そんなフォンの心配など露知らず、ようやく毒の痺れが抜け始めてきたのか、カレンはゆっくり両脚を使って立ち上がった。

「忍者になった拙者は、先代の遺志を継いだのでござる! 即ち、先代を殺めたような悪党を倒して回り、正義の味方になり、カレンの正しい名を広めると!」

 はっきりと宣言しながら起き上がりつつ、カレンの姿が変わってゆく。
 青い毛が肌に変わり、獣の顔が人間の顔に変わっていく。豊かな二つの膨らみができていくにつれて、前脚が腕となり、あっという間にカレンは人間の少女の姿となった。
 衣服も変化と同時に生じるのか、裸ではなく、先程と同じ藍色のシャツとスカート、茶色のコートとブーツも着ている。白い鞄だけは、獣だった時から装着していたのでそのままだったが、改めて変化の瞬間を見ると、これこそ摩訶不思議である。
 胸を張って、自分の目的を言い放ったカレンを見つめ、各々が感想を呟く。

「多分だけど、正義感は魔物だった頃から強かったっぽいね……」
「こいつ、面白い。サーシャ、気に入った」
「拙者の忍者としての溢れる才覚に気付くとは、お主、なかなか見る目があるでござるな! 拙者を殺そうとしたのは水に流してやろうぞ!」

 クロエはともかく、サーシャはカレンに気に入られたようで、彼女は痺れ毒にやられたのもすっかり忘れた調子でからからと笑った。

「忍者の才覚、か……」

 しかし、そんな上機嫌も、顎に指を当てたフォンの言葉で、たちまち不機嫌に戻った。

「む、何か言いたそうだな、悪党! 話してみるがいいでござる!」

 指差されたフォンには、どう言っても、彼女が激怒する未来しか見えなかった。
 それでもカレンの心に少しでも響く方が良いならば、とフォンは口を開いた。

「じゃあ、二つだけ。一つは、慢心した忍者の行く先は常に破滅だよ。真に才能のある忍者は常に謙虚であるべきだ。そうでないと、足元を掬われるからね」
「………………」
「もう一つは、やっぱり忍者は善悪に偏っちゃいけないし、バランスを崩すようなことをしちゃいけない。感情を消して命令にだけ従えとまでは言わないけど、強すぎる意志と暴走した行動の果ては、やっぱり破滅だから、ね?」
「黙らっしゃい! 老人のように小言をぶつぶつと!」

 最初の方こそ顔を顰めるだけだったカレンは、やはり牙を剥いて怒りを爆発させた。

「お主のようなとぼけた顔つきの忍者が何を言っても、説得力がないでござる! 忍者の実力は武と術によって決まるもの! 手掛かり探しや木登りが早いくらいで拙者より立場が上だと思うなら、とんだ勘違いでござるよ!」

 慢心するな、暴走するな。何れも忍者どころか、生きていく中ですら必要になる教えである。守らなければ破滅すると、懇切丁寧にフォンが教えたのに、返ってきたのは彼を見下すカレンの態度そのものだ。

「とぼけた顔つきって……それに、立場が上だなんて、ちっとも……」

 良かれと思った行動の結果に、がっくりと項垂れるフォンの肩をサーシャが叩く。反論するほどの気もないが、慰める程度はあるサーシャの優しさだ。

「……そっか、分かった」

 尤も、クロエはそうではないようだった。
 彼女はカレンの黄色い目をじっと見つめながら、ある提案を持ち掛けた。

「ねえ、フォンの実力を見たら納得する? 彼があたし達の手を借りずに、一瞬でテナガオークを生け捕りにしたら、彼の言い分を認めて、受け入れる気になるかな?」
「善悪を見極めるではなく、言い分を認めろと? 拙者よりも弱い悪の忍者の戯言を?」
「フォンの忍術はカレンよりもずっと強いし、技巧で見ても優れてるんだよ。カレンが本気を出すよりも、もっと早く魔物を捕えてみせるから!」

 クロエの話はつまり、これから見せるフォンの実力を認め、彼のアドバイスをしっかりと受け止めろというものだ。カレンは首を曲げながら、少し悩んで答えた。

「……ううむ、拙者より強いとは到底思えんが、そこまで言うなら了承するでござるよ」

 小馬鹿にした調子で納得したカレンとは裏腹に、フォンは焦った様子でクロエに振り向いた。クロエの出した条件通りに戦うなら、忍術または忍法の使用は必須条件だ。

「ちょ、ちょっと、クロエ!? そこまでハードルを上げたら……」

 ただ、これこそがクロエの目的の用である。

「忍法や忍術を使わないといけない、でしょ? ここにはあたし達とカレンしかいないし、一度しっかり見せてあげた方がいいよ……現実ってのを」

 フォンを見下した態度を取るカレンを見るクロエの瞳は、微かな怒りを宿していた。

「……クロエ、怒ってる?」
「ちょっとね、仲間を馬鹿にされたんだし。フォンには悪いけど、本気になってもらえるかな? そうしたらきっと、今日でカレンは喧嘩を売ってこなくなるよ」

 フォンは理解した。彼の人間性が悪でないと証明して言い分を受け入れさせるだけでなく、長い鼻をへし折ってやるのが、クロエの真の目的なのだ。
 少々きついお灸の据え方になるが、カレンの為を思えば、何もしないよりはよっぽどましだろう。フォンもようやく了承し、とんとん、と軽くその場で二回ほど跳んだ。

「そこまで言うなら――ちょっと、探してくるよ」

 ――そして、瞬きする間に、その場から姿を消した。

「……へっ?」

 クロエも、サーシャも、カレンでさえも呆気にとられた。
 忍者であるフォンの俊敏性は知っているつもりだったが、まさかここまでとは思っていなかった。というより、こんなに早く動くフォンを見るのは初めてだった。

「フォン? どこに行ったの、フォン!?」

 瞬時に視界から消えたフォンを、クロエがきょろきょろと見回しながら探そうとすると、彼女よりも先にサーシャが手掛かりを見つけた。

「……あいつ、魔物、探しに行った。向こうの木の葉、揺れてる。あっち行った」

 サーシャが指差した先には、微かに揺れる、木の枝の先の小さな葉っぱ。
 フォンは、木を伝って走っていったようだ。木の葉を揺らしているのは、恐らくクロエ達に自分が進んだ先を知らせる、いわば道標としての役割だろう。
 逆に言えば、彼はもうテナガオークの居場所を把握しているに違いない。

「まさか、もう魔物の居場所まで把握してたの? とにかく追わないと!」

 フォンの後を追い、クロエ達も走り出した。