まったでござる。申し訳ない、師匠」
「あんなのを見た後じゃ仕方ないよ、気にしないで。クロエ、そちらの方の様子は?」

 まだ背中を擦ってもらっているカレンを一旦置いて、今度はクロエに話しかける。冒険者は狂ったように叫ばなかったが、今は生気が抜けた屍のようだ。

「今は大分落ち着いたみたいだけど、相当ショックを受けてるよ。冒険者稼業を始めてから、五人でずっとパーティを組んでたみたいだし……」
「そうか……すみません、少し聞きたいことがあるんですが、いいですか?」

 そんな相手でも、話は聞かなくてはいけない。フォンは顔を寄せ、優しく問いかけた。

「今回の依頼を提出した依頼人の顔は見ましたか? もし見たのなら、どんな人か教えて欲しいんです。あと、依頼の内容についても教えてくれれば……」

 男はフォンの言葉を呑み込むのに少しだけ時間を使い、吐き出すように答えた。

「……依頼人は男で……妙にやせ細ってたし、この辺りじゃ見ない顔だった……依頼の内容は、朝にしか行動しない魔物の討伐で……ありふれた依頼だ……なのに……!」

 答えられたのは、そこまでが限界だった。彼は長く付き合った仲間の危機と、ただ一人残された自分の虚しさが胸にこみ上げてきたのか、顔を掌で抑えて大粒の涙を零した。
 そんな様子を見せつけられても尚話を続けるほど、フォンもクロエも鬼ではなかった。

「……フォン、もう、そっとしておこう。必要な情報は、大方聞けたと思うよ」
「そうだね……やっぱり事件のカギを握るのは、その依頼人か――」

 やはり、話を聞くべきは依頼人しかいない。
 クロエが彼の肩を軽く叩いて宥め、一通りの流れを見たアンジェラが甘いと言いたげに腕を組み、気分が相当回復したカレンが立ち上がった時。

「――皆、構えて」

 ――フォンの一言が、周囲の空気を一変させた。
 彼だけではない。たった一言で、クロエ達やアンジェラの目つきが変わった。なのにまるで挙動を変えない――武器を構えないのは、これまで集中しないと気づけないほど気配を隠していた何者かの視線を、沢山の木々の葉、その影から感じたからだ。

「師匠、拙者の勘が告げているでござる。敵が近くにいるでござるよ」
「あら、二人とも気づいてたの? 木の上から観察するなんて、相手も趣味が悪いわね」

 小屋を清掃する自警団も、冒険者の男も何者かの存在を察知していない。フォンですら意識を研ぎ澄まして、カレンが獣の勘を発揮させて発見させられた相手なのだ。これだけの手練れを凡人が発見するのは難しいだろう。
何者かはというと、こちらがどう動くかを、じっと見つめている。全員がそれを察しているからこそ、声を小さくし、目立った動作もしない。

「僕の背中から三番目の木の、四つ目の太い枝に敵がいる。他の木にも合わせて五人いるけど、ここから狙えるのはもう一人……サーシャから見て左側、一番手前の木だ」
「サーシャ、見えてる。あいつら、油断してる」
「いつでも行けるよ、フォン。合図したら、あたしとサーシャで近くの二人を落とす」

 敵は動いていない。幹に立ち、木の葉に隠れ、まだ襲いも逃げもしない。
 クロエとサーシャは違う。各々が弓とメイスに、ゆっくりと手をかける。気づかれないほど静かに、それでいて確実に仕留めるべく、フォンが告げた方角に攻撃できるように。
 準備は出来た。後は、フォンの号令を待つだけ。
 尤も、その瞬間はあっさりとやってきた。

「分かった――今だ!」

 フォンの大声で、一瞬、ほんの一瞬だが樹上の誰かが怯んだ。
 そんな好機を、彼女達は逃さなかった。クロエは振り向きざまに巨大な弓を構えて矢を放ち、サーシャは背丈よりも長い鉄製武器『メイス』を、思い切り投げつけた。

「ごぎゅばッ!?」
「えげッ」

 果たして矢とメイスは、敵に直撃した。鈍い声が響いて直ぐに、黒ずくめの人間が二人、木から落ちてきた。どちらも頭を射抜かれ、潰されて即死したようだ。
 この動作が、フォン達の反撃の切欠となった。同時に、自分達の所在がばれていると思いもよらなかったらしい敵の慌てふためいた声が、木の葉の中から聞こえてきた。

「な、なんでばれたんだ!?」
「とにかく逃げろ、分散しろ!」

 言うが早いか、彼らは木の枝伝いに跳びはねて逃亡した。
 一瞬だけしか姿は見えなかったが、人数はフォンが予想した通りの三人。そのうち黒ずくめの一人が街の方向に逃げてゆくのを見て、アンジェラは真っ先に動き出した。

「あの身のこなしと素早さ、ただ者じゃないわね! フォン、私は一人で逃げた女を追うわ! 貴方とお嬢ちゃんは逆方向の連中をお願い!」
「頼んだよ、アンジー!」
「誰がお嬢さんでござるか! 行くでござるよ、師匠!」

 地面を疾走するアンジェラとは逆方向に向かうフォンとカレンは、忍者の技術の一つか、一跳びで木の枝に掴まると、敵と同じように枝を伝って追いかけた。敵の詳細は気になるが、フォン達とアンジェラが追うならば、それ以上の追跡は必要ないだろう。

「残った連中はフォン達に任せておけば大丈夫かな……あたし達はここで、こいつらを調べとこっか。まあ、死んでるから話は聞けないけど」

 その場に残り、落下時の衝撃で首を追って死んだ何者かを調べることを選んだクロエは、屈みこんで死体のフードを剥いだ。
 彼女達が顔をじっくりと見つめるよりも先に、冒険者の男が事態を呑み込めていないような調子で、クロエとサーシャのもとに寄ってきて、二人の実力を褒める。

「あんた達、すげえ腕前だな。さぞかし……あ、あぁっ!」

 ところが、クロエがフードを脱がせた敵の顔を見た途端、冒険者の顔が歪んだ。

「どうしたの? こいつらのこと、どこかで見たの?」

 クロエの問いに答える彼の顔は蒼白で、わなわなと震えていた。

「こいつだ! 俺達が見た依頼人は、こいつだよ!」

 口元がおぼつかないまま、彼は叫んだ。
 冒険者が指差した先には、黒い衣装に身を包んだ、やせ細った色白の男。
 唐突な依頼人の登場と死亡に、クロエ達は顔を見合わせた。