一方、カレンと別れてギルディアへと歩く三人。
 大きな仕事を終えた彼らは無言で帰路に就いていたが、ふとクロエがフォンに聞いた。

「――ねえ、フォン。カレンをあんなに気にかけてた理由、他にあるんでしょ?」

 少し不思議に思うような表情をしたまま、フォンはクロエを見た。

「……どうしてそう思うの?」
「フォンが忍者でも、あたしはフォンより年上。そういうのはお見通しだよ」
「サーシャ、お前より年上。でも、サーシャ、お前の頭、覗けない」
「そこはまあ、得手不得手があるから……で、実際のところどうなの?」

 どうやら、フォンが忍者として学んできた多くの読心術や人心掌握術では想像が及ばないような力が、年上であるというだけで備わるらしい。
 彼女の冗談をちょっとだけ違う形で理解したフォンは、僅かに俯いて、足を止めた。

「……僕を見てるようだったんだ」

 そうして告げた返事は、沼の底のように重く、寒い声だった。
 クロエとサーシャはぴたりと歩みを止めて、同時にフォンを見つめた。

「フォンを? まさか、カレンとフォンは真逆のところにいるように思うけど」
「……昔の僕だよ。ここに来る前の僕だ」

 彼の脳裏には、在りし日がフラッシュバックしていた。
 温和さなどない。優しさなどない。文字通りの人間兵器、それが過去のフォン。

「命令だけを信じていた。従い、邪魔する者を皆殺す。ただそれだけが真実で、他の全てを信じていなかった。僕に手を差し伸べた人に、刃を突き立てたこともあった」

 人間性を極限まで削ぎ落し、代わりに殺人と潜入技術の全てを詰め込んだ、人の皮を被った凶器。己の正義を信じ込むカレンと、命令だけが絶対であると信じ込んで蛇のような瞳だけを湛えた自分の姿が、彼にはどうしても重なって見えたのだ。
 フォンはとある事情に、カレンはフォンに救われたが、そうでなければ、そんな人間の行き着く先など決まっている。利用され、使い潰された果ての破滅だ。

「今思えば、暴走していたんだ。人じゃなく、道具として、虐殺や殺戮を正しいと……」

 目の奥が澱み、フォンの心に闇が蔓延ったのを、クロエは見逃さなかった。

「はい、そこまで。フォン、こっちにおいで」

 だからこそ、彼の両肩を掴んで、無理矢理自分の元に寄せた。胸元に顔を埋められたフォンは、羞恥というよりも、闇を上から塗り潰すような明るさの光を感じ取れた。
 柔らかい、女性特有の匂いが鼻腔をくすぐる。ゆっくりと離れたフォンの両肩を抱いたまま、クロエはこれ以上ないくらいの笑顔を、月を背にして彼に見せた。

「今は違う。フォンは変わった、あたしが保証する」

 サーシャもまた、フォンの後ろで腕を組み、うんうんと頷いた。

「お前、正しい魂、持ってる。サーシャ、分かる」

 二人の説得は、フォンには十分過ぎるほどの自信を与えてくれた。今のフォンは正しくまっすぐだと言われ、照れ臭そうに笑う彼は嬉しさを隠せなかった。

「…………ありがとう、クロエ、サーシャ」

 クロエもまた、フォンの瞳に光が宿ったのに気付き、手を離して微笑んだ。

「何だかさ、フォンがカレンを放っておけないのと一緒でね、あたしもフォンを放っておけないんだ。手のかかる弟っていうか、そんな感じ」
「弟……?」

 フォンは首を傾げたが、クロエは話を続ける。自分を姉と思ってくれればいいと。
 天涯孤独の彼に家族はいなかった。だが、もしも家族がいて、色んな物事を相談できる姉がいるとすれば、きっとクロエのような女性だろうかとも思えた。

「あたしやサーシャのこと、お姉ちゃんだと思ってさ。もっともっと、どんな時でもなんでも頼ってくれていいからね、フォン!」

 だから、ガッツポーズを取ったクロエを呼ぶとすれば、これしか思い浮かばなかった。

「うん、もっと頼るよ――ええと、クロエ姉さん?」

 姉さん。
 前述した通り、フォンに姉はいない。たどたどしい、初めての人の呼び方。

「……おうふっ」

 そんな頼りない弟系の態度と様子が、どうやらクロエにはクリーンヒットしたようだ。彼女はフォンとサーシャの前で、心臓を抑えて前かがみになってしまった。

「ど、どうしたの、クロエ!? ごめんね、変なこと言って!」
「あー……気にしないで大丈夫。ただ、その、何というか……ズルいね」

 もじもじしながら、慌てた調子でクロエは顔を隠す。フォンとサーシャは互いに顔を見合わせ、何をしているのだろう、と目を丸くする。

「ねえ、クロエの顔が真っ赤なの、なんでかな?」
「サーシャ、分からない」

 きょとんとする二人に隠れるように背を向けたクロエの顔は、弟には見せられない。
 どこか放っておけないのに、甘いくらい優しいのに、いざという時に頼りになる弟には、こんなにやついた笑顔は見せられないだろう。

(……クロエ姉さん、ね。えへへっ)

 ギルディアの街に戻れるのは、クロエの紅潮が解けてからになったそうだ。
 雲一つない空と月光だけが、金の髪を揺らす彼女に芽生えた感情を照らしていた。