「――『幻猫眼』?」
「うん、カレンの術の一つで、ハンゾーの洗脳を解ける唯一の術だ」

 カレンが忍者の術に捉われたサラ達を救い出そうとしている頃、長い廊下を走り続けるフォンは、クロエに弟子が持つ秘密の術を教えていた。
 彼女も、カレンの瞳が変化することとそういった類の能力があることは知っていたが、どうして洗脳を解除できるのかまでは理解していなかった。

「ハンゾーの洗脳は目に訴えかけ、特殊な瞬きの回数や目の模様で、疑似的に眠った状態に相手を陥れるんだ。そして音波に似た波長の言葉を語り掛け、洗脳を完了させる」
「そんなに簡単に、洗脳なんてできるものなの?」
「相手に依るかな。強靭な精神の持ち主であればあるほど、洗脳には時間がかかる」

 ハンゾーの洗脳は摩訶不思議な魔法ではなく、他の忍術、忍法と同じで、技術の一環だ。
 蛇の目は人の思考を奪い、空っぽの状態にしてしまう。自分で考えることも、動くこともできなくなった、人の形をした人間を、命令で満たしてゆくのだ。
 一度かけられれば避ける手段はほぼない恐るべき術だが、カレンは唯一の対抗策である。

「けど、カレンの目はその逆のパターンを相手に齎す。つまり、プロセスを巻き戻して、洗脳される前の状態に戻せるんだ」

 カレンの術、『幻猫眼』の星形の文様は、根本を辿ればハンゾーの洗脳と変わらない。彼女の場合は、洗脳に至るまでの過程を遡って、元の状態まで戻してしまうのだ。
 つまり、彼女の存在はフォンにとって最大の切り札だったのだ。
 蛇の忍者を無効化する手段を、どうして同伴させなかったのかとクロエは首を傾げる。

「そんな凄い力があるのに、置いてきて良かったの?」
「ハンゾーを止める切り札だけど、彼女自身、ジャスミンには思うところがあったんだろうね。できれば、ハンゾーとの戦いでは合流したい……クロエ、構えて」

 だが、既に彼女を含め、忍者パーティには他の事柄を考える余裕はなかった。

「……あれは!」

 恐るべき気配を察知しつつ扉を開いたフォンとクロエの視界に飛び込んできたのは、さっきよりも一層豪華に彩られた、壁を巨大なステンドグラスに覆われた広間。

「……やっぱり、君が待っていたか、クラーク」

 そして、その中央に仁王立ちするクラークとマリィだった。
 サラやジャスミンと同じ格好をしているクラークは、もう勇者パーティとしての面影を殆ど残していなかった。澱んだ瞳、静かな殺意、どれもこれも、ハンゾーに洗脳されてしまった哀れな者達の末路に相応しかった。
 一方で、マリィはさほど以前と変わっていない。外見もそうだが、全てを利用し尽くそうと望む、最も恐るべき邪悪な精神もそうである。

「また会ったな、フォン。月並みな台詞だが、ここから先には行かせねえぜ」

 剣を抜き、突きつけたクラークに、フォンは哀憫の視線を向ける。

「クラーク、いい加減気づくんだ。それは君自身の意志じゃない、ハンゾーに心を乗っ取られているだけだ。自分ですら望んでいない戦いで、死ぬつもりなのか?」
「死ぬのは貴方よ、フォン。今のクラークは、あの時より強くなっているわ」
「ふーん? 元勇者サマはともかく、あんたは何も変わってなさそうだけど?」

 なるべく勇者の感情を揺るがせたくないマリィが会話に乱入すると、クロエも同様に話し合いへと加わった。ただし、彼女の場合は魔法使いへの侮蔑が強く混じっていた。

「はっきり言っとくけど、あたしはともかく、フォンには絶対に勝てないよ。そっちが二人がかりで攻めてきても変わらない。今のうちに、降伏しといたら?」

 ぎろりと睨みつけるクラークとは違い、クロエの発言に対し、マリィは顔を顰めた。
 脳みその中身を空っぽにされたクラークとは違い、マリィは洗脳を受けていない唯一の元勇者パーティだ。フォンとの実力差を、ある意味では一人だけ見抜いているようだ。

「……そうはいかないわ。私達の実用性を示しておかなきゃ、忍者に殺されてしまうもの」

 それでも強者の傍にいる安堵感を求めるマリィに、フォンは思わず叫んだ。

「あいつのような男が、君達を生かしておくと本気で思っているのか!」

 フォンは、ハンゾーの本性を知っている。彼は自分以外を信じず、いかに使える仲間であっても、道具程度にしか思っていない。捨てるのを躊躇わないし、使い潰すのを惜しいとも思わない。代用品は、洗脳忍術で賄うからだ。

「奴にとって、自分以外の全ては手駒に過ぎないんだ! 仮に君達が忍者だとしても扱いは変わらない、それどころか君達は洗脳されただけの冒険者だ! どんな結果になろうと、その場しのぎに使われた道具として処分されるんだぞ!」

 だから、彼は必死にマリィに警告した。彼女がどう考えてもハンゾーの危険性を理解していないうえ、功績を上げれば長生きできると本気で信じ込んでいるからだ。
 いや、或いはそう思い込んで、自分の中にある恐れを騙そうとしているのかもしれない。

「そうならない為に、成果を出すのよ。私の心はもう、彼の配下にあるわ」

 冷静さを装った、焦りを含んだ声色が、顕著にマリィの本心を示していた。

「どれだけ自分を高く評価してれば、そんな発想に行き着くのよ……」
「強者に魂を売ったのか、マリィ……」

 変わってしまったのか。それとも、本性が歪みに歪んで、今に至るのか。
 ただひたすら自分を安心させる為だけに媚びを売り、他者の強さに寄り縋っていなければ己のアイデンティティすら維持できない、これが今のマリィなのだとフォンは思った。クロエに関しては、もう惨めさに対する同情すら顔に浮かべていた。
 そんな二人の視線に気づく由もなく、マリィは自身の務めを果たすべく動き出した。

「さあ、行くわよ、クラーク。真の勇者に戻る為に、フォンと仲間を始末しましょう」

 つまり、クラークを焚きつけて、フォンを始末する手伝いに回る作業だ。

「……ああ、分かってる。俺はもう一度、勇者になって栄光を取り戻してやる!」
「勇者であることが、そんなに大事か……!」

 どこまでもずれてしまった、勇者という名の忍者の道具に成り下がってしまったクラークの決意に、フォンは心を痛めるような気持ちになってしまった。
 できれば彼の闇を祓ってやりたいと思ってはいたが、自分では彼を深淵から救い出せないのだろうか。ほんの僅かな間ではあるが、フォンの心に微かな迷いが生まれた。

「こっちもやるよ、フォン! あたし達は、ハンゾーを倒さないといけないんだから!」

 しかし、隣で弓を構えるクロエの声で平静さを取り戻せた。

「分かってる……ここで最後にしよう、クラーク!」

 バンダナで口元を覆い、苦無を構える。
 ハンゾーのもとに向かう為の、最期の試練が始まる。

「クロエ、援護をお願い」
「うん、任せて!」
「マリィ、魔法でバックアップしろ!」
「分かったわ」

 人数は同じ。戦法も同じ。ならば、差が出るのは個々の実力と連携だ。
 剣が床を擦り、苦無が空気を裂いた刹那――。

「クラアアアァァクッ!」
「さっさと死ねよ、フォオオォォン!」

 これまでの全ての因縁に『決着』をつける戦いが、刃同士の激突と共に始まった。