クロエとしては、なかなかの良案。フォンが悪人でないと一番知っているのか彼女とサーシャであり、半日一緒にいるだけでも、彼に対する見方も変わるだろうと踏んだのだ。
 ただ、当の本人であるフォンは、困った表情を今度こそ隠し切れなかった。

「く、クロエ!? 彼女を連れて行くって、本気!?」

 忍者らしからぬ慌てぶりを隠そうともしないフォンに、クロエは笑いかける。

「当然、あたしはいつだって本気だよ。フォンが悪人だなんて、いつもの態度や様子を見ればすぐにそんな印象、なくなっちゃうと思わない?」
「だとしても、忍者の手の内を見ず知らずの人に晒すなんて、僕は……」

 己の技術をひけらかす――そのつもりがなくとも披露してしまうのは良くないと言った矢先に、忍者を同伴させるなどと、フォンにはとても容認できない作戦だ。

「サーシャ、クロエに賛成」
「さ、サーシャまで!?」

 ところが、サーシャまでもが納得し、首を縦に振れば話は別である。
 クロエの提案を聞いて、サーシャは理屈が分からないなりにも、彼女の意図と作戦について納得したようだった。寧ろ、フォンが底抜けの善人だということは、命を助けられたサーシャの方が、クロエよりも身に刻み込んでいる可能性だってある。

「お前、悪い奴じゃない。あいつ、いつものお前見る、納得する。一番簡単」
「ほら、サーシャもこう言ってるし、ね? 忍術をひけらかさなくても、いつも通り魔物を生け捕りにするだけでいいからさ?」

 やや内向的なきらいのあるフォンだが、二人に顔をずい、と近づけられると反論できない。こうなると、クロエとサーシャを説得しきるのは、フォンには至難の業だ。
 フォンに残された道は一つ。彼の意見を無視した、決められた道のみ。

「……普段は生け捕りなんてしないのに……今回だけだよ、他の人の同伴なんて」

 肺の中の空気を全て吐き出すようなため息と共に、フォンは了承した。
 彼の背中を優しく叩きながら、クロエはこれまたにっこりと笑った。

「ありがとっ。さて、こっちの意見は纏まったけど、そっちはどうする?」

 そうしてクロエは、未だに会話にすら抵抗がある様子のカレンに問いかけた。二、三度、うんうんと唸って考え抜いた末に、カレンはこちらもため息と共に答えた。

「……乗ったでござる。フォンとやらが拙者の思う通りの悪人か、お主らの話す通りの善人か、この眼でしっかりと見極めさせてもらうでござる」

 結論として、自分自身に渦巻く正義を妥協させたらしい。カレンは渋々、ちっとも納得していないのだとアピールするかのように、クロエの話に乗った。

「交渉成立。明日の朝に、街の東側の門で待ち合わせってことでよろしく」
「あい分かった。くれぐれも逃げようなどと考えるな、逃げれば地の果てまで追い詰めて、拙者の正義の炎で焼き尽くしてやるでござる」
「寝坊しないようにね。じゃあ、あたし達はこれから万屋に行くから。また明日ね」

 淡々と会話を交わし、クロエはカレンのいる方向に歩き出す。当然、彼女と喧嘩する為ではなく、彼女が立っている道を通って万屋に行く為だ。
 クロエが横を通り過ぎても、カレンは手を出さなかった。次いでサーシャがのそのそと歩いても、やはり手を出さなかった。
 最後に、フォンが困った顔でカレンの隣を通り過ぎようとした時だけ、彼女はまだ騒めきの収まらない人々の視線も無視して、殺意に満ちた目線を突き刺していた。一つの偏見だけでここまで怒りを満ち満ちさせられるのに、フォンは内心驚いていた。
 後ろから爪を翳さないか、牙を剥かないかと警戒しながら、フォンはすれ違った。

「……フン」

 そして、彼女が鼻を鳴らしてすたすたと立ち去った瞬間、彼は気づいた。

「……?」

 獣の匂い。それも、強い匂いだ。
 今この時まで、彼女の匂いを嗅いだことがないわけではない。火遁の忍術を基本として扱うらしいカレンからは、常人では無臭に感じる程度に油で体臭を誤魔化しているのだと、フォンは見抜いていた。
 しかし、肌が触れ合うほどの距離まで近づけば、フォンの嗅覚は欺けない。犬に近い性能を持つとすら言われる彼の鼻は、カレンから――カレンの肌そのものから、獣の匂いを感じ取ったのである。
 人間では到底出せない匂いの正体を探ろうと振り返った時には、カレンはどこにもいなかった。気配を絶って姿を消す、忍者の初等技術を使ったのだろう。

「フォン、どうしたの? カレンに何か言われた?」
「……何でもないよ。僕の気のせいだ、きっと」

 クロエに声をかけられ、立ち止まったままのフォンは、平静を装って歩き出した。
 二人と並んで歩き、万屋へと向かう彼の頭の中には、ある推測が渦巻いていた。

(人間の気配じゃない……ひょっとして、『禁術』を使ったのか?)

 あらゆる策を用いる忍者ですら忌避する力。忍術とすら呼べない、禁じられた術。もし、フォンの勘が当たっているとすれば、彼女の正体は予想以上に厄介である。
 結局、万屋で備品を調達し、昼食をとってクロエ達と話している間も、フォンはどうにも自らを納得しきれないおかしな気分に包まれたままだった。