どたばたとした夜だろうと月が陰り、陽が昇れば朝が来る。
 フォンが借りている宿の部屋、その窓にも朝日が差し込んできて、彼の瞼の裏を少しだけ明るく染めた。普段ならここで目が覚めるのだが、実は彼は、既に覚醒していた。

「…………?」

 部屋の中で、隠そうと努力しているらしい足音がぱたぱたと聞こえるのだ。しかも気配はより顕著に醸し出されていて、おまけにフォンには覚えがある。

(この気配、カレンのものだ。どうしてまたここに?)

 恐らくこの部屋で何かをしている様子のカレンの雰囲気は、どうやっても誤魔化し切れていない。どうして戻ってきたのかは知らないが、放っておくのも良くないだろう。
 心の中でため息をつきながら、フォンはゆっくりと目を開き、体を起こした。

「ふう、こんな朝から何の用で――」

 そして、眼前に広がる世界が夢であることを切に祈った。

「――お目覚めでござるか、師匠!」

 やはり、部屋にいたのはカレンだった。
 ただ、格好は昨日とあまりにも違い過ぎた。人型ではあるが、問題はその衣服だ。
 なんせ羽織っているのは、フリルの付いた白いエプロン一枚。それ以外は何も着用していない。シャツもコートも、靴すらもつけていないので、低い背に似合わず顔ほどの大きさもある乳房や、桃のような尻がエプロンでしか隠れていない。
 そんな格好で箒片手に部屋中を掃除しているのだから、フォンが思わず布団を首元まで寄せて、目を白黒させて狼狽えるのは当然だ。

「カレン!? な、ななな、何だいその格好は!?」

 フォンの問いに、カレンは箒を振り、青い髪と胸を大袈裟に揺らしながら答えた。

「もう少しで掃除が終わるでござる、師匠は今しばらくお休みくだされ!」
「いや、ちょっと、返事になってない……師匠?」

 尻尾を尻と一緒に振って八重歯を見せるカレンは、猫なのに犬のような表情だ。加えて、彼女の発言の中におかしな呼称が――師匠とあったのに、フォンは気づいた。

「はい! 拙者は昨晩、貴方に言われたことをよく考えたでござる! これまでの行いを深く反省し、自分が持ち得る力を世の為、人の為に真に使うにはどうすれば良いかと!」

 話す度、クロエやサーシャよりも女性的魅力の詰まった体を揺らしながら、カレンはフォンに近づいてくる。彼女の性格からして、きっと故意ではなく、小さなエプロンから白い肌と乳房がまろび出そうになっているのも気づいていない。

「その末に、拙者は気づいたのでござる! 貴方に師事し、真の忍者とは何たるかを学ぶことこそが、先代の望みを叶える夢に、本当の忍者になる為に必要なのだと!」

 しかも、話している内容だって洒落にならない。なんと彼女は、フォンに師事して忍者の基礎を学ぶとまで言い出したのだ。いくらフォンの実力が彼女より優っているとしても、フォンの性格上、誰かに物事を教えるのは大の苦手だ。

「僕に師事!? 冗談だろう、僕は里にいた頃でも『マスター・ニンジャ』の資格を得てないんだ! それに、誰かに忍術を教えるほどの実力はないって!」
「そんなはずはないでござる! 師匠ほどの忍者に、人を教える力がないなど!」

 里の掟では、忍術や忍者について教えるならば相応の称号が必要だった。フォンは掟を知っているから謙遜するが、カレンは師匠にフォンこそが相応しいと言ってきかない。
 しかも、カレンはもうベッドにまで登って、フォンの目と鼻の先まで来ていた。これ以上近づけば、柔らかい部位が全て接触する距離に、たじろぎながら彼は目を逸らす。

「ちょっと、近い、近いよ! 目のやり場に困ってるんだ、さっきから!」

 そこまで言われてようやく、カレンは自分の格好が布一枚だと知ったかのような態度だった。恥じらいなど全くなく、見せつけるように彼の前で布を伸ばす。

「目のやり場? ああ、この格好でござるか。人間が読んでいた書物の中にあった、殿方が身の回りの世話をしてもらう時に最も喜ぶ衣装でござる」
「分かった、分かった。僕はそんなに嬉しくないから……」

 フォンは世間での流行りに聡いわけではなかったが、彼女の服装が『裸エプロン』と呼ばれるものだとは知っていた。男女の営みの前に気分を高める格好だとも聞いた。
 彼女と男女の仲になるつもりなど毛頭ないフォンは、ゆさゆさと色んなところが揺れる服からいつもの服に戻ってくれと言いたかったが、やはりカレンは曲解した。

「む、これでは物足りないでござるか! やはり『えぷろん』を脱ぎ、生まれたままの姿での奉仕こそが、忠誠心の表れでござると、そういう意味でござるな!」
「そういう意味ではないね!? ほんと、零れちゃうから、見えちゃうから……!」

 ずいずいとベッドを這うように、カレンはフォンに顔を近づける。
 彼はどうにか目線を上に向けているが、腹から胸元にかけて、重く柔らかい物体が圧し掛かっている。カレンが気づいてくれればいいのに、彼女はフォンを見つめっぱなし。
 これではまるで、魅力の暴力だ。ここまででも相当な威力なのに、カレンはエプロンに手をかけ、今まさに脱ぎ捨てようとまでしている。
 誰でもいい。この状況から救って欲しい。フォンの願いは、果たして叶えられた。

「…………何してんの?」

 いつの間にか部屋の扉を開け、こちらを凝視しているクロエとサーシャによって。
 二人の視線は、ベッドの上で狼狽するフォンと、ほぼ裸の格好で誘惑しているようにしか見えないカレンに注がれていた。二人とも、フォンの表情はともかく、部屋でいかがわしい行為をしているとしか思っていないのは、顔を見れば明らかだ。
 これ以上ないくらい侮蔑に顔を染めた二人に、フォンは出来る限り朗らかな表情を作り、誤解のないよう懇切丁寧に事情を話そうとした。

「……クロエ、サーシャ、おはよう。誤解して欲しくないんだけど……」
「ううん、何も誤解してないよ? 昨日別れたはずのカレンにそんな格好させて、朝からスケベなことさせてるフォンだって、それ以外には見えないよ?」

 何もかも無駄であった。
 クロエはフォンが何をしているかを理解していたし、無言のサーシャも大体は察しているようだった。だから、彼への対応は完全に冷え切っていた。

「先に案内所に行ってるね、フォン。どうぞ、ご・ゆっ・く・りっ!」

 弟のように思いかけた少年の淫行に激怒するクロエは、砕けるのではないかと思うほどの勢いで扉を閉めた。そして、どうして怒っているのかと半ば理不尽にすら感じられるほどの足音と共に、廊下を歩き去った。
 こうなると、困るのはフォンだ。数少ない助けが失われ、残ったのは気合を入れてすっぽんぽんになろうとするカレンのみ。

「ま、待ってよクロエ! 僕は……カレン、脱いじゃ駄目だよ、こんなところで!」
「ここで脱がずしていつ脱ぐか! 拙者の奉仕の心意気、とくと拝みくだされ、師匠!」
「どうなってるのさ、ほんとにもうーっ!」

 フォンが目を閉じ、間髪入れず、エプロン一枚が宙を舞った。