「あいつ、あれだけの攻撃を受けて、まだ生きてるのか!?」

 当然ではあるが、全くダメージがないわけではない。フォンとクラークの攻撃を受けた腹部は肉の半分以上が剥がれ落ち、手足や口からも大量の出血が見て取れる。人間ならば、既に死んでいてもおかしくない重傷だ。
 それでも、ハンゾーの殺意は消えていなかった。寧ろ、増大したとすらいえる。
 膨れ上がった殺意と憎悪をどのような形で体現すればいいか、ハンゾーは知っていた。

「洗脳忍術も効かぬなら……よろしい、儂のとっておきを見せてやろう。真の姿を――洗脳すら児戯に見える、蛇の忍者と恐れられた理由をな」

 ぜいぜいと肩で息をするハンゾーが次に取った行動は、信じられないものだった。

「オ、オ、オオォォォッ!」

 何とハンゾーは、両の親指を立て、自らの両目を潰したのだ。

「何してるの、あいつ!? 自分の目を潰してる!?」

 洗脳忍術に欠かせないはずの目を、そうでなくとも戦いどころか生活にも必要な目を潰すなど、異常極まる行為だ。多くの人間が思うように、クロエやサーシャ、カレン、勇者パーティの面々は思わずぞっとした。
 しかも、ハンゾーの異様さはそれだけに留まらない。ボロボロの着物の下にある肌が逆立ち、鱗のように変化していくのだ。顔、手、足、全てが鱗に包まれていくのだ。
 口が裂け、臀部から奇怪な肉の塊が生えてくるのを目の当たりにして、もうフォンは躊躇わなかった。恐怖よりも先に、あれを止めないといけないという感情が優先された。

「嫌な予感がする……クラーク、もう一度攻撃を叩き込む! ついてこれるかッ!」
「当たり前だろ! あのバケモンに、今度こそ引導を渡してやるぜ!」

 恐れを振り払った二人は、再び苦無と剣を握りしめると一気に駆けだした。
 ハンゾーは未だに目に指を突っ込んだままで、震えるだけ。変化はまだ続いているが、こちらを見てもいないし、防御姿勢も取らない。やるなら、今しかない。

「「おおおおぉぉ――ッ!」」

 金色の光を溜め込んだクラークと、漆黒の閃光を迸らせるフォンが跳びかかった。
 さっきの一撃よりもずっと強力で、尚且つ防御を許さない不意を突く攻撃だ。当たれば、今度こそハンゾーの命はない。
 そう、当たりさえすれば。

『――阿呆が』

 地を這うような嗄れ声と共に、ハンゾーは目から指を引き抜いた。
 それと同時に、二人の体に鱗を纏った巨大な『尻尾』が叩きつけられていた。鍛えられた体をくの字に曲げるほどの強打は、彼らの意識を一瞬奪い去るほどの力で振り払われた。

「ぐ、おッ」
「があ、あッ!?」

 フォン達の思考が取り戻された時には、双方ともに別方向へと弾き飛ばされていた。
 あまりに一瞬の出来事で、彼らを見ていた仲間達すら、何が起きたのか理解できなかった。

「フォン!」
「クラーク!? 何が起きたんだ、一体!?」

 驚く面々をよそに、床に激突したフォンとクラークが口元の血を拭いながら立ち上がり、ハンゾーを見据えた。

『……よもや、儂の真の姿を人に見せる日が再び来ようとはな』

 その姿は、もう人間ではなかった。
 例えるなら、蛇と人間の『なまなり』だった。
 髪や体つきは人間のまま、肌は全て緑色の鱗に挿げ代わっている。潰れた目は完全に閉じきって、文字通り耳を超えて裂けた口は真っ赤で、腕ほどもある長い舌がちろちろと隙間から這い出ている。
 何より、蛇の如く生えた床を引きずるほど長い尾は、人間を捨てた証であった。

「なんだ、あの体は……鱗に、尾に、長い舌……蛇、なのか……!?」
「まさかあやつ、拙者と同じ魔物だったのでござるか!?」

 フォンやカレンの問いに答えるのは、舌を揺らし、壊れた声を流すハンゾーだ。

『貴様のような下賤と一緒にするでない。これは人体改造の果てに辿り着き、蛇と同じ力を手に入れた禁術……名を冠して、『蛇神変化(へびがみへんげ)』』

 老人が屈強な男性や少女の変形するほどの禁術は、果たしてハンゾーの体を人間から別の何かへと変える力すら有していた。

『小癪な目潰しは通用せぬぞ。逃げても隠れても、儂の舌が捕らえる。せいぜい――』

 しゅう、しゅうと吐息を垂れ流すハンゾーが、微かに笑った気がした。
 気がしたと表記したのは、表情を確かめることが、誰にもできなかったからだ。

「――がッ」

 理由は一つ。
 瞬きの間に消えたハンゾーが、次に現れたのはサラの正面だからだ。
 しかも、右拳をめきめきと彼女の腹部にめり込ませながら。

『――せいぜい、儂を愉しませよ。そうしてから、死ぬがよい』

 ハンゾーが拳を振り抜くと、サラはフォン達よりずっと強い力で吹き飛ばされた。
 残された四人が反撃しようと離れるよりも先に、サラは広間の壁を貫通して外に叩き出された。どうなったかは分からないが、当分動けはしないだろう。

「サラ! この野郎……ぎゃああッ!」
「ジャスミン!?」

 怒る暇もなく、今度は最も近かったジャスミンが、恐るべき一撃の犠牲となった。腕よりもずっと太い尻尾で薙ぎ払うだけで、一対の剣がへし折れ、ジャスミン同じ末路を辿った。
 骨が何本か砕ける音がして、地面に叩きつけられただけでなく、サラとは別方向に投げ飛ばされた。血を吐き、悶えるだけの彼女もまた、再起不能に陥った。
 ようやく立ち上がったフォン、クラークが迫ってくるのをちらりと見たハンゾーは、にやりと笑い、またも姿を消した。

「どうなっているんだ、人間の動きじゃないぞ! 早すぎる、僕の目でも捉えられない!」
「それにあのパワー、サーシャよりもずっと上! 怖くない、怖くないけど、怖い!」

 誰もが恐れ、汗を滝のように流す最中、ハンゾーの声だけが響き渡る。

『当然よ、儂の体は今や人知を超越して、神の域に達した。体温でお主らを感知し、尾で獲物を捕らえ、開いた口で丸呑みにする――このようになッ!』

 次の瞬間、ハンゾーはフォンの背後から姿を現した。
 しかも、口をとんでもなく大きく開いて、彼を一口で捕食しようとしているのだ。

「フォン、逃げて!」

 技の名を名乗る間もなく、クロエは雷撃の矢を放った。
 空気を裂くほどの勢いを保ったまま、矢はハンゾーに吸い込まれてゆく。命中すれば家屋二つ分ほど大きい魔物すらダウンさせる攻撃は、クロエの得意技でもある。
 だが、それが何だというのかと言わんばかりに、ハンゾーは目のない顔で矢の方を見た。
 そして、自分の顔の倍近く開いた口で、矢をひと呑みにしてしまった。咥内で雷が炸裂した音が聞こえたが、蛇の神はけろりとしている。
 おかげで全員が敵と距離を取れたが、クロエを含めた一同は愕然としていた。

「雷の矢を……尻尾で掴んで、食った? なんなの、あれは?」
「……あの野郎は……人間を、魔物を、超えやがったのか……?」

 雷の矢を食う。一撃で強化された人間を仕留める。こうなるともう、魔物ですらない。

『さっきも言ったじゃろう、儂は全ての生命の頂点に立った。文字通り、蛇の神よ』

 神を名乗る忍者は、奇怪なほど前かがみになり、舌先だけで五人を捉えた。

『愚かな人間風情が、足掻いてみせよ。死の恐怖に怯えながらな』

 舌を出して嗤うハンゾーはもう、姿を消した不意打ちなどしないようだった。
 そうしなくても――全員を殺めるのは容易いと知ったからだ。

「来るぞ! 皆、構えろ!」
『構える? 無駄よ、無駄! 儂の動きを捉えられる者など、おるわけがなかろうて!』

 真正面から突っ込んでくるハンゾーは、雑兵の反撃など意にも介せず、蹂躙を始めた。