鈍い光の下、ぎらりと剣を煌めかせるマルモをフォンが見据える。

「高みの見物をしていた人の言葉とは思えないな。部下だけで僕達を倒せると踏んでいたなら、クロエやサーシャを見くびり過ぎだ」
「女二人じゃねえ、一番狂った目をしてるのはお前だろう。それに、部下は前座みてえなもんだ……俺一人の力は、こいつら全員を合わせたよりも強いぞ」

 確かに、フォンが実力を測るに、彼は年齢の割には鍛えられている。しかも、かなりの死線を潜ってきたのか、味方が全滅したというのに全く臆していない。
 それは恐らく、手にした剣の精度も所以しているのだろう。

「サファイアを喰うドラゴンの牙から削り出した剣だ。俺の剣技と相俟れば、斬れねえもんは何もねえッ!」

 なんせ、彼は剣を構えたかと思うと、力任せに突進してきたのだから。
 あらゆる策を鋭さと切れ味でねじ伏せられると確信していなければできない荒業。恐らく、今まで数多の敵をこの奇襲で刺し殺してきたのだろう。
 そしてマルモの思惑通り、何の防御策も用意していないフォンの胸を、彼の剣が貫いた。ドラゴンの牙であった過去が示す通り、血すら吹き出さない、精巧にして俊敏な突きは、彼が着ていた衣服を貫いた。

「フォン!?」

 カレンやクロエ達の目が見開き、マルモは柄を伝う手応えに口元を吊り上げる。

「油断したな、小僧が! 心臓を一突き、確実に死んだ――」

 確実に死んだ、と言いたかった。
 手元に感じる切っ先の重さが、急になくなるまでは。

「――な、に?」

 顔を上げたマルモの目に映ったのは、フォンではない。さっきまでフォンが着ていた汚い服がふわふわと、投げ捨てられて宙を舞うかのように浮いているだけのもの。それはマルモに見竦められ、役目を果たしたのか、刃の上にゆっくりと落ちた。
 彼は聡い方で、自分が貫いたのはフォンではなく、瞬時に脱ぎ捨てた服でしかないのだと理解した。だとすれば、本体はどこに行ったのかとも考えたが、少しばかり遅かった。

「忍法・『分身の術』。衣服を瞬時に棄て、あたかも人間が立っているように錯覚させる術だ。そしてマルモ、貴方との戦いの決着はもうついた」

 声が聞こえてきたのは、マルモの背後。
 黒いインナーシャツと、いつの間にか履き替えたカーゴパンツを纏ったフォンの囁きが聞こえた刹那に、マルモは振り向こうとしたが、能わなかった。

「なんだとおおがああぁぁ!?」

 フォンが右手に構えた黒い刃の忍具・苦無が、剣を握ったままのマルモの両掌を縫い付けるように串刺しにしたからだ。
 掌に風穴を開けられたマルモだが、フォンの追撃は終わらない。苦無の柄に開けられた穴には、同じく黒くてとても太い紐が括りつけられていて、彼は器用に腕をくるくると回して、掌同志を縫い付けてしまった。
 凄まじい激痛で剣を落とし、皺の入った顔の線を増すマルモは反射的に膝から崩れ落ちたが、フォンはこれでは済ませない。今度はズボンのポケットから取り出した苦無を左手に構え、着物に似合わない靴を履いた足に突き刺した。
 靴を貫通する刃の鋭さに絶叫するマルモの声など聞こえないかのように、フォンは掌と同じように、紐で足を括りつけた。
 こうして、マルモは自由を奪われ、床に転がるばかりとなった。

「荒いやり方だけどね……忍法・『紐縫いの術』だ。抵抗すればするほど食い込むよ」

 フォンの言う通り、マルモはどうにか紐を切ろうとするが、藻掻けば藻掻くほど肉を抉る苦痛が体中に滲みる。
 苦無から紐を切り、手足を縫い終えたフォンを、マルモは殺意を込めた目で睨んだ。

「ぐうう、俺の手を、足を、串刺しにしやがってえぇぇ!」
「必要以上に動かなければ失血死しないよ。それより、取引と行こう」
「取引だとぉ!?」

 喚くマルモの怒りなど無視して、フォンは彼の前に立ち、少し冷たい声で告げた。

「約束して欲しい、二度とカレンや僕達に関わらず、ギルディアで悪事を働かないと。誓えるなら、自警団を呼んで怪我の処置をさせるよ。犯罪者として王都まで連れて行かれるだろうけど、命あっての物種だろう?」

 彼の言い分はつまり、悪事から足を洗えというもの。
 そんな若造の要求を年老いた男が、ましてや悪党の親玉が聞くはずがない。

「ふざけるな、俺を誰だと思ってやがる! マルモ一家の親分、マルモ……」

 だが、それ以上に、フォンが反論を許すはずがなかった。

「――お前が誰かは聞いてない。僕の目を見て、問いにだけ答えろ」

 マルモの言葉を最後まで聞かずに、フォンは彼の目と鼻の先に苦無を突き刺した。鼻先が切れるか切れないかのところで鈍く光る苦無を握るフォンと、マルモは目が合った。

「ひっ……!」

 間違いなく、マルモの心臓はほんの僅かな間、止まった。
 それくらいの恐怖が、全身を迸った。蛇のようなフォンの目は、簡単にマルモから反抗心を奪い去った。何故なら、マルモの目に映っているのはフォンではなく、人を象った地獄の番兵だったからだ。
 逆らえば死ぬ。黙っていても死ぬ。顔中から汗を噴き出すマルモに、フォンはもう一度だけチャンスをやるかのように、同じ内容を話してやった。

「言い方を変えよう。カレンと犯罪から手を引け、いいな?」

 今度は、マルモは抵抗しなかった。こくこくと、震える首と頭で小さく頷いた。
 マルモが完全に戦意を失ったと理解したフォンは、コキュートスの如き冷たい目を、仲間達に見せるような朗らかな笑顔へと戻した。

「……ありがとう。でも、約束を違えれば必ず始末しに行くから、忘れないようにね」

 といっても、発言は物騒で、マルモの未来を刈り取るようなものだったが。

「自警団はもう呼んであるから、彼らを待ってるといいよ。それじゃあ皆、帰ろうか」

 立ち上がったフォンが仲間達にそう言った頃には、サーシャがカレンを担ぎ、クロエと一緒にアジトの入り口で待っていた。フォンが勝つと最初から知っていたかのような余裕さで、二人はフォンを迎える。

「ねえ、いつの間に自警団なんか呼んでたの? そいつらに任せれば良かったのに」
「ここに来る前に、ちょっとね。自警団に任せるとカレンの待遇がどうなるか分からなかったから、僕達が先に来るようにしておいたんだ」

 命がけの戦いの後に、当たり前のような日常の会話。
 ただの小僧ではない。無数の痛み、苦しみ、悲しみ、絶望を越えた先にしか存在しない、半ば狂人ともとれる異常さを見て、思わずマルモは聞いた。

「お、お……お前は……一体、何者だ……!?」

 彼は立ち止まって振り返り、にこりと笑って答えた。

「フォンだよ。闇に忍ぶ、ただのフォンさ」

 ただのフォン。悪党を壊滅させ、親分を畏怖させたのは、ただのフォン。
 おどけた表情だけを残して、フォンは仲間と共に、マルモの親分と血と、悪党の残骸で埋め尽くされたアジトを出て行った。