「……フォン?」

 誰もがフォンの生を願ったが、死も覚悟していた。
 だが、彼は生き延びた。クロエ達の前で床に着地したフォンが生きているのを見て、彼女達もそうだが、何よりハンゾーが驚愕していた。

『馬鹿な、儂の一撃をかわした!? ならば、もう一度ッ!』

 すかさず彼は、もう一度攻撃を繰り出した。うねる蛇の体をしならせて放つのは、フォンの顔面を様々な軌道から狙った、これもまた必殺の一撃だ。
 今度こそ、敵の死を確信したハンゾーだったが、フォンはまたも仲間達の視線から、攻撃の軌跡を読んだ。未だ最後に至っていない打撃がどこに向かうのか、どうやって自分を殺そうとしているのかを理解した彼が身を仰け反らせると、技は左側に大きく逸れる。
 眼のないハンゾーの顔に、焦りが生じる。フォンの目には、確証が浮かび上がる。

(――かわせる。皆が僕、いや、ハンゾーを見ている方向から、思考が読み取れる)

 四人が無意識に違う部位を見て、そこだけがどう動くかを知っている。
 それらの情報を頭の中で合体させて、疑似的に行動を把握する。

(一人だけじゃあ把握しきれない情報を読み取れれば、敵の動きが分かる。どう動くのか、どんな攻撃を仕掛けてくるのか、全て分かる。今も、先も、全て掴める!)

 つまり――敵の攻撃が、挙動が、フォンには見えているのだ。
 だから、ハンゾーがどれだけ凄まじい連撃を叩き込もうとしても、直撃の瞬間にフォンは避け切ってしまう。目にも留まらぬ打撃と回避を目の当たりにして、仲間達は息を呑む。

「凄い……あれだけ速い攻撃を、全部避けてる……!」
「しかも、ハンゾーが動く前にかわしているでござる! まるで、ハンゾーがどう動くかを知っているみたいでござるよ!」

 それでも敵から一瞬たりとも目を逸らさない面々の前で、ハンゾーは喚く。

『どう、なって、おるぅ!? 『蛇神変化』の速さに、ついていけるはずなどぉ!?』
「ついていけるんじゃない、仲間と紡いだ『未来予知』だッ!」

 そう。彼の忍術とは、つまるところ疑似的な『未来予知』。
 四人が別方向から見た挙動で攻撃を理解し、どちらに回避すればいいのかを察知する。ハンゾーを見るだけでは決して避けられない技も、仲間の目を見れば防げる。
 最強の忍者を打破する術は、敵への思いではなく、仲間への想いにあったのだ。

「お前の攻撃は全て読める、お前が何をするのかも分かる! お前を見るんじゃない、仲間を見て、初めて分かったんだ! もう絶対に、僕に攻撃は当てられないぞ、ハンゾー!」
『『未来予知』など、戯言を! 極地で手に入れた術だとでも!?』
「違う、僕の師匠が最後に教えてくれた忍術だ!」
『先代が、じゃとぉ……!?』

 憎々しげに顔を歪ませるハンゾーだったが、フォンにはもう、彼の顔は見えていなかった。
 彼の瞳に映るのは、脳裏を過る記憶の断片。今の今まで忘れていた、最後のピース。忍者の里で師匠と紡いだとある思い出が、彼の眼前に浮かび上がっていた。

『――師匠、この忍術は不完全です』

 忍者が修行に励む静かな池のほとりで、フォンは先代と向き合っていた。
 新たな術を会得して間もないのに、これとって息が切れている様子もなく、労している表情もない。いつもの無表情を見せ続ける彼に対し、先代はけらけらと笑って言った。

『そうだな。今は不完全なままだ』
『今は、とは、どういう意味でしょうか』
『この忍術は、俺が唯一編み出した術だ。結局使う機会はなかったがな。忍者である以上、この術はまともに使えないんだよ』
『忍者には使えない忍術?』

 忍者なのに使えない忍術とは、何の冗談だろうか。
 おかしなことを語る先代の目は、楽しそうでもあり、憂いを含んでもいた。

『互いを信用せず、互いを憎み合う間柄じゃあ使えない術ってわけさ。だからフォン、これをお前に教えたのは、いつかこれを使う日が来て欲しいからだ』

 これから来る別れの時と同じ、悲しい笑顔がそこにはあった。いずれまみえる喜びの未来に自分はいないのだと、未来予知もしていないのに理解しているようでもあった。

『忍者ではなく、人として……誰かと分かり合える日が来る。俺はそう、信じてる』

 この時のフォンは、まだ知らなかった。先代フォンがハンゾーの息子であること、先代が忍者の闇を憎んでそれを滅ぼそうとしていること――そして、自分が既に洗脳されていて、これから先代を殺す結末が待っていることを。
 しかし、その全てを、彼は乗り越えてきた。
 先代が望んだ未来を、フォンは勝ち取った。

(――ありがとうございます、師匠。一人では使えない術を教えた意味は、一緒に歩む者がいて欲しいという、僕の未来への願いだったんですね)

 ハンゾーとの死闘の場に意識が戻って来たフォンは、師匠の魂と最後の優しさを胸に感じ取っていた。だからこそ、言いたいこともあった。

(けど一つだけ、訂正します――僕は、貴方とも共に未来を歩んでいます!)

 先代はただ、彼の背中を押しただけではない。いつでも傍に居続けたのだと。
 四人と、七人と、八人と歩み続けた者を前にして、ハンゾーの禁術も、蛇の力もどれだけの意味を持つだろうか。いや、皆無だと悟っていないのは、この老人だけだ。

『儂の知らぬ忍術じゃと!? あり得ぬ、あり得ぬぅ!』
「あり得るさ! お前が見てこなかった人の心の中に、それはいつでもあった!」

 回避に余裕が生まれ、拳を振るう冷静さすらできた彼は、ぎろりと敵を睨んで吼えた。

「師匠が未来を、希望を託した術……『友心伝心(ゆうしんでんしん)の術』だ!」

 フォンの右拳が、忍術を叫ぶのと同時に、ハンゾーの腹に直撃した。
 硬い鱗に打撃がめり込み、蛇の顔が苦痛に歪む。一見すると強固な防御力を持っているように見える外装だが、忍者の拳を受けてノーダメージとはいかないようだ。

『ぐぬう……ならば、他の者を殺すまでよ!』

 腹を抑えながら、舌先と顔の向きでクロエ達を見たハンゾー。
 ところが、もうフォンは焦っていなかった。

「それも意味はない……これは、僕だけが使える術じゃない!」

 フォンは知っていた――恐らくは、仲間も分かっていた。
 摩訶不思議な力だとしても、学者が説明できない現象だとしても、理解不能の忍術ではない。ずっと傍に居続けた面々だからこそ、フォンの想いは既に伝わっていた。

「皆、ハンゾーと一緒に仲間の目を見てくれ――僕達なら理解るはずだ、互いの想いが!」

 迫りくるハンゾーの狂気を前にして、クロエも、サーシャも、カレンも逃げなかった。
 彼を取り囲むようにして陣形を取った四人は、敵よりも大事なものを見据えていた。時に対立し、時に手を取り合い、長い道を進んできた者達。
 かけがえのない仲間。
 尾と腕と舌を翳す凶悪な敵の奇襲は、忍者だけでなく、仲間にも見えていた。