謎の剣士の正体に最も過敏に反応したのは、カレンだった。

「忍者でござると熱づうぁっ!?」

 修行中であるのも忘れて立ち上がった彼女は、当然と言うべきか、頭に乗っけていたコップの中身――湯気が立ち上る熱湯を頭からかぶった。

「動いた!」
「痛だぁ!?」

 それだけでなく、目ざとく零す瞬間を見計らっていたサーシャにお尻を思い切り叩かれた。熱さと痛さで悶絶するカレンの頭から落ちたコップは、いつの間にか目を細くしたフォンが掴んでいた。
 慌てた調子で平静さを取り戻そうとするカレンに、フォンは諭すように言った。

「……朝から入れたお湯が冷めてると油断したね? 残念、そのコップは忍者の修行に使うものだから、沸騰した熱さを保てるんだよ。油断せず、動じず、肝に銘じておこう」
「しょ、承知でござる……うう、お尻痛くて頭熱し、でござる……」

 頭とお尻を擦りながら座るカレンを他所に、フォンは話を続ける。

「……それで、カゲトラの話だったね。彼は忍者の力を過信して、任務とは関係のない殺人にまで手を染めたから、里を追い出されたんだ。尤も、僕が修行を受ける前の話だから、どこまでが真実かは分からないけど」
「じゃあ、そのカゲトラを崇拝してる連中が、忍者を蘇らせようとしてるの?」

 フォンは頷いた。
 忍者の里で修行していた頃、抜け忍の話は、忍者としての道を外すとこうなるのだという説教も兼ねてマスター・ニンジャからよく伝えられていた。
 どのような忍者かと言われれば、里を追い出されるのも頷ける。必要最低限の殺しのみを行う忍者が殺人に傾倒すれば、世を脅かす存在になりかねない。正体を知らなければ、謎の力を用いて容易く人間を殺す者として崇拝もしてしまうだろう。

「忍者だと知っているかはともかく、復活を目論んでいる可能性はある。ただ、一連の誘拐のやり口を聞いても、それが復活の儀式とは到底思えないな。少なくとも、忍者の持ち得る術の中に、人を蘇生させる術はない」
「拙者を魔物から人間に変化させたような、禁術ではないのでござるか?」

 頭が冷えてきたカレンの問いに、フォンは少しだけ考えこんでから答える。

「有り得なくはないけど、仮に忍者であるなら秘密裏に儀式を執り行うはずだ。忍者らしくないというか、まるで魔法に傾倒しているような……」

 フォンには、彼らの儀式が忍者らしくは見えなかった。少なくとも本当に忍者であれば、修行時代に死を死として認めるよう学ぶので、そんなカルトに没頭しない。
 まるで、忍者と魔法、冒涜的な集団の悪いところを混ぜ込んだような集団だ。
 フォンが彼らを危険因子だと思うように、クロエも今回の一件は無関係だとは思っていないようで、話すか悩んでいた内容を口にした。

「どちらにしても、冒険者ばっかりが狙われてるなら、自警団や王都から調査団、騎士団が来るまで暫く活動は控えた方が良いんじゃないかな?」

 クロエとしては、次は自分達の番ではないかと考えていた。
 何も、彼女に限った話ではない。賑わっているとはいえ、ここ最近案内所の人の数はまばらである。拉致された冒険者の中には、それなりに有名な人物もいたようで、明日は我が身と思うと街の外に出たがらない者が多いようだった。
 簡単に攫われてやるつもりはクロエにも毛頭ないが、だからといって危険に自ら足を突っ込むほど愚かでもない。そのつもりで提案したが、サーシャは大きく鼻を鳴らした。

「サーシャ、気狂い、怖くない。サーシャ、返り討ちにする」
「拙者も同感にござる。命を弄ぶ悪人など、もし鉢合わせたら成敗するでござるよ!」

 サーシャの肩を叩き、カレンもふんすと鼻を鳴らす。どうやら彼女達には不要な心配だったと思い、クロエは小さく笑う。

「あはは、こんな時は二人の存在がありがたいね。だけど、依頼の数そのものも減ってるみたいだし、このまま事件が続けば否応なしに――」

 否応なしに依頼受注が停止する。
 そう言おうとした時だった。

「――失礼するわねっ!」

 突然、クロエ達が目を丸くするほどの大声が案内所中に響き渡った。
 冒険者の中には跳び上がったり、椅子から転げ落ちたりする者もいた。昨今の事件もあったので、誰も彼も内心怯えていたのだろう。
 そんな中、いきなり扉を叩き破るほどの勢いで屋内に入ってきたのだから、驚く者がいるのも仕方ない。冒険者はおろか、受付嬢や料理を持ってきていたウェイトレスすらぽかんとした様子で棒立ちしていた。

「……何、あれ?」
「サーシャ、知らない」

 クロエとサーシャ、カレンが顔を見合わせていると、腰に手を当て、彼女は叫んだ。

「アンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサ、予定通り到着よ! 冒険者の諸君、早速だけど、シャドウ・タイガーについての情報を頂戴!」

開けた扉から朝日を背に受ける女性は、橙色の髪を靡かせ、強気な笑顔を見せた。