「――俺だけ、俺だけが小屋からどうにか逃げきれたんだ! 普通に依頼を受けていただけで、夜のうちに出発しようと森を渡っただけなのに、俺達は!」
翌日、狂ったようにしか見えない男の喚きが、街はずれの森に響き渡っていた。
絶叫する彼に先導されるのは、ギルディア警護の自警団数名と、フォン一行とアンジェラ。一同はまだ陽が昇り切っていない朝から、男に道案内をさせていた。
彼らが森の中にいるのは、ギルディアで男が必死に叫んでいたからだ。それだけならいつもの騒動の延長線程度だったが、彼の第一声がそうではないと知らしめた――仲間がおかしな集団に攫われ、片っ端から気絶させられたのだと。
日頃から酒を飲んで喚く男だったので、最初は誰も信じなかったが、そこにやって来たアンジェラは違った。彼女はすぐさま、自警団を手配した。
勿論、アンジェラはフォン達を随伴させた。宿で待機していた四人を自警団に連れて来させ、至急事態を確かめるべく森に一緒に行くのだと話し、そうして現在に至る。
森自体は少し薄暗いだけで魔物も少なく、いたとしても、冒険者でなくても処理できるような小さな種族ばかりだ。特におかしな点も感じないが、唯一異常だとするならば、未だに喚き散らす冒険者の男だろう。
「討伐する魔物は早朝にしか出ないから夜に出発したら、あいつらに捕まって、小屋に連れられて! でもあいつらは俺を追いかけずに、仲間を、ほら、あれだ、あれだよ!」
腰に提げたナイフの形、大きさから盗賊らしい彼が指差すのは、森の開けたところにぽつんと建っているただの木組みの小屋。ここからでは、特に異変は見受けられない。
「見れば分かるから、黙ってて。自警団の皆、小屋の周りを囲んで頂戴」
アンジェラが男を黙らせ、その場にいるよう地面を指差すと。男は従った。
自警団もまた、アンジェラの命令は絶対であるかのように――事実そうなのだろう、小屋の周りを囲む。彼女とフォン達は、安全を確かめた上で小屋には最後に近寄る。
「アンジーの言う通りだね。彼の言い分が正しければ、またも事件が起きたわけだ」
「私は予想していたわ。彼らには目的がある、果たされているならもっと大々的にアピールするはずだから、見つけられる程度に留まっているなら……」
しかし、小屋の周りの地面が見えるようになった時、アンジェラは顔を顰めた。
血痕の代わりに、まるで見せつけるかのような夥しい血の足跡があったのだ。それらは四方八方に散っており、どう少なく見積もっても十人分は下らない。
「……強い血の匂いでござる。この中に、恐らく……」
魔物である分、殊更に匂いを強く感じ取ってしまうのか、カレンは鼻をつまんでいる。近づけば近づくほど、血の匂いは一層強まってきて、クロエやサーシャですら嫌悪感を隠そうとしなくなる。
フォンもまた不快さを隠そうとしない中、四人は小屋の扉の前に辿り着いた。
「……開けるね」
フォンが念の為確認すると、仲間とアンジェラが同意する。
小屋の周りも自警団に警護してもらっている。防衛に対しての襲撃などもないのをしっかりと確かめてから、フォンは乾いた血で固められたドアノブに手をかけ、扉を開いた。
「む……!」
サーシャが息を呑むほど、凄まじい光景だった。
小さな小屋の全てが、血の文様で埋め尽くされていた。
木材の色が変わってしまうほど血液が飛び散り、テーブルや椅子は全て脇にのけられ、空けられた小屋の床には血で描かれた魔法陣が刻み込まれていた。真ん中にはやはり、完全に破壊された荷物が乱雑に散らばっている。
何が起きたのか、想像に難くない。フォンは匂いで、この血が人ではなく獣のものだと分かったが、それでもここで暴力が振るわれたのは察せた。拉致誘拐とは言っていたが、この場で殺害されたと言われても信じられる。
いくらここにいる全員が死に慣れているとはいえ、不快感を露わにせずにはいられなかった。ここまで悍ましい儀式を行える人間が自分と同じ種族とは思いたくないくらいに、邪悪な世界が広がっていた。
「うっぷ、うぐ……!」
訂正。カレンだけは、ここまで残虐な赤色に慣れていなかったようで、顔を青くして口元を抑えた。フォンは仕方ないと表情に浮かべながら、クロエとサーシャに言った。
「サーシャ、吐いちゃう前にカレンを介抱してあげて。クロエは彼らの仲間の冒険者さんに……結果だけ、教えてあげて欲しい」
「分かった。カレン、来い」
「め、面目ないでござ……うっ、おぼ、おぼがうぇ……」
「あ、ちょっと、ここで吐かないで! サーシャ、あっちの木陰に連れてってあげて!」
堪えきれす少しだけ漏らしそうになったカレンをサーシャが引きずり、クロエが爪を噛んで不安さを隠し切れない冒険者のもとに歩み寄るのを見てから、フォンはアンジェラと一緒に、小屋の中へと足を踏み入れた。
地獄を調べるのは、地獄を知る者と、地獄を学びたい者だけで十分だ。
「……アンジーは僕と調査して欲しい。見落としがないようにね」
「最初からそのつもりよ。早速始めましょ」
小屋の外の悲惨たる絶叫を背に受けながら、二人は魔法陣の前に屈みこんだ。
翌日、狂ったようにしか見えない男の喚きが、街はずれの森に響き渡っていた。
絶叫する彼に先導されるのは、ギルディア警護の自警団数名と、フォン一行とアンジェラ。一同はまだ陽が昇り切っていない朝から、男に道案内をさせていた。
彼らが森の中にいるのは、ギルディアで男が必死に叫んでいたからだ。それだけならいつもの騒動の延長線程度だったが、彼の第一声がそうではないと知らしめた――仲間がおかしな集団に攫われ、片っ端から気絶させられたのだと。
日頃から酒を飲んで喚く男だったので、最初は誰も信じなかったが、そこにやって来たアンジェラは違った。彼女はすぐさま、自警団を手配した。
勿論、アンジェラはフォン達を随伴させた。宿で待機していた四人を自警団に連れて来させ、至急事態を確かめるべく森に一緒に行くのだと話し、そうして現在に至る。
森自体は少し薄暗いだけで魔物も少なく、いたとしても、冒険者でなくても処理できるような小さな種族ばかりだ。特におかしな点も感じないが、唯一異常だとするならば、未だに喚き散らす冒険者の男だろう。
「討伐する魔物は早朝にしか出ないから夜に出発したら、あいつらに捕まって、小屋に連れられて! でもあいつらは俺を追いかけずに、仲間を、ほら、あれだ、あれだよ!」
腰に提げたナイフの形、大きさから盗賊らしい彼が指差すのは、森の開けたところにぽつんと建っているただの木組みの小屋。ここからでは、特に異変は見受けられない。
「見れば分かるから、黙ってて。自警団の皆、小屋の周りを囲んで頂戴」
アンジェラが男を黙らせ、その場にいるよう地面を指差すと。男は従った。
自警団もまた、アンジェラの命令は絶対であるかのように――事実そうなのだろう、小屋の周りを囲む。彼女とフォン達は、安全を確かめた上で小屋には最後に近寄る。
「アンジーの言う通りだね。彼の言い分が正しければ、またも事件が起きたわけだ」
「私は予想していたわ。彼らには目的がある、果たされているならもっと大々的にアピールするはずだから、見つけられる程度に留まっているなら……」
しかし、小屋の周りの地面が見えるようになった時、アンジェラは顔を顰めた。
血痕の代わりに、まるで見せつけるかのような夥しい血の足跡があったのだ。それらは四方八方に散っており、どう少なく見積もっても十人分は下らない。
「……強い血の匂いでござる。この中に、恐らく……」
魔物である分、殊更に匂いを強く感じ取ってしまうのか、カレンは鼻をつまんでいる。近づけば近づくほど、血の匂いは一層強まってきて、クロエやサーシャですら嫌悪感を隠そうとしなくなる。
フォンもまた不快さを隠そうとしない中、四人は小屋の扉の前に辿り着いた。
「……開けるね」
フォンが念の為確認すると、仲間とアンジェラが同意する。
小屋の周りも自警団に警護してもらっている。防衛に対しての襲撃などもないのをしっかりと確かめてから、フォンは乾いた血で固められたドアノブに手をかけ、扉を開いた。
「む……!」
サーシャが息を呑むほど、凄まじい光景だった。
小さな小屋の全てが、血の文様で埋め尽くされていた。
木材の色が変わってしまうほど血液が飛び散り、テーブルや椅子は全て脇にのけられ、空けられた小屋の床には血で描かれた魔法陣が刻み込まれていた。真ん中にはやはり、完全に破壊された荷物が乱雑に散らばっている。
何が起きたのか、想像に難くない。フォンは匂いで、この血が人ではなく獣のものだと分かったが、それでもここで暴力が振るわれたのは察せた。拉致誘拐とは言っていたが、この場で殺害されたと言われても信じられる。
いくらここにいる全員が死に慣れているとはいえ、不快感を露わにせずにはいられなかった。ここまで悍ましい儀式を行える人間が自分と同じ種族とは思いたくないくらいに、邪悪な世界が広がっていた。
「うっぷ、うぐ……!」
訂正。カレンだけは、ここまで残虐な赤色に慣れていなかったようで、顔を青くして口元を抑えた。フォンは仕方ないと表情に浮かべながら、クロエとサーシャに言った。
「サーシャ、吐いちゃう前にカレンを介抱してあげて。クロエは彼らの仲間の冒険者さんに……結果だけ、教えてあげて欲しい」
「分かった。カレン、来い」
「め、面目ないでござ……うっ、おぼ、おぼがうぇ……」
「あ、ちょっと、ここで吐かないで! サーシャ、あっちの木陰に連れてってあげて!」
堪えきれす少しだけ漏らしそうになったカレンをサーシャが引きずり、クロエが爪を噛んで不安さを隠し切れない冒険者のもとに歩み寄るのを見てから、フォンはアンジェラと一緒に、小屋の中へと足を踏み入れた。
地獄を調べるのは、地獄を知る者と、地獄を学びたい者だけで十分だ。
「……アンジーは僕と調査して欲しい。見落としがないようにね」
「最初からそのつもりよ。早速始めましょ」
小屋の外の悲惨たる絶叫を背に受けながら、二人は魔法陣の前に屈みこんだ。