手足に加えて、尾を追加した打撃。僅かでも気を抜けば丸呑みにされる大口。
 瞬間移動などしていないはずなのに、ハンゾーのあらゆる挙動が視界に入って来ない。防ごうとしてもすり抜けられ、打撃を叩き込まれる。

「サーシャ、見えない、防げない!」
「はぁ、はぁ、そんな、早すぎるでござる!」

 武器を弾かれ、殴られ、地に叩き伏せられても、まだ五人は死んでいない。

『脆い、脆いぞ、人間共! 戯れ程度にすらついてこれんとは!』

 敵の情けではない。ハンゾーはただ、圧倒的な力で戯れているのだ。それも、彼が飽きればいつでも全員を殺せるという意思表示でもある。
 生傷が増え、血が衣服と床を染め上げていく生き地獄の最中、フォンだけはどうにか敵の動きを捉えつつあった。といっても、防御は直感的で、外れるパターンの方が多い。
 何より、仲間がいつ死ぬか分からない恐怖が、彼自身の警戒心を緩めてしまっている。

(まずい! 僕はどうにか追いつけるようになったけど、クロエ達はハンゾーの動きが見えていない! あいつが余裕を見せているうちに守らないと、一撃で食われかねない!)

 そんな彼の、ほんの一瞬の隙すら、目を潰したハンゾーは見逃さなかった。

『考え事をしているとは悠長じゃのう、フォン!』

 舌先に触れる空気と体温だけで敵の挙動を感知するハンゾーが、フォンの後方から迫っていた。尾の先端か、それとも尖らせた掌で心臓を貫くつもりだろうか。

「しまッ――」

 振り向いた時には目を見開くだけで何もできなかったフォン。
 しかし、彼はまだ死ななかった。
 辛うじて二人の間に割りこんだクラークが、勇者の剣でハンゾーを斬り払ったからだ。

『ぬうぅ!』

 咄嗟に相手が避けたので、直撃こそしなかったが、間一髪のところでフォンの命は救われた。肩で息をし始めている彼に、クラークは背を向けたまま怒鳴り散らす。

「フォン、ぼさっとしてんじゃねえよ! これで借りは返したからな!」
「済まない、クラーク……!」

 仲間に起こしてもらい、どうにか姿勢を整えたフォン。
 一方でハンゾーは、よもや勇者に邪魔されるとは思っていなかったのか、怒りで舌先を震わせていた。彼の全身を覆う鱗も、感情を露にしている。

『勇者もどきが……邪魔をするでないわッ!』

 言うが早いか、瞬きの間に距離を詰めてきたハンゾーは、クラークに蹴りを叩き込んだ。

「うおわあああぁぁッ!?」

 いかに彼が勇者で、鍛えられているとしても、今のレジェンダリー・ニンジャの蹴りを受けてただでは済まない。しかも、剣を砕き折るほどの威力を伴った攻撃では。
 骨が何本も折れる音と共に、クラークは明後日の方向に吹き飛ばされた。

「クラーク!」

 瓦礫に突っ込み、足だけを見せてだらりと倒れこむクラーク。
 フォンが声をかけても動かないさまに、ハンゾーは忌々しそうな形相で顔を向ける。

『再生するとはいえ、儂の鱗に傷をつけるとは……何にもなれん男が、下らぬ真似を……』
「何にもなれないだと……違う! クラークは勇者だ、紛れもない正義の男だ!」

 そして尚も心を折らないフォンの、見えないはずの顔も、蛇の怒りを逆撫でするのだ。

『まだそのような戯言を吐くか。なら、今度こそ心をへし折ってやろうぞ!』

 とうとうフォンを直接狙うのをやめたハンゾーは、地面にひびを作るほどの速度で跳躍した。どこに行ったのか、なにをするつもりかと彼を見つけようとしたが、遅かった。
 フォンが彼の姿を捉えた時、自身の背後――仲間の傍にいたのだ。

「なっ……!?」

 爪が、尾が狙う相手は、弓を構える間もなく、呆気にとられるクロエだった。

『わははは! やはりお主を絶望させるには、先に仲間とやらを始末した方がよいのう!』
「クロエを!? させるか、ハンゾーッ!」

 まだ間に合う。直感的に、フォンは動いた。
 自分に背を向けたハンゾーなら、あらゆる攻撃手段でクロエを狙うのなら、忍術を叩き込める。仲間を守るべく動いたフォンは、絶対に凶行を止めるのだと覚悟した。
 ――それすら、ハンゾーの作戦だと知らずに。

『――ほうら。お主の考えなど、全てお見通しよ』

 ぐるりと、ハンゾーは尾で体を制御しながら、体を大きく捻らせた。
 指を突きつけた掌が、舌先が、顔が見ているのは、空中に身を舞わせるフォンだ。

(こっちを見た……いや、見ていた!? まさか、最初から僕が狙いだったのか!? クロエを襲うふりをして、僕を最初から標的にしていたのか!)

 右腕が襲い来る。あらゆる攻撃の軌道を予測しても、正解に至らない。

(手の動きの速さ……体が追い付いても、貫手の動きは読めない。心臓が串刺しにされる)

 未来だけは読める。最悪の、確定した未来が。

(――僕は、死ぬ)

 フォンは死ぬ。心臓を抜き手で貫かれて、死ぬ。
 即座に訪れるはずの死が、まだやって来ない。あらゆる挙動がゆっくりと、時間すらもゆっくりと流れる中、静かに忍び寄る魔手よりも、フォンは仲間に想いを馳せていた。

(クロエ、サーシャ、カレン、ごめん。世界がゆっくり見えて、思考すらも遅くなっているこれが死の間際に来るものだと、僕は知っている。だから、逃れられないのも分かってる)

 唯一動く眼球を左右にずらすと、仲間達の顔が見える。
 驚愕と、恐れ。いずれも喪失に伴うものだと、フォンにも分かる。
 彼女達も見ている。ハンゾーの一挙手一投足を捉えようと必死になっているが、そのうち一部しか見えていない。これでは、完全な回避は不可能だろう。

(こんなところで死ぬなんて……まだ皆の顔も、視線すら見えるのに……)

 死ぬのは悔しい。死ぬにはまだ早く、死ねない。
 彼女達がハンゾーの体の一部を、あらゆる攻撃の手段を見逃すまいと凝視しているのも分かるほど、意識が残っているのに。
 足か、手か、どこから攻撃が来るのか――。

(……クロエが、足を? サーシャが手を、カレンが顔の向きを見ている?)

 不意に、フォンは気づいた。
 三人の視線の先が、それぞれ違う思考に繋がっていると。
 クロエは手を見ている。貫手の方向が分かるが、回避する手段を知らない。
 サーシャは足を見ている。迫る速度が分かるが、貫手の軌道が見えない。
 カレンは顔を見ている。避けるべき位置は分かるが、避けるのに必要な速さが分からない。
 三人全ての情報が、フォンの頭の中に流れ込んでくる。体が追い付いても考えと予測だけが追い付かなかった彼の頭の中で、たちまちパズルが完成する。

(一人一人が違う部位しか見られない……けど、視線だけで皆の考えが分かる! 動きが追いついていなくとも、思考が僕の情報になって、唯一の回避手段を教えてくれる!)

 時間の進行速度が元に戻る。
 ハンゾーの貫手が迫りくる。

(四人の予測を合わせて、攻撃の軌道を読む! 師匠、この忍術は、あの時の――ッ!)

 全てが元に戻り、仲間の悲鳴が聞こえる瞬間、フォンは体を思い切り捻らせた。
 ハンゾーの貫手は胸を少し掠めた程度で、彼を死に至らせなかった。

『……なん、じゃと?』

 フォンを確実に仕留めたと嗤う蛇の忍者から、笑みが消えた。