「が、はぁ……!?」
戦いの騒ぎが遠くなる。耳が、目が、心臓の機能すら鈍くなる。
「なんで、どうして……体が、動かない……?」
血だまりの中に沈んだリヴォルの肌と髪が赤く染まり、感じなくなるあらゆる身体機能の代わりに、痛みだけが肉体を支配してゆく。
目を見開き、流れる血が止まらない様を嫌でも見せつけられる。
息が荒くなり、呼吸する度に血を噴き出す彼女が見るのは、眼前に斃れるレヴォル。
「動いて、お願い……レヴォル、胸が痛いの……苦しいの。声も、もう、出ないの」
糸の切れた人形は、何も喋らない。動きもせず、血で染まるばかり。
「レヴォル、ねえ、返事をして? 私、一人になっちゃう、また、一人、に」
自分が操らなければ意味がないと忘れてしまったのか、息も絶え絶えにリヴォルは彼女の名を呼ぶ。人から奪い続けた少女が、死の間際になって絆を求める。
なんと愚かで、惨めで、滑稽な様だと誰に嘲笑されようとも、彼女は縋った。
「孤独は嫌、一人は嫌、レヴォル、ハンゾー、お兄ちゃん、誰でもいいから、私を――」
誰でもいい、何でもいい、一人にしないで。
隠されていたあの日々と同じに、元に戻さないで。
意識すら朦朧としてきたリヴォルの目の前で、ようやく、一つの変化が起きた。
『――何ヲ言ッテイルノ?』
レヴォルが動いた。誰も操っていないはずの人形が動いて、カタカタと呟いた。
『――貴女ハ、最初カラズット、独リ、デショウ?』
それは、幻覚だったのだろうか。或いは、悪夢の一端だったのだろうか。
どちらにせよ、リヴォルの残り少ない命の灯を削り取るには、十分過ぎた。
「……嫌、嫌、嫌あぁ、あ、ぁ」
ぱくぱくと魚のように口を動かし、どこでもない方角に目を剥いたのが最期だった。繋がりを求め、繋がりを奪い続けた忍者は、誰とも繋がれないままに死んだ。
指の先、心臓の鼓動まで動きを止めた彼女を、同じく地に伏せるアンジェラが見ていた。
(……死んだ、か。やったわよ、パパ、ママ……ベン……仇を取ったわ……)
果たして、彼女は目的を達成した。家族の仇を、今ここに取ったのだ。
だが、彼女の命も仇敵と同じく、風前の灯火であった。寧ろ体を貫いた傷が三つもあるのだ、この時まで命を保っていた方が奇跡だと言ってもいい。
(でも……私も、ここで死んじゃうけど……ごめんなさいね、フォン……貴方を助けには、いけないわ)
なるべく、死の間際には後悔を残したくなかった。
(……言っておけば……良かったわね……)
それでも、ただ一つだけ、胸の内に秘めた思いだけはあの世に持っていきたくなかった。
(貴方のこと……結構、好きだったって……あの時のキスも……冗談じゃなかったって)
カルト事件を解決した時のキス。冗談交じりのからかい程度のキス。
そう思っていたのは、フォンだけだ。アンジェラは既に、弟に似て確かな優しさと強い勇気を持つ彼に、仄かな愛情を寄せていたのだ。
といっても、もう手遅れである。彼女はこれから、ここで朽ちる。
(まあ、全部遅いわよね……せめて、貴方達だけでも生きて――)
ゆっくりと瞳を閉じた。家族の待つ空の上へと、これから向かう。
――はず、だった。
「――死ぬなよ、騎士アンジェラ」
ぐい、と彼女の体が持ち上げられた。
何が起きているのか、どうなっているのかと目を開き、彼女はわが目を疑った。
「……アルフ、レッド……?」
アルフレッドだ。
息も絶え絶えのありさまであるはずのアルフレッド第一王子が、アンジェラの肩を担いで、歩き出したのだ。自分も鎧を砕かれ、刃傷がふさがっていないのに、だ。
「君は俺よりずっと偉大な騎士なんだ……死んでくれるな、こんなところで……」
「王子、でも、貴方も怪我を……!」
宮殿の方に、引きずるようにして歩む王子もまた、虫の息だ。
「俺は、ミルドレリア第一王子、アルフレッドだ……こんな程度で、死にはしないさ」
「ですが、逃げ切れません! この傷では、忍者がすぐに……」
アンジェラの言う通り、残された忍者兵団は早くも二人に目を付けた。
ところが、彼女が思っていたよりも早く死は来なかったし、襲撃もなかった。なぜなら、彼女達の後ろには既に、騎士達がこれでもかと並んでいたからだ。
「お前達、王子とアンジェラさんを死守しろ!」
「絶対に死なせるなよ、いいな!?」
「救護班のもとまで死力を尽くして連れて行け! 鼠一匹、この後ろを通すな!」
戦い方を学んだとはいえ、まだ単体のスペックは忍者の方が高い。増援はまだ来るだろうし、最強の騎士と王子という精神的支柱の喪失は大きい。
それでも、だとしても、騎士はアンジェラ達を死守すると決意していた。
「……あなた達……!」
襲い来る忍者兵団を迎撃する鎧の雄姿を見つめるアンジェラに、王子は掠れ声で言った。
「……守ってくれる誰かがいる……孤独じゃないから、俺達は、勝てたのさ……」
一人の忍者に対して三人の騎士が挑み、一人を失って人間側が勝つ。若しくは人間側に何の損失もなく勝利する。リヴォルを失ったことは、忍者側に大きく響いていた。
騎士たちの勝利が少しずつ近づくのを背中で感じながら、宮殿の中に入り、医療器具を揃えた騎士団専属の救護班のもとへと歩み寄るアルフレッドが呟いた。
「アンジェラ……戦いが終わって、生きていたなら……」
「なんですか……? 求婚なんて言うなら、あいにくですが、私には……」
冗談を返すくらいには気力が回復したアンジェラの前で、アルフレッドが床に転がった。彼は天井を眺め、怪我の治療を受けながら、胸中を吐露した。
「……違う。俺は……亜人との関係を、見直したい」
即ち、自分の、人間の過ちを終わらせる決意を。
「俺の代で、人間が生み出した憎しみを終わらせたい……俺の死を望むなら、俺の死で蟠りが消えるなら……その時まで……この命は、絶やさせないさ」
恐怖を味わったからではない。死を間近にしたからではない。
造り上げた憎しみと不和の果てが、何よりも残酷な戦いを生み出すと知ったからだ。抑圧が当然だと思い込み、疑いすらしなかった常識を、彼の代で終わらせると決めたのだ。
自分も傍に寝転び、鎧を剥がされるのを感じながら、彼女は答えた。
「……手伝いますよ、王子。まずは亜人達の歴史から、お勉強ですがね……」
二度目の冗談に、アルフレッドはやっと、潰れた喉で笑った。
「お手柔らかに……頼む」
外からは、騎士達の雄叫びが聞こえてくる。忍者の怒声は、僅かに小さくなってゆく。
願わくば、この戦いが、人と亜人の最後の戦いとなるように、二人は祈りたかった。
いいや、そうしなければならないのだ。
(フォン、未来は変わるわ)
視線を僅かにずらし、アンジェラは宮殿の窓から見える空を仰いだ。
(だから、勝って。勝って必ず、未来を繋いで)
忍者の長に挑む、愛しい貴方達へ。
変わりゆく未来に、欠けてはいけない人達へ。
想いを雲に乗せて、アンジェラはもう一度、静かに目を閉じた。
戦いの騒ぎが遠くなる。耳が、目が、心臓の機能すら鈍くなる。
「なんで、どうして……体が、動かない……?」
血だまりの中に沈んだリヴォルの肌と髪が赤く染まり、感じなくなるあらゆる身体機能の代わりに、痛みだけが肉体を支配してゆく。
目を見開き、流れる血が止まらない様を嫌でも見せつけられる。
息が荒くなり、呼吸する度に血を噴き出す彼女が見るのは、眼前に斃れるレヴォル。
「動いて、お願い……レヴォル、胸が痛いの……苦しいの。声も、もう、出ないの」
糸の切れた人形は、何も喋らない。動きもせず、血で染まるばかり。
「レヴォル、ねえ、返事をして? 私、一人になっちゃう、また、一人、に」
自分が操らなければ意味がないと忘れてしまったのか、息も絶え絶えにリヴォルは彼女の名を呼ぶ。人から奪い続けた少女が、死の間際になって絆を求める。
なんと愚かで、惨めで、滑稽な様だと誰に嘲笑されようとも、彼女は縋った。
「孤独は嫌、一人は嫌、レヴォル、ハンゾー、お兄ちゃん、誰でもいいから、私を――」
誰でもいい、何でもいい、一人にしないで。
隠されていたあの日々と同じに、元に戻さないで。
意識すら朦朧としてきたリヴォルの目の前で、ようやく、一つの変化が起きた。
『――何ヲ言ッテイルノ?』
レヴォルが動いた。誰も操っていないはずの人形が動いて、カタカタと呟いた。
『――貴女ハ、最初カラズット、独リ、デショウ?』
それは、幻覚だったのだろうか。或いは、悪夢の一端だったのだろうか。
どちらにせよ、リヴォルの残り少ない命の灯を削り取るには、十分過ぎた。
「……嫌、嫌、嫌あぁ、あ、ぁ」
ぱくぱくと魚のように口を動かし、どこでもない方角に目を剥いたのが最期だった。繋がりを求め、繋がりを奪い続けた忍者は、誰とも繋がれないままに死んだ。
指の先、心臓の鼓動まで動きを止めた彼女を、同じく地に伏せるアンジェラが見ていた。
(……死んだ、か。やったわよ、パパ、ママ……ベン……仇を取ったわ……)
果たして、彼女は目的を達成した。家族の仇を、今ここに取ったのだ。
だが、彼女の命も仇敵と同じく、風前の灯火であった。寧ろ体を貫いた傷が三つもあるのだ、この時まで命を保っていた方が奇跡だと言ってもいい。
(でも……私も、ここで死んじゃうけど……ごめんなさいね、フォン……貴方を助けには、いけないわ)
なるべく、死の間際には後悔を残したくなかった。
(……言っておけば……良かったわね……)
それでも、ただ一つだけ、胸の内に秘めた思いだけはあの世に持っていきたくなかった。
(貴方のこと……結構、好きだったって……あの時のキスも……冗談じゃなかったって)
カルト事件を解決した時のキス。冗談交じりのからかい程度のキス。
そう思っていたのは、フォンだけだ。アンジェラは既に、弟に似て確かな優しさと強い勇気を持つ彼に、仄かな愛情を寄せていたのだ。
といっても、もう手遅れである。彼女はこれから、ここで朽ちる。
(まあ、全部遅いわよね……せめて、貴方達だけでも生きて――)
ゆっくりと瞳を閉じた。家族の待つ空の上へと、これから向かう。
――はず、だった。
「――死ぬなよ、騎士アンジェラ」
ぐい、と彼女の体が持ち上げられた。
何が起きているのか、どうなっているのかと目を開き、彼女はわが目を疑った。
「……アルフ、レッド……?」
アルフレッドだ。
息も絶え絶えのありさまであるはずのアルフレッド第一王子が、アンジェラの肩を担いで、歩き出したのだ。自分も鎧を砕かれ、刃傷がふさがっていないのに、だ。
「君は俺よりずっと偉大な騎士なんだ……死んでくれるな、こんなところで……」
「王子、でも、貴方も怪我を……!」
宮殿の方に、引きずるようにして歩む王子もまた、虫の息だ。
「俺は、ミルドレリア第一王子、アルフレッドだ……こんな程度で、死にはしないさ」
「ですが、逃げ切れません! この傷では、忍者がすぐに……」
アンジェラの言う通り、残された忍者兵団は早くも二人に目を付けた。
ところが、彼女が思っていたよりも早く死は来なかったし、襲撃もなかった。なぜなら、彼女達の後ろには既に、騎士達がこれでもかと並んでいたからだ。
「お前達、王子とアンジェラさんを死守しろ!」
「絶対に死なせるなよ、いいな!?」
「救護班のもとまで死力を尽くして連れて行け! 鼠一匹、この後ろを通すな!」
戦い方を学んだとはいえ、まだ単体のスペックは忍者の方が高い。増援はまだ来るだろうし、最強の騎士と王子という精神的支柱の喪失は大きい。
それでも、だとしても、騎士はアンジェラ達を死守すると決意していた。
「……あなた達……!」
襲い来る忍者兵団を迎撃する鎧の雄姿を見つめるアンジェラに、王子は掠れ声で言った。
「……守ってくれる誰かがいる……孤独じゃないから、俺達は、勝てたのさ……」
一人の忍者に対して三人の騎士が挑み、一人を失って人間側が勝つ。若しくは人間側に何の損失もなく勝利する。リヴォルを失ったことは、忍者側に大きく響いていた。
騎士たちの勝利が少しずつ近づくのを背中で感じながら、宮殿の中に入り、医療器具を揃えた騎士団専属の救護班のもとへと歩み寄るアルフレッドが呟いた。
「アンジェラ……戦いが終わって、生きていたなら……」
「なんですか……? 求婚なんて言うなら、あいにくですが、私には……」
冗談を返すくらいには気力が回復したアンジェラの前で、アルフレッドが床に転がった。彼は天井を眺め、怪我の治療を受けながら、胸中を吐露した。
「……違う。俺は……亜人との関係を、見直したい」
即ち、自分の、人間の過ちを終わらせる決意を。
「俺の代で、人間が生み出した憎しみを終わらせたい……俺の死を望むなら、俺の死で蟠りが消えるなら……その時まで……この命は、絶やさせないさ」
恐怖を味わったからではない。死を間近にしたからではない。
造り上げた憎しみと不和の果てが、何よりも残酷な戦いを生み出すと知ったからだ。抑圧が当然だと思い込み、疑いすらしなかった常識を、彼の代で終わらせると決めたのだ。
自分も傍に寝転び、鎧を剥がされるのを感じながら、彼女は答えた。
「……手伝いますよ、王子。まずは亜人達の歴史から、お勉強ですがね……」
二度目の冗談に、アルフレッドはやっと、潰れた喉で笑った。
「お手柔らかに……頼む」
外からは、騎士達の雄叫びが聞こえてくる。忍者の怒声は、僅かに小さくなってゆく。
願わくば、この戦いが、人と亜人の最後の戦いとなるように、二人は祈りたかった。
いいや、そうしなければならないのだ。
(フォン、未来は変わるわ)
視線を僅かにずらし、アンジェラは宮殿の窓から見える空を仰いだ。
(だから、勝って。勝って必ず、未来を繋いで)
忍者の長に挑む、愛しい貴方達へ。
変わりゆく未来に、欠けてはいけない人達へ。
想いを雲に乗せて、アンジェラはもう一度、静かに目を閉じた。