外に出たフォン達は少しだけアジトから離れて、近くの木陰にカレンを寝かせた。
 脚や尻尾など、まだ傷が残っているカレンを、フォンがズボンのポケットに仕舞っていた医療用品で治療する。
 手際よく包帯を巻く彼の後ろで、アジトの入り口に隠していたらしい背嚢から衣服を取り出し、すっかりいつもの服に着替えたクロエとサーシャが、面白い光景を遠目に眺めていた。

「……ナイスタイミングだね。ちょうどギルディアの自警団が来たみたい」

 頃合いを見計らっていたように、ギルディアの街を警護する自治体、自警団の面々がアジトに乗り込んでいったのだ。青いジャケットを着て、剣を携えた七、八人が大声で喚きながら悪党を縛り上げている様子が目に浮かぶ。

「外で騒動が収まるのを待っててくれたのかもね。マルモ一家が僕達についてべらべら話さなければいいんだけど」

 にんまりと笑うクロエは、サーシャの肩にもたれ、フォンに後ろから語り掛ける。

「話したら、どうする?」
「彼らに明日はない。話したその日のうちに、全員始末する」
「わーお、怖いねー」

 マルモ一家のアジトからぞろぞろと悪党が引きずり出されていくのを面白そうに見ているクロエとサーシャが話しているのをフォンが聞いていると、カレンが口を開いた。

「……どうして……」
「ん?」
「……どうして、拙者を……助けたので、ござるか……?」

 痛みは引いているはずだが、弱い声だった。
 アイデンティティの全てが崩れさったカレンの声は、生きていながら死人のようであった。たった二日で信条を覆された彼女は、もう生きる希望すら失っているようだ。
 少し顎に指をあてがって、フォンは包み隠さず理由を話した。

「そうだな……単刀直入に言えば、君は忍者と呼ぶには程遠い未熟者だからだ」

 フォンのように、自分が強者だとは微塵も思っていないような者からしても、カレンは未熟だった。身勝手で、傲慢で、典型的な自己破滅型の人間は、誰から見ても未熟としか評価しようがない。
 牙だらけの口を閉じ、虚しい瞳でただ空を見つめるカレンは、答えを予期していた。フォンの口から直接聞いて、納得したかったのだ。

「けど、だからこそ忍者としての失敗で死ぬ必要はないとも思った。それに、忍術ですらない僕のバンダナ攻撃で驚いているような子が入るには、生死の世界は厳しすぎる」

 だが、続きの話をカレンは予想していなかった。
 フォンの説教の全てが、優しさを根幹にしているとは予想していなかった。

「死……フォンは、死を、与えなかったでござる」
「生かすのは、殺すよりも難しい。だからこそ背負う価値がある、それだけさ」

 ぽん、とカレンの青い毛皮を撫でるフォンの顔は、どこまでも温かかった。黄色い目に映る彼の笑顔は、悪党を殲滅した忍者とはとても思えないほどだった。

「僕の師匠がそうだった――師匠の実力にはちっとも届いてない僕が言うのもなんだけど、カレンにもその大切さが分かってもらえたなら、嬉しいな」

 そんなフォンの笑い顔こそが、大事なことを教えてくれた。

(……フォンは、拙者とは違う。背負うものも、覚悟も、本当の意味で何もかも)

 暗い闇を背負っていながら、どこまでも明るい太陽のような少年。

(正義と名付けた殺人を繰り返した拙者が入門するには、果てしなく遠い道……それが、忍者という道でござったか)

 忍者とは何か。フォンの姿こそが体現しているのだと、カレンは気づき、目を閉じた。
 同時に、尻尾に包帯を巻き終わって、フォンの治療は完了した。

「……よし、大まかな怪我の治療は終わったよ。あとはこの鞄を渡すだけだね」

 フォンがいつの間にか持っていた白い鞄の存在を聞いて、もう何度目かも思い出せない驚きをカレンは隠し切れなかった。

「鞄!? 一体どこから!?」
「忍者の秘密だよ」

 鞄をカレンの足元に置き、唇に手を当てたフォンはどこか悪戯っぽく見えた。

「僕達は街に帰るから、後は自由にしてくれ。じゃあ、またいつか」

 ひらひらと手を振り、ポケットに手を突っ込んだまま、フォンは背を向けて去った。

「もうむやみに人に喧嘩売るんじゃないわよー」
「……フン」

 クロエとサーシャも、フォンの後ろについて行く。すっかり静かになってしまったマルモ一家のアジトの灯りが消え、辺りには冷たい夜の闇だけが残る。
 カレンはただ、虚構たる暗黒の帳をじっと見つめていた。

(……このまま忍者を諦め……立ち去れば、拙者はどこにも行けない。成長もしないでござる)

 どうすればいいか、どうやって生きていけばいいのか。
 カレンの行く先のような寂しさと虚しさを詰め込んだ闇。もしも、霧中の如き暗黒に心が呑み込まれていたのなら、惨めな生涯を送る道を選んでいただろう。
 しかし、彼女には見えていた。

(真の覚悟とは、忍者とは、全てを学ぶ為に必要なのは……!)

 猫の瞳の如く光る、一筋の小さな光――進むべき道が。