――王都ネリオスで起きた事件は、瞬く間に国中に広がった。
 亜人達を煽動した恐るべき犯罪者集団。
 それらから王と王妃、王子、王宮を守り抜いたとある冒険者。
 多くの人がなぜの救世主を探そうとしたが、終ぞそれは見つからなかった。王宮の関係者に聞いても知らぬ、存ぜぬの一点張りで、結局誰が救国の英雄であるかを知る者は、ごく一握りであった。
 その英雄達だが、実を言うと、ギルディアに居る。
 いや、正確に言えば、今までは居た、のだ。

「――よし、宿の部屋は解約したし、荷物も揃えたし、準備万端だね!」

 ギルディアの出口で、沢山の荷物と馬車を準備して。
 凄まじい戦いを生き抜いたフォン達、通称『忍者パーティ』は、ネリオスでの戦いから一週間が経った今日、街の端でとある準備を済ませていた。
 激しい死闘の名残か、体に生傷は残っているし、包帯を巻いている個所も多い。
 それでも、彼らの目には晴れやかな明るさと、未来への喜びが詰まっていた。

「馬車の手配も済ませたでござるよ。ほら、東門の傍で待機しているでござる」
「肉、足りない。サーシャ、やっぱりもっと肉、持っていく」
「道中で買い足せばいいさ。それでも足りなくなったら、僕が魔物を捕まえるよ」

 フォンの提案に、サーシャが顔をぱっと明るくする。

「それ、いいな! サーシャ、お前と一緒に魔物、狩る!」
「うんうん、これからは基本的に自給自足だからね……」

 同意したクロエだったが、不意にどこか、今とは別の感情を顔の端に宿してしまった。
 悲しげ、寂しげではないと説明すると嘘になってしまう。これから一同は、これまで苦楽を共にしたものと、別れを告げるのだから。

「……本当に、おさらばなのでござるな」

 カレンが呟くと、隣でフォンが頷いた。

「そうだね、おさらばだよ。永遠ってわけじゃないけど、いつ帰ってくるかは、ね」
「サーシャ、ちょっと寂しい。ギルディアの飯、美味かった」

 彼もまた、町と外を繋ぐ石の道と、大きな東門を見つめていた。

「……そうだね、美味しかった。そして、楽しかった……色々あったけど、楽しかったよ」
「じゃあ、ここに残る?」

 クロエが悪戯っぽく問いかけると、彼は首を横に振った。
 聞いておきながら、彼女はフォンの答えを知っていた。どんな時でも自分が信じた道を歩み続けた彼が、今更決断をひっくり返すなどあり得ないと。
 だから、フォンが何と言うかも知っていた。

「……いいや、もう決めたんだ。僕は――」

 ただ、会話が途中で遮られるとは思っていなかった。

「――それで、私達に挨拶もしないまま、どこかに行っちゃうってわけ?」
「水臭い真似するじゃねえか。仮にも殺し合った仲だってのによ」

 街の方から聞こえてきた声に、彼らは振り返った。
 横一列になって歩いてくる影には、間違いなく見覚えがあった。
 騎士団に所属する女騎士のアンジェラ、『元』勇者のクラーク、そして彼の仲間であるサラとジャスミンだ。
 まさか彼女達が来ると思っていなかったのか、一同はとても驚いた。

「アンジェラ!」
「それに、クラーク達も! 怪我は大丈夫なのかい?」

 フォンが聞くと、クラークは鼻を鳴らして笑った。

「あの戦いから何日経ったと思ってんだよ、もうすっかり治っちまったぜ」

 胸をどんと叩くクラークは、相変わらず高慢な雰囲気を感じさせた。だが、その中身はもう、かつての陰湿で邪悪な彼ではないと、フォンは誰よりも知っていた。
 どこか尊大ではあるが勇猛で、正義の意志を兼ね備えた彼と同様に、サラとジャスミンもすっかり毒気が抜けていた。強気で勝気な態度、特にジャスミンは自分の美貌に変わらず自信はあるが、それの為に悪事を働くほど間抜けでもなくなったのだ。

「それよりフォン、アンジェラから聞いたんだが……ギルディアを、出ていくんだってな」

 殺し合い、共に戦ったフォンに会いに来たクラークは、少し神妙な表情になった。
 隣で寂しそうな顔を見せるアンジェラから聞いた通り――フォンは、街を去るのだ。
 アンジェラがクラークにこの話をした時、というよりネリオスで決着をつけた時には、彼はもう意志を固めていた。或いは、クロエに問われるよりもずっと前から、自分はこうしたいのだと考えていたのかもしれない。
 何だか腑に落ちないような表情を隠し切れないクラークの前で、フォンははにかんだ。

「ああ、僕の願いを、叶える為にね」
「願い? 王都を救った英雄だって名誉よりも欲しいモンがあるってのか?」

 ちょっぴり嫌味っぽく言ったクラークの両隣で、彼の仲間が顔を顰めた。

「フォンとアンタを一緒にすんじゃないよ」
「そうそう、欲張りの兄ちゃんとは違うよねー」
「う、うるせえよ! で、どうなんだよ、フォン?」

 顔を赤く染めて怒鳴るクラークだが、表情に怒りはない。こうして悪口をぶつけ合うのも、彼らの仮初の関係が、真の繋がりになった証だろう。
 そんな面々を見て少し微笑んだ後、フォンは言った。

「……自由だ」
「自由?」

 クラークのオウム返しに、彼は頷いた。
 あの日の、クロエの問いかけに対する本当の答えが、これだった。忍者として使命や義務感に駆られ続けたフォンが、最後の最後に求めたのは、ありふれた願いだった。

「もう、僕が忍者である必要はなくなった。忍者が完全にいなくなって、僕の役割が終わった今だからこそ――僕は正真正銘、ただのフォンとして、世界を見てみたいんだ。忍ばない一人の人間として、もっとずっと、広い世界を知りたくなったんだ」

 しかし、ありふれていながらも、彼にとっては何よりも大事な願いだった。
 忍者として世界を見続けてきたのなら、忍者を辞めて世界の果てを見るときに何があるのだろうか。正しさを、善悪を超越した世界で得た自由の先に、どんなものが待っているのか。そう考えただけで、彼の好奇心は止まらなかった。
 そうして仲間全員にギルディアを出る旨を伝え、今に至るのだ。アンジェラ達にも事情は話していたが、どこか名残惜しくなってしまうと思い、日程までは告げなかった。
 それでも見送りにやって来た彼らとの繋がりは、街を出ても消えないだろう。

「……ま、悪くねえんじゃねえか。お前に似合った願いだよ……いい意味で、だぜ?」

 クラークがフォンを褒めると、彼は一層笑顔を見せた。
 アンジェラはやはり、どうにもフォン達との長い別れが少し悲しくなってしまうのか、やや引き留めるかのような調子で口を開いた。

「クロエ達も、フォンについて行くのね?」
「勿論だよ。あたし達はどんな時でも、ずっとフォンと一緒だからね」

 当然だと言わんばかりに、仲間達は頷いた。

「サーシャ、フォンの永遠の仲間。仲間、肉より、戦いより大事」
「拙者、忍者でなくとも、一生師匠の弟子でござるからな!」

 フォンと彼女達の絆は、それこそどこであっても消えないものだった。
 だが、だから遠くでそれぞれの道を選ぶのではない。
 クロエ、サーシャ、カレンにとっての居場所は、間違いなくフォンの傍だった。