ある日の夜。暗い、暗いどこかの森。
 人どころか魔物すら近づかない森の、ずっと奥。風が吹き込み、ただただ暗黒のみが犇めく森林の最中に、彼らはいた。

「……なあ、なあ、勘弁してくれよ」

 一組の男女が、森の真ん中の開けたところに座り込んでいた。
 いや、座り込んでいるというよりは、座らされていると言った方が正しいか。冒険者の出で立ちをした二人の足は無惨に切り刻まれ、ズボンの上からも滲んだ血が、彼らから立ち上がる機能を奪っていると証明していた。
 加えて、彼らは最初から二人だったわけではない。共に冒険者として活動し、パーティを組んでいたもう一組の男女がいる。ただし、その二人に関しては同様に動けないよう痛めつけられた上で、すっかり気絶させられているが。
 これだけを見ても異様な光景なのに、泣き喚く冒険者の足元と周囲は異常と呼べる。
 地面には血のような液体で描かれた幾何学模様の円陣が、二人を中心に大きく書きなぐられており、彼らの周囲には全身を黒いフードとローブで覆った人影が立っている。

「頼むからよお、帰してくれよ。俺達はただの冒険者だ、悪事なんか何もしてねえよぉ」

「うっ……ううっ……」

 男はその影に向かって叫び喚き、女は俯いてただ泣きじゃくる。十を超える人影は一切返事をせず、各々が持つ血塗られたナイフだけを月光で怪しく煌めかせるばかり。
 この黒い人々が、冒険者の仲間を傷つけたのは明白だ。

「お前ら、あれだろ!? ギルディアで噂になってる、無差別に冒険者を襲うっていう連中だろ!? 俺達なんて殺したって何にもならねえよ、金も宝もねえんだよ!」
「お父さん、お母さん……ううぅ……」
「このことは誰にも言わねえ、約束するから! だから助けて、せめて命だけは――」

 それでも何とか説得しようと男は声を張り上げたが、凡そ意味はなかった。

「ぎゃびッ!?」

 女の後ろにいつの間にか立っていた何者かが、彼女をナイフの柄で殴り倒したのだ。
 彼女の体が痙攣してぐるりと白目を剥く。びくびくと大袈裟に震えた彼女は、黒いローブの男が髪から手を離すと、うつ伏せに倒れて動かなくなった。

「あっ!? あ、ああ、ひいい!?」

 冒険者は思わず失禁した。これまで何度も魔物や賞金首を追いかけ回した経験はあったが、この恐怖はそんな範疇の話ではない。
 明確な死への恐れを露にする男に、後ろに立つ者が囁いた。

「――その命が、いずれ必要なのだ」

 野太い男の声だった。
 声を聞いて、ようやく彼は、背後に立つ誰かが自分よりもずっと大きな男だと気づいた。体も顔も隠れているが、恐らく魔物の如く大きく、屈強な男だ。
 そんな男が赤い液体の滴るナイフを揺らしてうろつくのだから、気が気ではない。

「『シャドウ・タイガー』を復活させる為には、勇敢な者の肉体と魂を捧げなければならないのだ。あの御方は些末な命では蘇られない――ならば、より多くの命を彼に与えるのみ。喜べ、お前でちょうど人柱は二十人目だ」

 おまけにこんな意味不明な言動をいたって真面目に話しているのだから、猶更怯えてしまうのも無理はない。叫べば死ぬかもしれないのに、男は声を口から垂れ流す。

「わ、わわ、訳の分からねえ話をしてんじゃねえよ! 助けて、誰か助けてぇ!」

 冒険者の戯言を無視して、フードの男は同じ格好をした同士に呼びかける。

「皆の者、復活の呪文を唱えよ。シャドウ・タイガーを呼び出すのだ」

 彼の言葉に応じ、フードを被った異常者達は口々に呪文をぶつぶつと呟く。

「リンピョートーシャー……カイジンレツザイゼン……」
「リンピョートーシャー……カイジンレツザイゼン……」
「リンピョートーシャー……カイジンレツザイゼン……」

 ゆっくり、しかし確実に彼らは近づいてくる。最後の生贄を捧げるべく、ナイフをぎらつかせて、涙と鼻水に塗れた男の瞳に、銀色の死をちらつかせる。

「あ、待って、やめて、やべでぐだざい、おでがいじば……ぎゃああああぁぁ!」

 彼は必死に祈ったが、意識の断絶はあっさりと訪れた。十以上の腕が男に覆い被さったかと思うと、彼は顔が腫れ上がるほど殴り回され、一瞬で気を失った。
 大柄のフードの男は、思った結果が出なかったようで、少しため息をついた。

「……シャドウ・タイガーを蘇らせるには足りない。より多くの生贄が必要だ」

 だが、彼は今回失敗したからといって、悍ましい凶行を止める気はなかった。その点について言えば、周囲の人々も同じ気持ちである。部下に、気絶してしまった四人組を引きずってどこかへと連れて行かせながら、彼は叫ぶ。

「諸君! 我らの手で百人斬りの怪人を呼び出し、新たなる肉体を与えよう! そして、再び王都に伝説在りと知らしめるのだ!」
「ハイ、マスター!」

 何故ならば、彼らはギルディア周辺で、ある目的の為に強襲、拉致を続ける組織。
 ――『シャドウ・タイガー』復活を掲げる、恐怖を齎す者達なのだから。