フォンはなるべく振り向きたくなかったが、放っておけば延々と居座りそうだったので、何とも言えない表情のまま、渋々振り向いた。

「……クラーク、マリィ」

 さも当然のように不遜な態度で立っているのは、やはり勇者のクラークだった。逆立った銀髪を癖で撫でつける彼の後ろにいるのは、彼の恋人の栗毛、マリィだ。
 他のパーティメンバーがいないのは幸いだったが、この二人がいるだけでも厄介極まりない。静かながらトラブルの空気を感じ取ったのか、クロエとサーシャが席を立った。

「あたし達がここにいると、都合が悪いの?」

 つんとした顔でクロエが問うと、クラークはしらばっくれた様子で答える。

「……さあな。昨日、宿屋が襲われたらしいじゃねえか。すっかりビビって、街から出て行ったと思ってたって、それだけだ」

 どう考えてもそれが理由ではなさそうだが、クロエは言及しなかった。彼女が突き詰めたいのは、もっと確信に繋がる事象だからだ。

「ふぅん……ちょうどいいや。あんた達がここにいるんだから、話を続けよっか。あたし達、いや、フォンがマルモ一家と繋がってるなんて噂を流した奴は、誰だろうね」

 つまり、クラーク達が噂を流したのだと、クロエは遠回りにそう言っていた。

「クロエ、その話は……」

 なるべくクラーク達と長く会話をしたくないフォンはクロエを制そうとしたが、もう遅かった。クラークの後ろで、マリィがこれでもかと、不快な表情をしているのだ。

「どうして私達がいるのと、その話を続けるのが関係しているのかしら?」
「そんな馬鹿げた噂、あたし達は一度だって聞いたことないから。誰かがカレンを嗾けてフォンを始末する為に嘯いたとしたら、得する奴らなんて……分かるでしょ?」
「噂の出所、調べれば分かる……お前ら、額に汗、流れてる」

 単なる推測とはいえ、真相をある程度掴まれているのは想定外だったのか、二人の額には無意識のうちに汗が流れていた。サーシャの指摘で、彼らも気づいたらしい。

「……酷いことを言うのね、貴女達は」

 マリィは努めて平静に受け流し、クラークはふんぞり返って誤魔化すことに決めた。

「ま、フォンと仲間だから、噂を信じたくないってのは仕方ないかもな。けど、噂が裏で広がってたかもしれないし、第一、事実じゃないとも言い切れないぞ?」

 しかも、ただ誤魔化すだけではない。フォンに対する、信じられない侮蔑も交えて。

「俺達とパーティを組んでた頃から、命令されたことは何でもやってた奴だ。マルモ一家の下にこっそりついてて、悪事に手を染めてた可能性だってあるだろ? 命令を聞くしか能がねえんだから、悪党の小間使いなんかはおあつらえ向きじゃねえか」

 もしかすると、クラークは人の怒りの地雷原を踏み抜く才能があるのかもしれない。高慢ちきなハンサムフェイスと下劣な口ぶりが、他者の怒りを更に増長させる。
 そんなクラークの発言が、クロエとサーシャを本気で怒らせないわけがなかった。

「……よく喋る豚、サーシャ、黙らせる」
「ぶっ殺されたいなら、最初からそう言えばいいのにね」

 凄まじい形相で激怒する二人は、背負っていた弓とメイスをそれぞれ手に取り、案内所の中だというのに臨戦態勢を取る。クラークもまた、剣に手をかける。

「自分達から話を切り出しておきながらその態度かよ。ナメた女共だぜ」

 まるで、ここで二人が攻撃したのを大義名分に、斬り殺すかのような態度だ。
 マリィですらクラークを止めず、案内所の冒険者達が野次馬になるほどの大一番が始まろうとしている中、フォンはただ一人仲間の前に躍り出て、必死に止めようとした。

「二人とも、待ってくれ! 噂のことなら、もう――」

 ただ、そんな必要はなかった。

「え、熱っ」

 ちり、と、クラークの背中から何かが焦げるような異臭が漂った。
 彼を含めて、案内所中の人間が制止した。何が起きたのか、当の本人が理解した頃には、既にクラークの背中一面を熱が舐め回していた。

「――うあぁ熱うああああぁぁぁッ!?」

 なんと、クラークの背中が突然燃え始めたのだ。

「だ、誰か、水、みずううぅ!」

 剣に携えた手を離し、泣きながら暴れて水を求めるクラーク。フォン達ですらそうなのだから、野次馬や受付嬢達は誰も自分から炎になど触れようとはしないし、彼はただ喚いて転げ回るだけである。

「クラーク!? どこから火が……『水波』(ブルーウェイブ)!」

 そんな彼の背中に、魔法使いのマリィが杖の先から、魔法に伴う水流を放った。たちまち火は鎮まったが、代わりに彼のお気に入りの衣服は焼け焦げ、背中は赤く膨れていた。

「ぐお、うう……何でだ、どうして俺の背中が燃えたんだよ!?」

 這いつくばりながら一同を睨むクラークへの返事は、彼の後ろから返ってきた。

「――下らぬ悪口が聞こえたでござる。お主が剣に手を伸ばすのも見えたでござる」

 めらめらと燃えるような激昂の視線を焼けた背中に感じ、クラークは振り向いた。

「拙者の目の黒いうちは、師匠への侮蔑は絶対に許さんでござる。弟子としてな」

 青い毛を猫の如く逆立てて、黄色い目をかっと見開いた、魔物の様相。
 小瓶を片手に、修羅の形相で立っていたのは、カレンだった。