さて、夜の帳が降りた頃、フォン達は馴染みの宿に戻ってきていた。
 予定通りテナガオークを魔物引き取り業者に預け、依頼を達成した彼らはいつも通りギルディアの街に帰ってきた。今回もまた、三人は見事に仕事をこなしたのである。
 青い屋根が目立つ二階建ての宿の階段を上り、暫く借り続けている部屋の前まで来た。

「じゃあ、明日は朝から日用品を買い込んで、依頼の受注ね。おやすみなさーい」
「おやすみ」

 クロエがひらひらと手を振ると、サーシャは一言だけ返して部屋に入った。一方、二人に挟まれた部屋を借りたフォンだけは、浮かない顔をしていた。

「うん……クロエ、カレンのことだけど……」

 フォンがずっと気にかけていたのは、森からいなくなっていたカレンのことだった。

「さっきも言ったけど、気付いたらいなくなってたんだ。きっと、フォンの実力でビビっちゃって、とんずらしちゃったんじゃないかな?」
「……やっぱり、もう少し遠慮した方が良かったかな……」

 お灸を据えるつもりだったのが、背中に火をつけてしまったのかもしれないと、フォンは宿に戻ってくるまでずっと不安に思っていた。彼の甘い性格に少しだけ呆れながら、パイナップルのような金髪を揺らし、クロエはフォンの肩に優しく手をかけた。

「カレンが心配なら、もともとこっちが難癖付けられたんだし、自業自得だよ。あまり気に病むこともないからね。フォンはたまに、優し過ぎるからさ」

 微笑んだクロエの顔を見て、フォンの心は穏やかになったようだった。

「……ありがとう、おやすみ」

 フォンも少しだけ微笑んで、クロエと別れて自室に戻った。
 こういう時、仲間がいるというのはとてもありがたい。もしも孤独だったなら、心持の暗雲に呑み込まれてしまっていたかもしれない。
 パーカーを脱ぎ捨て、ベッドに腰かける。思案するのは、カレンではなく、別の事柄。

(……カレン、いや、先代カレン。彼女はどこかおかしい。死因も、カレンが忍者になった理由も含めて、出来過ぎてる。意図的に魔物を忍者にしたと考えた方が納得できる)

 謎が謎を呼ぶ、カレンの出自。フォンは彼女の気持ちを気にかけてはいたが、それ以上に、忍者として信じられない事態が山積みとなっているのを納得しきれなかった。
 山賊に後れを取った。巻物の中身を明かした。魔物を忍者にした。自らの名を広めるように言い遺して死んだ。その全てがおかしく、忍者の道から到底かけ離れている。わざと、カレンを忍者になるよう仕向けたとしか思えない。

(先代カレンを始末したのが盗賊ではなく、連中に扮した忍者か、或いは――)

 とても信じられない可能性を頭の中で示唆しながら、フォンは静かに口を開いた。

「――この部屋に何の用かな、カレン?」

「……ッ!?」

 フォンの視線はずっと、クローゼットの裏側に向いていた。そこに誰かがいるのを、フォンは部屋に入って来た時からずっと知っていたのだ。いつ出てくるだろうかと待っていたのだが、ずっと身を隠したままなので、こうして声をかけたのだ。
 フォンにすっかり居場所がばれていると気づき、猫が驚くような声と共に姿を現したのは、やはりカレンだった。怒りに爛々と目を輝かせている彼女に、フォンはベッドから一歩も動かず、またも優しい口調で聞いた。

「わざわざ忍び込んだんだ、僕に用があるんだろう? 話も相談も、幾らでも聞くよ」

 ところが、カレンはそうではない。

「……話すことなど……何も、何もないでござる! 死ねぇ、悪党ッ!」

 それどころか、長い両手の爪をしならせて、フォンに飛び掛かってきた。
 こうなれば、流石にフォンも立ち上がらざるを得ない。といっても、凄まじい勢いで攻撃を仕掛けてくるカレンとは違い、フォンは必要最低限の動きでカレンを止めた。

「落ち着いて、カレン。昼間の件なら謝るよ。だから、まずは話を――」

 右腕一本でカレンの両手を受け止めるフォンに、彼女は噛みつきかねない勢いで叫ぶ。

「黙れッ! マルモ一家と手を組み、身売りにまで手を染める外道と話すことなどッ!」

 フォンにとって、ちっとも身に覚えのない罪状を。
 流石のフォンも慌てた調子に表情を変え、カレンと距離を取った。

「て、手を組み? 身売り? 何のことをいってるのさ、カレン?」
「顔と一緒でとぼけても無駄でござる! 街の人が噂しているのを聞いたでござるよ、お主の真の顔が借金の取り立てから略奪、人身売買まで悪行三昧の大悪党であると!」

 びしっと指をさして喚くカレンだが、いずれにもフォンに心当たりがない。
 金を貸した相手もいなければ、略奪行為などは人道面から最も外れた蛮行で、やるはずがない。ましてや危険な組織と手を組んで人身売買など、もってのほかである。
勿論、忍者として任務をこなしていた際はそれなりに殺人に手をつけたが、それも必要最低限。第一、カレンが彼の過去を知るはずがない。
 にもかかわらず、カレンは青い毛を逆立てて、フォンを邪悪だと言い張っているのだ。

「そんなお主の仲間も、どうせ碌な奴らではござらん! 始末してやるでござる!」

 おまけに殺意を一層増して、彼女は再び跳びかかってきた。部屋中の壁を使って四方八方から迫る特異な殺法だが、冷静に動きを見定めるフォンは、全ての攻撃を受け止める。
 あらゆる手を先読みされているような感覚に、カレンは襲われる。明らかにこちらが攻勢に出ているはずなのに、フォンの目の先にあるのは必ず防御の最善策。一手、二手、三手と攻撃を叩き込んでいるのだが、まるでフォンには命中しない。
 簡単に攻撃を防がれ、避けられ、カレンの怒りは更に増大していく。フォンとしては、一撃で昏倒――或いは死に至らしめられるが、そうする理由は全くない。

「まずいな、全く話を聞いてくれない……とにかく冷静になって、忍者の掟では……」

 だから、説得しようとして、フォンはまたも掟について語ろうとした。
 ところが、彼の行動はカレンの憤怒の火山に水をかけるようなものだった。

「――掟で拙者を黙らせるつもりでござろうが、そうはいかんッ! 武術でふんじばれないのなら、かくなる上は拙者の火遁で、部屋ごと燃やし尽くすのみ!」

 即ち、カレンの怒りを収めるのは無理だということだ。