暫く走っている間に、陽が傾き、雨が少しだけましになってきた。
 魔物の声もすっかり聞こえなくなったし、気配も感じない。どうやら、山に潜む怪物達の襲撃から上手く逃れられたらしい。フォンが開けたところで足を止めると、仲間達もようやく落ち着いた様子で、大きく息を吐いた。
 元々ゲムナデン山は薄暗い雰囲気だが、陽が沈みそうになると一層暗くなってくる。これ以上暗がりを進んでも危険が多いと判断したフォンは、倒れた大木に腰かけた。

「……魔物の気配が完全になくなった。皆、日も暮れたし、一旦休もうか」
「野営でござるな。師匠、あれを使うでござる!」
「そうだね。カレン、設置は任せるよ」

 クロエはてっきり、マントを木の枝に引っ掛けて野営する程度だと思っていたが、カレンは鞄の中から折り畳まれた灰色の布の塊のようなものを取り出した。

「あれって……うわ、すごっ!」

 どうやって使うのかと、クロエとサーシャがじっと見つめていると、カレンは何度か布の塊を上下に振った。すると、畳まれていた布があっという間に広がり、大きなタープとなった。四人が入っても余るくらいの大きさで、雨もしのげるだろう。

「これだけの大きさ、鞄、入らない。お前、どうやって入れた?」
「忍者の道具は全部、ある程度折り畳めるんだ。そうじゃないと嵩張っちゃうからね。焚火も今のうちに起こしておこうか」

 カレンがせっせと布の内側の骨組みを整えて設置する隣で、フォンはリュックの中から乾いた木を何本か取り出すと、完成したタープの下に置いた。そして今度は腰に吊り下げている黒い袋から細く短く切った竹を取り出すと、木の間でもぞもぞと動かした。
 タープの内側に入ったクロエがじっと見つめていると、ぱちぱちと火が起こった。

「こっちもすごいね、魔法でも忍術でもないのに、あっという間に火が付くんだ」

 目を丸くするクロエと顔を寄せるサーシャの傍で、フォンは道具を袋に仕舞った。

「打竹だよ、中に火を起こす機能が詰まってる。カレン、鍋を貸してくれ」
「承知でござる! 水も、こちらの水筒に!」
「ありがとう。さてと、沸騰したら食事にしようか」

 鍋すらも折り畳まれていたのに驚いたが、フォンの言うところの食事に、クロエはちょっぴり苦笑いをしてしまった。今は獣を狩れる状況でもないし、そうなると待っているのはフォンお手製の携帯食――良い味のしない丸薬を思い浮かべたのだ。

「食事……兵糧丸以外でお願いできたら嬉しいな、あはは」
「兵糧丸は薬みたいなものだから、今回はなし。忍者流の携帯食を持ってきてるから、そっちでちゃんと栄養を取ろう。で、さっきから気になってたんだけど――」

 リュックを布の上に置き、中身を漁りながら、フォンは近くの岩の影を見ずに言った。

「――クラーク、隠れてても気配は分かるから、出てきたらどうかな?」

 さらりと言ってのけたが、今度はフォンを除く三人とも跳び上がった。
 どこにクラークがいるのか、誰かが尾行してきているのに気付いたのか、三人が聞くよりも先に、岩場の影からクラークを含めた一同が顔を覗かせた。クラークの後に続いて、マリィやパトリス、渋い顔をした武闘派コンビが出てくる。

「……何でばれたんだよ、オイ」
「何でって、気配ならずっと……ドレイクから降りた時から気づいてたよ?」

 理由がさっぱり分からないが不愉快だと言いたげな顔をしたクラークの、捻り出したような声に、振り向いたフォンはあっさりと答える。
 ドレイクから降りた時点で、フォンは彼らの気配を察していた。フォンを追いかける為に近場に降りたのが仇となったようだが、彼らの移動手段はクロエにヒントを与えてしまったようで、成程、といった調子で彼女は言った。

「……ああ、なるほど、わざと遅れたのはフォンが黄金獅子を見つけたところを掠め取ろうって寸法だったわけね。勇者パーティの名が廃るよ、ほんとに」

 直感で悪企みを見抜かれた一行、特にジャスミンは顔を真っ赤にして否定する。

「な、何の証拠があって言ってんのさ、おばさん!」
「あんた達から横取りだと、バカにしやがって!」

 雨の中、口を尖らせて腹を立たせる彼らだが、怒りの声はサラとジャスミンの腹の鳴き声で掻き消されてしまった。
 どうやら彼らも、自分達の尾行に集中力を割きすぎてしまったようだ。それに、雨が降るとは思っていなかったのか、マントもつけずにびしょ濡れである。フォンがいないことの副次的なトラブルなのかもしれないが、それはどちらにも分からない。
 雨に打たれる姿が、まるで飢えた獣のようでもある勇者パーティを見たフォンは、顎を掻いてから、当たり前のように言った。

「……僕からの提案だけど、皆で夕飯を食べない?」

 彼の底なしのお人好しぶりは、時として仲間すらも驚かせた。

「フォン!?」

 クロエ達からすれば、フォンからそんな台詞が出るのが驚きだった。散々貶められ、パーティをクビにされた張本人だというのに、恨んでいないどころか食事すら与えると言ったのだ。しかも、哀れみからではなく、鍋を囲う朗らかさを優先して。
 双方のパーティから見つめられながら、フォンは話を続ける。

「見たところまだ食事をとってないみたいだし、寒そうだし……それにさ、同じ鍋を囲めばわだかまりが解けるかもしれない。これを食べたくないなら、話は別だけど」

 父親のような笑顔を浮かべる彼の手元の鍋の中には、いつの間にかフォンが入れていた固形の携帯食が溶かされていた。茶色のスープの中には具が沢山入っていて、ジャスミンとパトリスは鼻の奥をくすぐる匂いに、涎が出かけている。

「美味そう……」
「美味しそうですね……」

 双方のぶつかり合う視線が、塩気たっぷりの匂いによって和らいでいく。このまま睨んでいても体が冷えるだけだと思ったのか、クラークは苦々しげに言い放った。

「……チッ、今回だけだぜ。俺達も腹は減ってたし、いただいてやるよ」
「ありがとう、クラーク。さあ、カレン、器に皆の分のスープをよそってあげて」

 にこりと微笑んだフォンにそう言われても、カレンだけは納得していないようだった。

「あい分かった……痺れ毒の一つでも「カレン?」な、何でもないでござる!」

 フォンにじろりと見つめられ、カレンは慌てて木製の椀に食事をよそい始めた。
 広いタープの下、詰め込むようにフォン一行と勇者パーティが大木に腰かける。フォンとパトリス以外は、互いを信用していない様子で椀を手に取る。
 こうして、鍋を囲んで奇怪な夕飯の会が始まった。