廃墟同然の有様となった広間に、静寂が戻って来た。
じたばたともがきすらせず、ただその場に蹲って震えるだけの老人となったハンゾーを、誰も見向きもしなかった。今の彼に、反撃の手段があるように思えなかったからだ。
つまり、クロエの呟きが、この場における全てを表していた。
「……これで、本当に終わり、だね」
――ハンゾーとの戦いは、これで終わった。
仲間達は心底安堵した様子だったが、フォンだけはまだ、気を抜いていなかった。
「そう言いたいけれど、まだ終わりじゃない。クラーク達を治療しないといけないし、頭を失っても『忍者兵団』は残ってる。アンジーや騎士の救援に向かわないと……」
彼の言う通り、アンジェラ達はまだ戦っているだろうし、忍者兵団を完全に倒して、初めてハンゾーの野望を阻止したと言える。全体的に見れば、まだ戦いは続いているのだ。
今からでも王宮の入り口、中庭の前線に戻らなければならないと思い、出口へと歩き出そうとしたフォンだったが、自らの意志に反してぐらりと体が揺れてしまった。
「フォン!」
「師匠、大丈夫でござるか!?」
完全に倒れこむ前に、サーシャとカレンが彼を支えたおかげで、床に衝突はしなかった。
どうにか姿勢を整えられたフォンだが、大袈裟に肩で息をする姿は、疲労困憊そのものだ。
「僕なら心配ないよ……ちょっと、気が緩んだだけだ……」
「お前、大丈夫の顔じゃない。力、使い切ってる」
今回ばかりは、サーシャの方が正しかった。
常時神経を使い続け、連戦を切り抜けたフォンの体は、彼が思っている以上に疲弊していた。それこそ、既に限界を軽く超えており、本当なら気を失って数日ほど起き上がれなくてもおかしくないほど、彼の体力は底を尽きかけていたのだ。
「……みっともないな……僕は継戦能力に自信があったんだけどね……」
自嘲気味に呼吸を漏らすフォンを支えながら、クロエ達は彼の肩を叩いた。
「仮にクラーク達をどうにかして、忍者兵団を倒しに行くとしても、もうフォンは休んだ方がいいよ。あたし達よりもずっと、体力を消耗してる」
「師匠が頑張った分、あとは拙者達がどうにかするでござるよ!」
忍者の因縁に自分が決着を付けられないのは残念だが、まだ余力があり、ガッツポーズも見せられる面々に、どうやら最後を任す他ないようだ。
地面にへたり込んだフォンから手を離したサーシャ、カレンを見つめながら、彼は言った。
「ありがとう、皆……それじゃあ、クラーク達を、下の階に――」
ところが、フォン達が中庭に向かう必要すら、もうなかった。
「――フォン!」
広間の扉の残骸を踏み越え、開けた壁の跡地から、アンジェラがやってきたからだ。
しかも、やって来たのは彼女だけではない。
彼女の後ろからどたどたと――足音に気付けないほど疲弊していたのだろうか――とんでもない数の騎士達がやって来たのだ。そしてたちまち周囲を警戒するように陣形を取る一同の中には、アルフレッド王子も混ざっている。
当然だが、誰もが無傷ではなく、特にアンジェラとアルフレッドは包帯塗れだ。それでもここまで来た彼女達を見て、フォン達は目が点になってしまった。
「アンジー……!?」
「アンジェラ、それにアルフレッド王子も!? 外の戦いはどうしたの!?」
クロエが問うと、片方の武器を失い、代わりに包帯を巻いたアンジェラは、にっと笑った。
「決まってるでしょ――もう、『忍者兵団』は壊滅させたわ」
果たして、彼女の負傷は名誉そのものだった。
恐るべき忍者兵団は、アンジェラとアルフレッド率いる騎士と兵士、王宮の護衛が殲滅してのけたのだ。おまけに、彼女の成果はそれだけではない。
「ついでに、あの憎たらしい人形の忍者もね。私の目的を果たすついでに、残った忍者も叩きのめしてやって来たのよ」
復讐を全うしたアンジェラが怪我も構わずけらけら笑う隣で、同じく重傷に見えるアルフレッドは呆れた調子で肩をすくめた。
「医療班の荒療治、『疑似再生魔法』で傷を癒せたが、さっきまで死に体も同然だったのによくも元気になったものだ。聞けば、遺言まで考えていた……痛だだだ……!?」
「お静かに、王子……それで、フォン、貴方のほうは……」
足を思い切り踏みつけられた王子が悶絶するのを半ばスルーしながら、アンジェラはハンゾーとの戦いがどうなったのかを聞いた。
聞きはしたが、彼女自身、結果を大まかではあるが把握していた。
「……終わった、と思っていいのかしら」
怪我を負ったフォン達の後ろで蹲るみすぼらしい老人が、ハンゾーの正体。
王宮を破壊しかねない死闘の末に、フォンが彼を倒したのだと、アンジェラは察した。
フォンはそんな彼女の問いに、遠くで呻くクラーク達を指さして答えた。
「ああ、終わった。クラーク達が味方になってくれて、ハンゾーを倒したよ」
「あそこで倒れてるあいつらが? にわかに信じがたいけど、いてて、貴方が言うのなら嘘は一つもないみたいようね」
「アンジー、君も重傷だろう。強気にふるまうのはいいが、自分の身を……ぐおおぉ!?」
今度はわき腹を肘で突かれたアルフレッドは、今度こそアンジェラに余計なことを言わない方がいいと痛感した。時すでに遅し、凄い形相でのたうち回っていたが。
「誰か、王子の傷が開いたわよ、医療班のところに連れて行きなさい」
心配そうに見ていた騎士の何人かが、アルフレッドを担いで広間を出ていく。
そんな様をどこかおかしな様子で見送ってから、アンジェラは四人に言った。
「……さて、完全に終わったわ、フォン。貴方と忍者の因縁も、きっとね」
これでようやく、全てが終わった。
過去の因縁も、現在の恐怖も、未来の絶望も、全てが断ち斬られた。これから存在しうる世界に、忍者はフォンとカレン以外、どこにもいない。忍者の憎しみと悲しみが誰かを傷つけることは、もう二度とないのだ。
「終わった……終わった、か……はは、ははは……!」
思わず笑いながら、フォンは仰向けに倒れこんだ。
てっきり傷が深く、耐えられなかったのかと思ったが、そうではなかった。
「良かった……誰も失わなくて……忍者のさだめで、仲間の命を、失わずに済んで……」
フォンは泣いていた。
隠そうともしない瞳から、大粒の涙が溢れて止まらなかった。
生きていて良かった。人を信じて、誰かを愛し続けて良かった。何より、フォンであることを諦めずにいて良かった。そのおかげで、忍者の闇から人々を守れたのだから。
胸の中に感情がこみ上げて、全てが涙となって流れてゆく。
そんなフォンの傍に座り、クロエは彼の髪を撫でた。
「大丈夫だよ、フォン。もうどこにもいかない、あたし達はずっとフォンの傍に居る」
サーシャも、カレンも彼を囲み、大きく頷く。
「これからは、やりたいことをしよう。忍者に縛られないで、好きなことをして生きていこう。運命も追ってこないところで、誰よりも自由に、フォンらしく生きよう」
彼女は戦いが終わった今、一つの問いかけを、心に抱いていた。
冒険者としてパーティを組んだ。カルト集団と戦い、人形使いの忍者を迎え撃ち、勇者パーティと決闘を果たし、忍者の過去を知り、邪悪な敵を滅ぼした。
数えきれない日々を過ごしてきたクロエが聞くのは、彼の最初で最後の願い。
「ねえ、フォン――君は、何がしたい?」
忍者でもなく、冒険者でもなく、フォン自身が何をしたいのか。
クロエの問いに、フォンは彼女にしか聞こえないような声で答えた。
静かな、静かな声だった。
割れたステンドグラスから射しこむ光が、彼らを照らしていた。
じたばたともがきすらせず、ただその場に蹲って震えるだけの老人となったハンゾーを、誰も見向きもしなかった。今の彼に、反撃の手段があるように思えなかったからだ。
つまり、クロエの呟きが、この場における全てを表していた。
「……これで、本当に終わり、だね」
――ハンゾーとの戦いは、これで終わった。
仲間達は心底安堵した様子だったが、フォンだけはまだ、気を抜いていなかった。
「そう言いたいけれど、まだ終わりじゃない。クラーク達を治療しないといけないし、頭を失っても『忍者兵団』は残ってる。アンジーや騎士の救援に向かわないと……」
彼の言う通り、アンジェラ達はまだ戦っているだろうし、忍者兵団を完全に倒して、初めてハンゾーの野望を阻止したと言える。全体的に見れば、まだ戦いは続いているのだ。
今からでも王宮の入り口、中庭の前線に戻らなければならないと思い、出口へと歩き出そうとしたフォンだったが、自らの意志に反してぐらりと体が揺れてしまった。
「フォン!」
「師匠、大丈夫でござるか!?」
完全に倒れこむ前に、サーシャとカレンが彼を支えたおかげで、床に衝突はしなかった。
どうにか姿勢を整えられたフォンだが、大袈裟に肩で息をする姿は、疲労困憊そのものだ。
「僕なら心配ないよ……ちょっと、気が緩んだだけだ……」
「お前、大丈夫の顔じゃない。力、使い切ってる」
今回ばかりは、サーシャの方が正しかった。
常時神経を使い続け、連戦を切り抜けたフォンの体は、彼が思っている以上に疲弊していた。それこそ、既に限界を軽く超えており、本当なら気を失って数日ほど起き上がれなくてもおかしくないほど、彼の体力は底を尽きかけていたのだ。
「……みっともないな……僕は継戦能力に自信があったんだけどね……」
自嘲気味に呼吸を漏らすフォンを支えながら、クロエ達は彼の肩を叩いた。
「仮にクラーク達をどうにかして、忍者兵団を倒しに行くとしても、もうフォンは休んだ方がいいよ。あたし達よりもずっと、体力を消耗してる」
「師匠が頑張った分、あとは拙者達がどうにかするでござるよ!」
忍者の因縁に自分が決着を付けられないのは残念だが、まだ余力があり、ガッツポーズも見せられる面々に、どうやら最後を任す他ないようだ。
地面にへたり込んだフォンから手を離したサーシャ、カレンを見つめながら、彼は言った。
「ありがとう、皆……それじゃあ、クラーク達を、下の階に――」
ところが、フォン達が中庭に向かう必要すら、もうなかった。
「――フォン!」
広間の扉の残骸を踏み越え、開けた壁の跡地から、アンジェラがやってきたからだ。
しかも、やって来たのは彼女だけではない。
彼女の後ろからどたどたと――足音に気付けないほど疲弊していたのだろうか――とんでもない数の騎士達がやって来たのだ。そしてたちまち周囲を警戒するように陣形を取る一同の中には、アルフレッド王子も混ざっている。
当然だが、誰もが無傷ではなく、特にアンジェラとアルフレッドは包帯塗れだ。それでもここまで来た彼女達を見て、フォン達は目が点になってしまった。
「アンジー……!?」
「アンジェラ、それにアルフレッド王子も!? 外の戦いはどうしたの!?」
クロエが問うと、片方の武器を失い、代わりに包帯を巻いたアンジェラは、にっと笑った。
「決まってるでしょ――もう、『忍者兵団』は壊滅させたわ」
果たして、彼女の負傷は名誉そのものだった。
恐るべき忍者兵団は、アンジェラとアルフレッド率いる騎士と兵士、王宮の護衛が殲滅してのけたのだ。おまけに、彼女の成果はそれだけではない。
「ついでに、あの憎たらしい人形の忍者もね。私の目的を果たすついでに、残った忍者も叩きのめしてやって来たのよ」
復讐を全うしたアンジェラが怪我も構わずけらけら笑う隣で、同じく重傷に見えるアルフレッドは呆れた調子で肩をすくめた。
「医療班の荒療治、『疑似再生魔法』で傷を癒せたが、さっきまで死に体も同然だったのによくも元気になったものだ。聞けば、遺言まで考えていた……痛だだだ……!?」
「お静かに、王子……それで、フォン、貴方のほうは……」
足を思い切り踏みつけられた王子が悶絶するのを半ばスルーしながら、アンジェラはハンゾーとの戦いがどうなったのかを聞いた。
聞きはしたが、彼女自身、結果を大まかではあるが把握していた。
「……終わった、と思っていいのかしら」
怪我を負ったフォン達の後ろで蹲るみすぼらしい老人が、ハンゾーの正体。
王宮を破壊しかねない死闘の末に、フォンが彼を倒したのだと、アンジェラは察した。
フォンはそんな彼女の問いに、遠くで呻くクラーク達を指さして答えた。
「ああ、終わった。クラーク達が味方になってくれて、ハンゾーを倒したよ」
「あそこで倒れてるあいつらが? にわかに信じがたいけど、いてて、貴方が言うのなら嘘は一つもないみたいようね」
「アンジー、君も重傷だろう。強気にふるまうのはいいが、自分の身を……ぐおおぉ!?」
今度はわき腹を肘で突かれたアルフレッドは、今度こそアンジェラに余計なことを言わない方がいいと痛感した。時すでに遅し、凄い形相でのたうち回っていたが。
「誰か、王子の傷が開いたわよ、医療班のところに連れて行きなさい」
心配そうに見ていた騎士の何人かが、アルフレッドを担いで広間を出ていく。
そんな様をどこかおかしな様子で見送ってから、アンジェラは四人に言った。
「……さて、完全に終わったわ、フォン。貴方と忍者の因縁も、きっとね」
これでようやく、全てが終わった。
過去の因縁も、現在の恐怖も、未来の絶望も、全てが断ち斬られた。これから存在しうる世界に、忍者はフォンとカレン以外、どこにもいない。忍者の憎しみと悲しみが誰かを傷つけることは、もう二度とないのだ。
「終わった……終わった、か……はは、ははは……!」
思わず笑いながら、フォンは仰向けに倒れこんだ。
てっきり傷が深く、耐えられなかったのかと思ったが、そうではなかった。
「良かった……誰も失わなくて……忍者のさだめで、仲間の命を、失わずに済んで……」
フォンは泣いていた。
隠そうともしない瞳から、大粒の涙が溢れて止まらなかった。
生きていて良かった。人を信じて、誰かを愛し続けて良かった。何より、フォンであることを諦めずにいて良かった。そのおかげで、忍者の闇から人々を守れたのだから。
胸の中に感情がこみ上げて、全てが涙となって流れてゆく。
そんなフォンの傍に座り、クロエは彼の髪を撫でた。
「大丈夫だよ、フォン。もうどこにもいかない、あたし達はずっとフォンの傍に居る」
サーシャも、カレンも彼を囲み、大きく頷く。
「これからは、やりたいことをしよう。忍者に縛られないで、好きなことをして生きていこう。運命も追ってこないところで、誰よりも自由に、フォンらしく生きよう」
彼女は戦いが終わった今、一つの問いかけを、心に抱いていた。
冒険者としてパーティを組んだ。カルト集団と戦い、人形使いの忍者を迎え撃ち、勇者パーティと決闘を果たし、忍者の過去を知り、邪悪な敵を滅ぼした。
数えきれない日々を過ごしてきたクロエが聞くのは、彼の最初で最後の願い。
「ねえ、フォン――君は、何がしたい?」
忍者でもなく、冒険者でもなく、フォン自身が何をしたいのか。
クロエの問いに、フォンは彼女にしか聞こえないような声で答えた。
静かな、静かな声だった。
割れたステンドグラスから射しこむ光が、彼らを照らしていた。