「この調子じゃあ、止められなさそうね……貴方のこと気に入ってたんだけど」
「……?」

 首を傾げるフォンに対し、アンジェラは最後まで自分の気持ちを胸に秘めた。
 ここで信頼と愛情を伝えても良かったのだが、そうして彼を引き留めることだけはしたくなかった。自分にできる最大の愛情表現は、想いを告げないことだった。
 だから、彼女は代わりに、大切な事柄だけを話すことにした。

「何でもない。だったら、大事なことだけ伝えていくわ」
「大事なこと?」
「――ハンゾーについてよ」

 気楽そうにしていたフォン達の顔が、たちまち神妙な様子に染まった。

「ハンゾー? まさか、あの体で牢を抜け出したのか?」

 彼が最後に見た老人の様は、もう歩けないほど衰えていたはず。あんな様子で逃げ出したとするのなら、もしかするとフォンの知らない術を隠していた可能性もある。
 ネリオスに戻らねばいけないかと身構えたフォンだが、アンジェラは首を横に振った。

「いいえ、その心配はないわ。彼は拘留されてから、酷く痴呆が進んでいてね……正直、巷の老人よりもボケてるわ。抜け殻も同然だし、あれで悪事をさせようって方が無理な話よ」

 やはり、ハンゾーにこれ以上何もできなかった。
 一同の頭に浮かんだのは、牢の端でふがふがと、虚空に向かって喋るハンゾーの姿だ。そんな彼に悪事ができるかと言われれば、はっきりノーと断言できるだろう。

「文字通り、報いを受けたというわけか」

 少し安心したフォンに、アンジェラは更に驚きのニュースを告げる。

「もう一つは、アルフレッド王子についてよ。亜人に襲われて死にかけた彼だけど、選んだ道はこれまでとは真逆だったわ……亜人との和解を、試みるそうよ」

 亜人をあれほど毛嫌いしていた王子が、その亜人と和解をしようというのだ。

「和解って、あの頑固王子が!?」
「そうね。けど、危機は時として人を変えるわ」
「危機って……忍者兵団に襲われたから、かえって亜人に優しくするのでござるか?」
「私もてっきり弾圧を一層激しくするかと思ってたんだけど……昨日聞いた答えは、その真逆だったのよ。彼らとの因縁の繋がりは、自分の代で終わらせるってね。簡単な道のりじゃないし、彼の代で解決しないかもしれないわ」
「けど、王子は諦めない。そうだろう?」
「そこが、あの人のいいところなのよ。どれだけの時間をかけても、彼は必ず成し遂げるわ」

 アルフレッドは、一度決めたことに関しては、何としてでも達成しようとする気概の持ち主だと全員が死っている。きっと、何年かけようとも、自分の目的を果たすだろう。
 そうなれば、王国が長きにわたって作り出し続けてきた遺恨を完全に断ち切れる。
 新たな時代の到来を肌で感じたのか、クラークは腕を組んでうんうんと頷いた。

「……変わったってことか」

 思うところがある彼の呟きを、クロエは聞き逃さなかった。

「変わったといえば、そこにいる勇者サマも、同じじゃないの?」

 さっきまで他人事の態度を貫いていたクラークだが、急に飛び退くほど驚いてしまった。

「なっ!? なんだよ、その目は!?」

 小馬鹿にするような、それでいてにやけているような目線にたじろぐクラークだったが、フォンだけは真摯な、嬉しそうな顔を隠さなかった。

「……クラーク、僕の提案を受け入れてくれたのかい?」
「そ、そうじゃねえよ! ただ、俺はだな、ええとなあ……」

 額を掻いてしどろもどろになる彼の脇を、サラとジャスミンが小突く。

「クラーク、言いたいことは一つだろう?」
「こういう時だけ、根性なしになるんだよね」
「だーっ! 分かってらぁ、言ってやるよ! どのみち答えは決まってんだ!」

 そこまで言われれば、いくら照れているといっても、勇者として引けないものだ。
 口を尖らせ、いつもの素直ではない調子のまま、クラークはフォンの目を見て言った。

「……フォンの代わりに、俺が街を、ギルディアを、悪党連中から守ってやる。街の平和を守り続けてやる。ああ、お前が俺にネリオスで頼んだ約束を、受け入れてやるよ」

 それは、フォンがクラーク達に頼み込んだ、最初で最後の願いだった。
 これから先、フォン達がいなくなってからも、ギルディアは冒険者の街であり続ける。他のどの街よりも少し乱暴なところだから、トラブルは常について回る。自警団や騎士団では対処できない問題が発生する可能性は、大いにありうる。
 フォンは、クラークにそんなギルディアの守護を頼んだのだ。
 とても難しい相談であったが、実力で言うなら、彼以上の適役はいなかった。

「どうしてそんなことを言い出すのか、俺もあの時はさっぱり分からなかったんだよ。だから保留にしておいたんだけどよ、アンジェラから、お前達が街からいなくなるって聞いて……ガルシィさんならどうするか、考えてみたんだ」
「ガルシィ……君の師匠だね」

 クラークは頷き、師匠の穏やかな顔を思い出した。
 彼ならどうするだろうか。その問いは、自分がどうしたいかという結論に繋がった。

「……あの人ならきっと、こうするだろうからな。街にまだ犯罪者がいるかもしれねえし、自警団じゃ対応しきれねえ奴がいねえとも限らねえ。だったら、俺が倒してやるさ」

 そして、クラークは選んだのだ。

「たとえ――俺が、ギルディアに信用されてなくてもな」

 ギルディアにとって最大の犯罪者が、街を守護するという矛盾を。
 どれだけ厳しい道なのかを知っているからこそ、フォンは彼に頼むのに抵抗感を覚えていた。それでも、クラークは最終的に承諾してくれた。

「文字通りの茨の道よ、クラーク。そこの二人も、どれだけ人を助けても、守っても、信用されないどころか石をぶつけられるのが落ちね」
「分かってるっての。けど、信用されるから人を助けるんじゃねえ。俺みたいなバカ野郎にできる罪償いを、できる限りやってやるって、それだけだ」

 そうは言うが、彼はきっと、知っていたのだ。
 誰に信頼されなくても、己の選んだ道を進むことこそが、ガルシィの説いた勇者の道なのだと。紋章でもなく、力でもなく、生きざまにこそ勇者が顕れるのだと。

「この勇者さんだけじゃ心配だからね。腐れ縁で、私とジャスミンもついてくよ」

 ついでにサラとジャスミンも、彼について行くつもりらしい。
 打算で付き合っていた彼女達が、明らかに苦難しかない道に寄り添うのだから、すっかり友情が芽生えているのだろう。何度も死にかけた者同士、不思議な接点が出来てしまったのかもしれない。
 様変わりしたクラークと仲間達を前にして、フォンは未来への憂いと変化への喜びを混ざり合わせたような表情を見せた。

「クラーク……」

 そんなフォンを見て、クラークは小さく笑った。

「だから、こっちのことは心配すんな。お前の行きたい道を、好きなだけ進んできやがれ」

 街も自分も大丈夫だと、彼は心で言った。
 小さいが、確かな後押しだった。
 クラークと仲間達の笑顔を見て、フォンはやっと、彼に微笑みを返した。