「ひっ……!」
思わず、クラークは情けない声を上げた。半身が麻痺していなければ、きっとこの場から逃げ出すほどだっただろう。
他の面々も同じだった。無自覚な悪意のマリィ、暴虐的なサラ、無知の妄信者パトリス、幼い邪悪のジャスミン。いずれも、もうフォンの中では、名状し難い邪悪だった。
感情のたがが外れそうだった。気を抜けば、袖の下の苦無を引き抜きそうだった。
「放っておいても死ぬ? 命の価値? 本気で言ってるのか、君達は――」
そんな意志の揺らぎに気付いたクロエが、彼の手を握った。
フォンは、クロエの目を見た。闇に支配されていた感情が、ゆっくりと平静を保っていくのに気付いた。こうしていなければ、待っていたのはきっと、苦悶の未来だったはず。
「よしなよ、フォン。言っても分からない連中だし、時間の無駄だよ」
そう言われ、フォンは頷いた。クロエの言葉は正しく、クラーク達に手間をかけている間に、サーシャがどうにかなってしまうかもしれないのだ。
落ち着いた彼は、必要な数の薬と置いたのを確かめてから、洞窟に向かって歩き出そうとした。一命をとりとめたというのに、クラークの口から出てくるのは、暴言だ。
「行っても死ぬだけだぜ、フォン! 間抜け野郎め!」
今度はクロエの血管が切れそうだった。
「あいつ、頭に矢を撃ち込んでやろうか」
「クロエ、矢は一本も無駄にできない」
「分かってる、ちょっとしたジョーク。でも、次喚いてたら撃つからね」
フォンが諫めて、ようやく二人は歩き出した。
なのに、まだ彼らに駆け寄ってくる者がいた。
「ちょ、ちょっと待って、待ってよ!」
唯一無事だった、ジャスミンだ。貼り付けた笑顔を見せつける彼女に対して、振り返ったクロエの表情はどこまでも冷たかった。
「何か用?」
「ね、ね、もしかして二人とも、すっごく強かったりする?」
「それがどうかした?」
「私さ、人を見る目はあるつもりなんだよね! 勇者についてるより、そっちと一緒にいた方がいいことありそうだし……かわいい私を、パーティに入れてほしいなぁ?」
厚顔無恥の極み。かわいこぶってはいるが、その腹の中は黒いどころでは済まされない。あまりにも下衆すぎる行動に、クロエは思わず、笑うしかなかった。
「……ふふっ」
ただ、笑ったからと言って、何事も肯定とは限らない。
「い、いいの!? ありがとうお姉さん、わたぶぎゅるうッ!?」
ぱっと顔が明るくなったジャスミンの顔面に、クロエが振りかぶった弓による打撃が命中したからだ。鼻がへし折れた音と共に、ジャスミンはその場に転がった。
クロエの最も嫌う人種の権化がいるのだから、この対応は当然ともいえる。痙攣して動かないジャスミンに向かって、唾を吐きかねない顔で、彼女は吐き捨てるように言った。
「次話しかけたら、頭を射抜くぞ、コラ」
そうして、足早に駆け出した二人のうち、フォンが申し訳なさそうに零した。
「……ごめん、クロエ」
「気にしないで。フォンにこれ以上、あんな顔をさせたくないから」
「分かってる、感情はちゃんと制御するよ。忍者として最低限のことすらできなくなった自分が恥ずかしいよ、本当に」
「怒りは誰だって覚えるものだよ。それより、作戦はどうする?」
フォンはクロエの方を見て、ここに来るまでを反芻するように答えた。
「ここに来る途中で話した通り、数が多いと踏んで、クロエにさっき渡したものを使って欲しい。攪乱して、サーシャを助けて、脱出する」
クロエの腰には、フォンの小物入れが提げられていた。中に入っているのは、赤い筒が幾つかと、フォンが使っていた携帯着火装置、打筒。
「これだね、オッケー。フォンの動きも、予定通りに?」
攪乱と集団に対する撃下はこれで十分。あとは、サーシャの救出だ。
「うん――潜入と暗殺は、忍者の本領だ」
フォンにとっては――決して口にしなかったが、朝飯前であった。