「サーシャ、思いっきり暴れてやりなさい! 遠慮しなくていいからね!」
「分かった、サーシャ、暴れるッ!」
酒瓶や椅子を担いで襲いかかってくる悪漢を前に、クロエ達は全く怯まなかった。
下着同然の格好で素手だというのに、命令を受けたサーシャは一番近くの男の頭を鷲掴みにすると、滾る腕力のままに、床がめり込むほどの勢いで顔面を叩きつけた。
びくびくと痙攣するだけになった男から手を離すと、今度は間髪入れずに他の敵に蹴りを叩き込む。二人の男を動けなくしたサーシャの頭を、悪漢が酒瓶で殴るが、彼女はちっとも動じない。それどころか、頭突きを叩き込み、敵の顔を叩き潰した。
「んぎゃああ!?」
「こいつの筋肉、伊達じゃねえぇ!」
「サーシャの筋肉、一族の誇り! 馬鹿にする奴、サーシャ、潰す!」
メイスを使わずとも暴漢を叩きのめすサーシャの隣で、クロエは辺りに落ちていた箒を拾った。そして武道家の如く頭の上でくるくると回して構え、不敵に笑ってみせた。
「さてと、あたしもエロダンスで鼻の下伸ばしてる奴らをぶっ飛ばそうかしら!」
艶やかな肢体で敵を誘惑したつもりの彼女だが、彼らはちっとも動じていない。
「エロダンスなんて、何言ってやがる!」
「あんな気色悪い踊りを見せつけたんだ、迷惑料払わせてやるからな!」
寧ろクロエの踊りは、敵の怒りを助長していたようだ。
ただし、怒りを助長したのは、色気がないと言われたクロエも同様だが。
「……ほーう、あたしに色気がないって、そう言いたいわけ!?」
すっかり頭に血が上ったクロエは、箒を縦横無尽に振り回し、男達を薙ぎ払った。
勿論、怒っているとはいえ乱雑な攻撃ではない。台風のような回転棒術を辛うじてかいくぐった敵の一撃を箒でいなし、顔や股間に攻撃を叩き込む。軽やかな体つきが、ここでは功を奏しているようだ。
「な、なんだぁ!?」
「箒で棒術を、ぶっぐぅ!?」
「弓矢使いだけど、武術は一通り勉強してるからね。あんた達みたいに女の魅力が理解できない連中、矢の一本使ってやるのも勿体ないっての!」
迂闊に近寄れない敵に、遠距離からクロエが敵の頭を片っ端から殴り倒す。台風を越えて嵐の如き乱撃は、テーブルや椅子を弾き飛ばし、武器としても使わせない。
「「うぎゃああぁぁッ!」」
黒髪と金髪、二人の大暴れを見つめるカレンは、ただ唖然とするばかりだった。
「あ、あの二人、とんでもなく強いでござる……」
「僕なんかよりずっと頼れる人だよ、クロエもサーシャも」
「そうなのでござるか……って、呑気している場合じゃないでござる、敵が!」
さらりと二人を褒めるフォンだが、担がれたカレンが慌てる通り、彼も敵に取り囲まれている。しかも、クロエ達が相手する数よりもずっと多い敵に。
「おいおいおい、俺達の商売道具をどこに連れてくつもりだぁ?」
「あいにく男は売りもんにならねえんでな、遠慮してやらねえぜ?」
男達は、フォンを大した敵とは認識していない。尤も、それはフォンも同様である。
彼は悪漢達の言葉など無視するかのように、カレンを壁にもたれかからせる。敵に背を向けて青い毛を撫で、安心させる意味も含めて静かに言った。
「カレンはここでじっとしてて。動いちゃ駄目だよ」
彼らが敵にすらならないと言っているようなフォンの態度に、木製の椅子を持った男がとうとう激怒して、背後から殴りかかった。
フォンの背後に目がついていると知っていれば、こんな愚行は起こさなかっただろう。
「人の話を無視してんじゃねえぞ、クソガキがぁ、ぶ、おごッ!」
彼は後ろを一切見ずに、首元に巻いているバンダナをいつの間にか解いて、敵の顔面に強烈な勢いで叩きつけていた。
傍から見ればバンダナをぶつけただけだが、男の口からは歯が弾け飛び、一瞬にして意識を失った。どう、と倒れた男に周囲が戸惑っているうち、フォンが立ち上がる。
「これくらいの人数と敵の質なら、忍術は使わないよ。君達には悪いけど、これ一つで十分ってところかな」
カレンを守るようにして立つフォンの右手には、しな垂れた黒いバンダナ。こんなどこにでもありそうなものが、まさかガタイの良い男を昏倒させたとは到底思えないのだ。
「バンダナだぁ!? そんなもんで何がおっぼごぉ!?」
だから、近くにいたもう一人が酒瓶片手に攻撃を仕掛けた。フォンは呆れた調子で、スナップを利かせた手の動きで、バンダナを眼球に直撃させる。
目が潰れるほどの激痛でしゃがみ、悶え苦しむ仲間を見て、ようやく敵も彼の手にしたバンダナがただの布ではないと――持ち主がただの少年ではないと察したようだ。
「……先に一人やられてるんだから、ちょっとくらいは警戒した方がいいよ」
ゆらりと揺れるような姿勢で、フォンはバンダナを指先でくるくると回す。
「ちなみにこのバンダナだけど、『ノワールサラマンダー』の皮膚を織り込んで作られてる。完全防火、防水、ついでに硬くてよくしなる……こんな風にッ!」
そして、手近な悪漢二人の顔面目掛けて、バンダナもとい凶器をぶつけた。
「ごぶぇ!?」
「んばがぁ!」
フォンにかかれば、石ころや木の破片ですら簡単に武器となる。破れかぶれに投げたり振り回したりとは違う、一流の騎士すらあっさりと殺してしまうほどの武器となる。
石や木でそうなのだから、武器にすることを前提としたアイテムならどうなるか。
その答えは、今まさに、カレンの視界に広がっていた。フォンよりもずっと大きく、乱暴で、危険な暴漢連中が拳を一発もフォンに当てられないどころか、返しの一撃で悉く気絶、或いは急所を破壊されて動けなくなっているのだ。
「……バンダナ一つで、敵を簡単に……!?」
相手も拳を振りかざし、椅子を投げ、酒瓶で頭をかち割ろうとしてくる。しかし、フォンはあらゆる方向からの攻撃を見ずともかわしてのける。
カレンが呆然とただ見つめるのは、おとぼけから縁遠い、凛として闇を討つ忍。
(忍術に頼らずとも、最低限の力で敵を殺さず倒す……これが、忍者……!)
独学で学んだ気になっていたカレンは、ようやくフォンと自分の、天地の差ともいえる実力の違いをひしひしと思い知らされた。
真の忍者とはいかなるものか、いかほどに強いのか。
カレンが痛感していた頃には、十人以上いたはずの悪漢は、黒いバンダナと汚れた服を纏ったフォンの残影の足元に転がっていた。
「流石だね、フォン。こっちも、もう終わったよ!」
死屍累々の真ん中に立ったまま首にバンダナを巻きなおしたフォンは、クロエ達の方を見た。彼女達も、助平な男達を全員気絶か、再起不能にまで追い込んでいた。
やや視線のやり場に困る格好が気になるのか、フォンは少し目を逸らして言った。
「クロエ、サーシャ、そっちも片付いたみたいだね。だったら、カレンを――」
だが、戦いが終わったと認識していたフォンの耳に、年季の入った声が響いてきた。
「――そこまでにしときな、小僧」
声の主は、部下が全滅しながら尚、椅子に座り続けていたマルモ。
まるでここからが本番だと言わんばかりに、白髪の男はゆっくりと立ち上がり、椅子の傍に携えてあった鞘に手をかけ、白銀の剣を引き抜いた。
「散々やってくれたな、代償は命だけじゃ済まないぞ」