激昂はフォンの優しさから来た感情でもあったし、クラークを選んで愛してくれたであろう勇者への無念でもあったし、堕ちるところまで堕ちたクラークへの怒りでもあった。

「このまま僕を殺して満足か!? 復讐を果たしたと思うか!? 言っておくが、忍者の道具として望みを叶えてギルディアに戻ろうが、どこで大きな顔をしようが、君に闇は纏わりつくぞ! 永遠に消えない闇だ、いいや、そもそも戻れやしない!」
「う、うう……」
「勇者でも、付き人でもないただのクラークに戻る前に、始末されるからだ! サラやジャスミンを仲間だと思っているのなら、まだ勇者でいたいなら、やるべきことは分かっているはずだろう! いい加減甘えるな、自分をもう一度見つめてみろ!」
「ぐあ、ぁ……俺は、俺は……!」

 頭を片手で抑えて呻くクラークだったが、彼の異変をマリィは見逃さなかった。

「クラーク、耳を貸さないで。貴方は自分の役目を果たすのよ」

 勇者を制御する役割を持つ彼女は、サラやジャスミンを無視して、彼を抱き寄せてささやいた。すると、クラークの心に突き刺さった楔は抜けたようだった。

「……ああ……」

 小さく呟いてからは、もう何の気配もなかった。
 サラもジャスミンも、クラークとマリィについていくように消えていった。リヴォルとレヴォルは殿を務めていたようだったが、やがて視線すら感じなくなった。

「……逃げたわね」

 武器を仕舞ったアンジェラがそう言うと、煙がすっかり晴れていった。クロエやサーシャもまた、敵が近くにいないと確信して、それぞれ警戒態勢を解いた。

「でも、諦めるつもりはなさそうだよ。さっき言ってた『第二段階』ってのが何なのかはさっぱりだけど、どう考えたって碌なものじゃなさそうだしね」
「あの女を逃がしたのは癪だけど、一先ずここから離れて、陛下の元に行かないといけないわね。王子、それでよろしいですね?」
「……頼む」

 彼女の手を借りずとも立ち上がれるくらいには回復したらしいアルフレッドは、少しばつが悪そうな調子で、フォンに向き直って言った。

「冒険者達、済まなかったな。俺は君達を軽んじていた。俺はこうして助けられるまで、未知の侵略者も忍者の存在も信じていなかった、間抜けな男のようだ」
「いえ、信じてくれたなら、それで十分です。ありがとうございます、王子」
「後の祭りというやつでござるがな……痛だっ!」

 カレンが茶化すと、アンジェラが彼女の頭を小突いた。

「余計なこと言うんじゃないの。とにかく、あいつらが何かをしでかす前に警備を固めて、バルコニーから陛下達を避難させるのが先決ね」

 蟠りも消えたところで、ようやく誰かが近づいてくる音が、遠くから聞こえてきた。

「足音、聞こえる。兵士達、こっちに来たな」
「ま、これだけ暴れれば当然だね」

 破壊され尽くした部屋の中で、冷静さを取り戻していった一同は、どれだけ自分達が危険な戦いに身を置いているのかを静かに実感していった。
 やはり、忍者は来ているのだ。しかも、危険極まりない相手が。
 去来する決戦の鐘の音を、誰もが心の中で聞いていた。

「……行こう。リヴォルを、クラーク達を……迎え撃つ為に」

 それでも、フォンの声は静かだった。
 彼の言葉には、悲しみよりも、虚しさが詰まっていた。

 ◇◇◇◇◇◇

「――分かった。警備の強化を頼むぞ、アルフレッドよ」
「お任せください。お前達、聞いたな! 鼠一匹、蠅一匹の侵入も許すな! 生誕祭が終わるまでこれ以上の失態は許さん――俺も含めてだ!」
「「はっ!」」

 二階のバルコニーの奥の廊下で、アルフレッドと兵士達の声が響いた。
 『王来の間』に騒ぎを聞きつけた兵士達がやってきてから、一同が二階のバルコニーで演説を終えていた国王の下にやって来るまではそう長くはかからなかった。
 すでに忍者が襲撃を仕掛けてきたと聞いた王と王妃は、すぐさまバルコニーから奥の廊下へと戻り、兵士に囲まれて壁際に立った。幸いにも、演説を終えてからだったので、国民が何かを疑う様子はなかった。
 外で再び演舞を始めたダンサーや踊り子、音楽隊が広場の雰囲気を盛り上げると、宮殿の内側に潜む危険な雰囲気はたちまち感じられなくなった。兵士や護衛がどたどたと慌てた調子で駆け回るのを率いるアルフレッドは、静かにフォン達を見据えて言った。

「……忍者諸君には、君達にも警備の補助を頼みたい。父上と母上のだ」

 彼が両親の警護を務めないと聞いて、アンジェラを含めた全員が驚いた。

「良いのですか? 王子は……」
「俺は他の警備隊へと合流する。さっきのように、別方向からの侵入を企てる者がいないとは言い切れないし、住民に危害が及ぶ可能性もある」
「王子、敵は貴方を狙っています」
「分かっている。だからお前にも、アンジェラにも同行してもらう……それに、俺より強い者が守ってくれる方が安心できる。情けない長男で、済まない」

 しかし、理由を聞けば、それにも納得できた。
 忍者の存在を知り、王族だけでなくネリオスそのものを巻き込む可能性が浮上してきた以上、全体の守護に回らなければならない。その時、士気を高める者の在と不在は、状況を大きく変えるだろう。だからこそ、アルフレッドが前線に出たのだ。
 当然だが、彼は一度敵に攫われかけた。その反省も踏まえて、単独行動は決してしないし、アンジェラも今回は同伴させた。
 何より、実力差を鑑みて、つまらないプライドを捨てた彼は、自分よりも家族を守れる可能性のある者に賭けたのだ。少なくとも、先ほどまでの、自分の力であれば何でもできるなどという傲慢な考えは完全に頭からは吹き飛んでいた。

「そんなことはありません。忍者フォンとその仲間、命を賭して陛下をお守りします」

 だから、フォンは小さく頷き、決意で返した。

「……頼んだ。アンジェラ、行こう」
「分かりました。それじゃあフォン、あとは任せたわ」

 アルフレッドとアンジェラは互いに頷き合い、ある程度の数の騎士を残して、護衛を引き連れて宮殿の警護強化に向かった。
 そんな姿を見て、カレンは妙に口を尖らせて呟いた。

「何というか、これだけの短期間であんなに丸くなるもんなんだね、人間って」
「丸くなったんじゃないよ、王子の本質なのさ。僕達とは少しすれ違っていただけで、何も悪い人じゃあないよ」
「だとしても、表情まで変わるものでござるか、師匠」
「僕達の色眼鏡が外れたんじゃないかな、きっと。さて、そろそろこっちも――」

 フォンも、少しだけ心が落ち着いた気分だった。
 リヴォルの襲撃が過ぎて、油断したわけではないが、張っていた気を微かに緩めた。
 その判断があまりにも甘いと、彼は気づかされた。

「――ッ!」

 彼は怖気を隠し切れなかった。
 全身を突き刺すような――『蛇』の視線が、彼を貫いたのだ。